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三十八、舜平の実家

「ごめんね」  車に乗り込むなり、珠生はそう言って舜平に謝った。 「何がや。気にすることないて」 「……」 「腹減ったな、なんか食って帰るか」 「……うん」  二人は、以前健介と珠生が食事を取っていた例のイタリアンに入った。めいめい注文を終えると、珠生はぐいと水を飲み干して息を吐いた。  どことなく苛立った様子の珠生を眺めつつ、複雑な親子関係というのの大変さに思いを馳せている舜平である。 「遅れてきた反抗期か?」 「……なんだよそれ」 「お前も親に向かってあんな事言ったりするんやな」 「……ちょっと、小さい頃のこと思い出して」  珠生は少しばかり傷ついた目つきになり、空っぽになったグラスを見下ろした。水がなくなったことを悲しんでいるようにでも見えたのか、すぐさま若い女の店員が水を入れに来る。珠生が目を上げて会釈すると、店員は真っ赤になってそそくさと去って行った。 「自分のことばっかり主張する母さんにも苛立つけど、はっきり自分のことを言えない父さんにも腹が立つよ」 「……せやな、先生は穏やかな人やし……」 「昔から、一方的に怒られてるばっかりの父さんを見てるのが嫌だったし、怒ってばっかりの母さんも嫌だった。俺と千秋は、ずっと二人で部屋にこもって聞かないふりしてたけど、子どもってそういうのには敏感だからさ、全部ばればれ」 「……そうやんな」 「父さんが出てった時……正直ちょっと、ほっとしたんだ。これで、あの喧嘩を聞かなくて済むし、きっと父さんもそっちのほうが楽しく暮らせるんだろうなって思ったから」 「そっか……珠生は小さい頃からパパっ子やったんやな」  運ばれてきたパスタのいい香りが、珠生のさくさくとささくれだった気持ちを、すこしばかり撫でていく。舜平は微笑んで、珠生に食べるように促した。 「パパっ子って……。でも、そうなのかも……」 「よう似てるもんな、お前と先生」 「うん……。美味しい……」  つるりと和風パスタをすすった珠生はぼそりとそう呟いた。舜平が笑って、「イライラしてたんは、腹が減ってたからちゃう?」とからかうと、珠生はむっとしたような顔で舜平を睨んだ。 「お前の母さんも美人やけど、母親って感じのする人じゃないなぁ。上司っていうか、できる女って感じやもんな」 「実際、母親っぽくはないかな。まぁ、父親の役割もしなきゃいけないんだから、自然とそうなったのかもしれないけどさ」 「男女逆みたいな夫婦やな」 「ほんとだね。それならそれで、割りきって家族でいて欲しかった……」  珠生は急にしんみりとした口調になり、フォークにさしたきのこを食べる。 「お前がこっちに来たんは、大学受験が免除の学校に来たかっただけ、ってわけじゃなさそうやな」 「……うん。父さんが心配だったんだ。一人でどうしてるのかなって思ってたし。実際、俺も小学校中学校と、千秋と比べられていじめられたりしてたから、向こうでの人間関係も面倒になってたとこだったしね」 「それが今は学校一のモテ男とはな」 「まぁね」  否定もせずにサラリとそう言う珠生を見て、また舜平は笑った。珠生も笑って、またパスタを口に運ぶ。 「一から一人でやってみたいってのと、父さんが心配ってのとで京都を選んだだけだったのが、まさかこんなことに巻き込まれるとは思ってなかったけど……」 「それも彰の術の内だったんかもしれへんな。そうなるように導かれて京都へ来たとか」 「そうだったらすごいね。怖すぎ」 「ほんまやで」  珠生は目の前でピザを食べている舜平を見た。落ち着いてみると、こうして舜平と会うのは久しぶりだ。  こうして舜平といると、やはりこの暖かくて強い霊気に心が落ち着く。 「……舜平さんち、行っていいのかな。ご両親も、あと妹さんもいるのに……」  ふと冷静になると、実家住まいの舜平の家に突然上がりこむことが、ひどく失礼なことに思えてくる。舜平は笑った。 「うちは何も気にせんでいいで。親父は知ってるやろ? おかんはええ歳してアイドル好きやから、お前見たら絶対喜ぶし。早貴は彼氏んちに泊まりこんどって、最近滅多に帰ってこーへんし」 「……へぇ、自由だね」 「あいつは昔からそうやから。親も諦めとる。兄貴は会ったことないやろうけど……、まあ、普通の坊主や。まだ髪はあるけどな」 「ああ、お寺を継ぐんだよね」 「そう。最近は減ったけど、高校んときまではしょっちゅう誰か泊まりに来たりしとったから、お前も気楽に来たらええよ」 「……ありがとう」  珠生はほっとして、皿に残っていたかいわれ大根を食べた。腹がふくれると、だいぶ気持ちも落ち着いているのがわかった。舜平の言うとおりやはり腹が減って苛立っただけだったのだろうか。  いつも先生に出してもらってるといって、舜平はさっさと珠生の分まで会計を済ませてしまうと、二人は店を出た。  日が短くなり、風もぐっと冷たくなってきた秋の夜の空気を、珠生は深く吸い込んだ。  駐車場へ向かう舜平のすらりとした背中を追いながら、珠生はあとで母親にメールでもしようかと考えた。  会えて嬉しかったのにあんな態度を取ってしまったこと、ほんの少し、後味が悪かった。  +  舜平の言うとおり、珠生を見た瞬間、舜平の母親は目をらんらんと煌めかせて珠生を迎え入れた。 