224 / 530

九、会議

   次の日、雪が降った。  京都の冬の気候は、体の芯まで冷え込むような寒さのわりに積雪があるのはごくごく珍しいことだ。二年に一回程度起こるこの現象が、三月最初の金曜日に訪れたのであった。  京都へ来て初めて見る雪に、珠生は暫く見とれていた。寒いのは嫌いだが、雪を見るのはとても好きだった。全てを真っ白に覆い尽くす雪を見ていると、過去に犯した自分の罪をすべて洗い流してもらっているような気持ちになる。  千珠の記憶を取り戻してからというもの、やはり頻繁に見てしまう過去の夢、それも戦の最中の恐ろしい夢を、今も珠生はきちんと受け止めることが出来ていないように感じていた。  襲いかかる罪悪感。  千珠が一生かけて贖い続けてきた罪。  平穏なこの現代に生まれてまだ十数年の珠生には、到底受け止めきれるものではなかった。  それでも、目覚めて、リビングに父親がいる時はいい。のんびりとした父親の笑顔を見ていれば、珠生はここが現実だと確認することができる。しかし健介が出張などでいない時にそんな夢を見たときの罪悪感は耐え難く、珠生は急いで制服に着替えて学校へ向かうのだった。そして美術室に駆け込んで、絵の具の匂いにようやく心を落ち着けられる。  誰に訴えるでもなく続くこの苦痛。  そして、もっと心配なのは深春だ。  夜顔の罪と罪悪感を、彼は一体どういう形で受け継いでいくというのか。  珠生がぼんやりとしていると、ドアがノックされて健介が顔を覗かせた。 「珠生、遅刻するよ」 「あ、うん。すぐ行くよ」  珠生は慌てて制服に着替え、今生きる世界へと足を踏み出す。  +   今夜は藤原に呼び出されており、皆が揃ってグランヴィアホテルへと足を運んでいた。今日のミーティングの内容は深春の経過観察と、進路等の確認といったものである。  卒業式を週明けに控える彰はすでに到着しており、藤原の机の横で何やら手伝いをしている。葉山の姿はなく、用事で外へ出ているということである。  珠生と湊は学校から連れ立ってやってきたが、亜樹は少し遅れてやってきた。 「あんたらと一緒に動いてたら、また何を言われるか分からへん」 と、ツンと横を向いてそんなことを言うのである。  その後すぐ、深春が学ラン姿でおずおずと顔をのぞかせる。珠生の姿を見た深春は、ほっとしたように表情を緩めた。 「珠生くん、はえーな」 「うん、俺たちは近いからね」 「隣いいか?」 「いいよ、おいで」  忠犬よろしく珠生の隣に座る深春を見て、藤原と彰が驚いている。ここ最近、珠生は週に一度は宮尾邸で食事を取っているため、亜樹にとっては見慣れた風景だ。  彰は指先で顎を撫でながら、すっかり珠生に懐いている深春をしげしげと見つめていた。 「ところで舜平は? 遅いな」 と、彰。 「雪道で滑ってんじゃないですかね」 と、湊。 「縁起でもないこと言わんといてよ」 と、亜樹。 「その通りや。湊お前、後から覚えとけよ」 と、気づけば舜平が部屋に入ってくるところであった。 「やれやれ、高校三年生を前に滑るなんていうもんじゃないよ。まぁ、僕には縁のない話だけどね」 と、彰がソファの方へと近寄って腕を組んだ。 「あ、先輩受験はどうだったの?」 と、珠生が彰を見上げる。 「え? 受験?」  何も知らなかった舜平が、訝しげに彰を見た。すると彰はいつものように、余裕に満ちた笑顔を浮かべる。 「当然、合格したよ。舜平、春からおんなじ大学だね」 「え? 同じ大学って? お前らの学校エスカレーターやろ?」 「僕、医学部受け直したんだ。春から君と同じ京大生さ」 「ええっ! お前が医者!? ……えっ? 同じキャンパスなん?」 「うん、そうさ。知ってる先輩がいて、実に心強いよ」  不安なことなど微塵もないであろう彰がそんなことを言うと、舜平はやや浮かない顔をした。 「なんか嫌やなぁ。お前に四六時中見られているような気がしてまいそうや」 「僕はそんなに暇じゃないよ。ていうか、なにか見られてやましいことでもあるの?」 「あるわけないやろ」 「ほんとかなぁ」  にやにやと笑いながらにじり寄る彰を、舜平はうるさそうに押し返す。 「近い。アホ」 「はいはい。……さて、皆揃ったとこで本題だ」  急にきりりとした顔になった彰の切り替えの速さについていけず、皆がきょとんとしていた。藤原が苦笑する。  まず第一の話題は、深春の進学先が、宇治政商高校に決定したことである。水無瀬紗夜香らと同じ学校である。  表向きは、この学校は学科が多彩で、勉強を毛嫌いしている深春にも合うものが見つかるであろうということ。そして藤原や彰の思惑としては、注意を要する人物を一か所に集めておけるというメリットがあるということ。藤原はその辺りのことも包み隠さず深春に話して伝えた。そして、自分が要注意人物であるということを重々承知している深春は、何を口答えするでもなく藤原の言葉を聞いていた。  そして次の話題は、宮尾邸での深春の暮らしについてである。これは主に亜紀が様子を語った後、深春が自分の口で居心地についての意見を簡単に述べるというものだった。少人数とはいえ、人前で話をすることに慣れていない深春はひどく緊張している様子だったが、それはなんとかやり終えた。そしてまた、珠生や湊が時折宮尾邸に赴き、深春と食事をとっていることなどが報告された。  そして最後の話題は、祓い人についてのことである。  その後、宮内庁特別警護担当課北陸支部の人員を能登方面に派遣し、怪しい人物がいないかどうかを調べさせたという。しかし、水無瀬紗夜香の母親の居場所は知れず、紗夜香の言う『祓い人の集落』というもののある地域を探索したものの、その地域からはすでに祓い人たちの気配はなかったということである。逃亡を許してしまった祓い人らの行方を追うべく、北陸支部の陰陽師たちが動いているということが告げられた。  耳慣れない『北陸支部』なるものを初めて耳にした珠生や舜平、そして湊は一様に顔を見合わせていた。 「富山には雷燕の封印があるからね。あの地域は、特に目を光らせておくべき警戒地域に設定されているんだ」 と、藤原はゆっくりとした口調でそう語った。 「伝えておきたいことは以上だ。特に祓い人に関する情報は、また折を見て皆にも報告するよ。……さて、何か質問は?」  聞きたいことは山のようにあるが、何をどう問うていいのか分からない、といった雰囲気が部屋の中に漂っている。藤原はそんな空気を感じ取ってか「気になることがあったら、いつでも連絡しておいで」と微笑んだ。  そして藤原が会議の終わりを告げると、皆が息を吐いた。砕けた雰囲気になったところで、亜樹は彰を振り返る。 「先輩すごい、医学部行くんや」 「なぁに、君たちだって首位独占してるんだから、受けたらきっと受かるさ」 「いやいや、俺はともかく天道は人格的な問題で落ちるやろ」 と、湊がそんなことを言うと、亜樹が目を吊り上げて怒りだした。 「柏木、お前、自分はどうやねん。うちはあんたみたいな石像みたいな医者には見てもらいたくないねんけど」 「石像……」 と、深春はプッと吹き出した。湊は深春を眼鏡の奥からじろりと一瞥し、ぐいと眼鏡を指で押し上げる。 「俺かてお前みたいなデリカシーの欠片もない女医はごめんやな。なぁ、珠生」 「え、俺にふらないでよ」 と、珠生は迷惑そうな顔をした。  軽口を叩き合う若者たちを見下ろしつつ、舜平は深春が少しずつこの集団に馴染みつつあることを感じ、少しほっとしていた。それは彰も同じであったらしく、同じような表情をして中高生を眺めている。 「まぁまぁ仲良くやってるやん。ええこっちゃ」 「本当だな。何よりだね」 「お前、入学式はいつなん?」 「四月三日だよ。あ、僕は新入生代表あいさつをするから、良かったら聞きに来てよ」 「え?……ってことはお前、試験、首位合格ってこと……か?」 「そうだよ。いやぁ、そこそこ勉強したからね」  信じられないようなものを見る目つきで彰を見つめる舜平に、彰は爽やかに笑ってみせた。 「……お前、ほんっま怖いわ」 「そうかな」 「大学で俺を見ても、近づいてくんなよ」 「何でだよ。いいじゃん別に」 「あぁ怖い怖い」  背後でそんなやり取りをしている舜平と彰を、珠生がちらりと振り返った。数週間ぶりにしっかり珠生と目を見合わせ、舜平は思わず赤面してしまった。そんな舜平を見て、彰がまたニヤニヤしている。 「舜平さん、久し振り……」 「お、おう……」 「こないだ、一緒に御飯行って楽しかったって、父さん言ってたよ」 「え? ああ、あん時か。こちらこそやな」 「珠生くんのお父さんと舜平は知り合いなのか?」 と、深春。 「おい、お前も俺は呼び捨てなんかい」 と、舜平は深春を睨む。 「みんなそうなんだからいいじゃねぇか」 「中坊にまで……なめられたもんやな」 「舜兄、うちはなめてへんよ」 と、亜樹が紅茶を飲みながら言う。 「おお、せやった。亜樹ちゃんだけやな」 「ちょっと、俺はちゃんとさん付けで貫いてるんだけど」 と、珠生が不服げに口をとがらせる。久々に見るそんな表情が可愛くて、舜平は軽く目眩を覚えた。 「……そうやったな。すまんすまん」 「舜平、頭痛いんか?」 と、湊が全てを見透かしたような目で冷ややかにそう尋ねた。舜平は手を振って、「なんでもないわ」と強がった。 「さて。帰り道は寒いし、皆、舜平に送ってもらいなよ」 と、彰。 「そらかまへんけど。ってかお前に頼まれると妙に腹がたつ」 「何でだろうね。ま、ひとつ頼んだよ、相田先輩」  彰は有無を言わせぬ何かを湛えたにこやかな笑顔で、ぽんと舜平の肩を叩いた。

ともだちにシェアしよう!