「あらぁ! あんたが珠生くん? お父さんが、舜平のお友達にえらい可愛い子がおるって言っててんけど……うわぁ、ほんまにかっこええなぁ! べっぴんさんやなぁ〜〜!」  好奇心丸出しで珠生の身体をべたべたと触りまくっては一人で勝手に照れている母親に、舜平は仏頂面だ。 「おい、あんま触んな。失礼やろ」 「あ、いえ……。突然おじゃまして、すいません」 「んまぁ〜〜礼儀正しいんやねぇ! うちの早貴にも見習わせたいわぁ! あ、お風呂湧いたとこやし、行ってくる?」 「いや、僕は最後でいいですから……」 「あかんあかん、お客様やし一番に入り! 何なら、一緒に入る? あっはははは!」  舜平の母、相田美津子はハイテンションにけらけら笑いながら、ばしっと舜平の背中を叩いた。舜平は呆れ返って何も言えない様子である。  美津子は小柄ながら肉付きのいい、ころころとした女性だ。エプロンを身に着け、いかにも”おかん”といった雰囲気をまとっている。今しがた自分の母親を見たため、余計にそう感じるのかもしれない。 「オイコラ美津子、さすがにそらあかんやろ。お前迷惑って言葉知ってんのか」 と、リビングで新聞を読みながらテレビを見るという器用なことをしながら、相田宗円がそう言った。 「なぁ、嫌なことは嫌っていうんやで、珠生くん。そうや、俺と入るか? 背中流したんで?」 「お前らセクハラで訴えられんぞ。ええかげんせぇ、恥ずかしい」 と、舜平がぴき、とこめかみに青筋を立ててそう言った。さっさとその場を去りたいらしいが、二人が珠生に構いたがって離さないのだ。 「おかんが覗くかもしれへんから鍵かけて入れよ」 「え? あ。うん……」 「アホやなぁ、覗かへんって! あ、シャンプーまだあったかな……使ってるうちになくなるかも……」 「分かった分かった、俺が見とくから」 「あんた替えのシャンプーのありかなんか分かれへんやろ」 「うっさいな! もう分かったからついてくんな!」  やいのやいのと風呂場までついてこようとする母・美津子を振りきって、舜平はようやく珠生を浴室へと案内することに成功した。汗だくだ。 「……なんか、ごめんね……」  気を遣った珠生は、申し訳なさそうにそう言った。 「いいねんいいねん。ごめんな、疲れてるとこ騒々しくて。うちはアホばっかりやから」 「ううん、すごく楽しい。羨ましいな、ああいうの」 「そうか? ……まぁゆっくり風呂入ってこい、服貸したるから」 「うん、ありがとう」  相田家はこの寺に移ってきた時にリフォームしたとのことで、内装は外観に比べて新しい。浴室も白く明るく、そして広い。普段マンションの小ぶりな浴室に慣れている珠生にとっては、まるで旅館にでも来たような気持ちになった。  明るい家族だ。ああいう両親に囲まれて育ったから、舜平はいつも明るく皆を引っ張っていけるのだろう。裏表がなく、言いたいことはすべて口にするような家族……そういう姿に、珠生はどうしても憧れてしまう。  珠生が風呂から出て再びリビングに顔を出すと、そこには見たことのない青年が一人増えていた。どうも舜平の兄らしい。  入れ替わりに舜平が風呂へ消えて行く。風呂あがりの珠生に、美津子がいそいそと飲み物を出したり果物を振舞っている様子を眺めつつ、その青年は珠生にすっと手を伸ばした。 「はじめまして。舜平の兄の相田 将太(しょうた)といいます」 「あ、はじめまして。お世話になっています」  思わずその手を握り返した珠生は、しげしげと舜平の兄の姿を見た。二人の顔は驚くほどによく似ているが、いかにも健康優良という言葉が似合う舜平に対し、将太はどことなく儚げで身体が弱そうに見える。  今は普通のTシャツに短パンという寝間着のような格好であるが、そこから覗く手足はいい色にやけているがえらく細い。それに、握力も弱かった。少し長めの黒髪は、いずれ剃らねばならない運命への抵抗のように感じられる。 「すごいな、ほんまに妖気や」 と、手を離した将太が驚く。 「あ、分かるんですね……」 「うん、分かるよ。家系のせいか、君の影響のせいか……ここ数年で僕の霊気もえらく強うなった気がするねん」 「へぇ」  畳張りの八帖間の中心には黒檀の座卓が置かれており、居間として使われているらしい。調度品はすべて古く、味のあるものばかりなのに対し、薄型の大型テレビだけが異様に新しく見える。テレビではやかましいバラエティ番組が点いているが、音は小さく絞ってあった。 「機会があったら、将太のことも藤原さんにも紹介しようかと思っててん」 と、宗円が新聞を畳んで、ビールをぐびぐびと飲みながらそう言った。 「そうですね、それがいいと思います」 「話は聞いてたよ。いや、ほんまに君、すごいんやね」 「いえ、そんな……」  将太は笑い方まで舜平にそっくりなので、珠生はつい照れてしまう。  美津子が台所で鼻歌を歌っている。居間にいる宗円と将太は同じような笑顔を見せ、共通の秘密を楽しんでいるような顔をした。 「舜平に聞いたで。家、今ちょっと大変らしいやん。まぁいつまででもゆっくりしていったらええよ」 と、宗円が言うのに合わせて、将太も頷いた。 「ありがとうございます。突然来ちゃったのに……」 「珠生くんなら、大歓迎や。なにせ国をあげて君にはお世話になってんねんから」 と、宗円ががははと笑った 「……そんな」 「ほらほら珠生くん、すいかもあんで〜! いっぱい食べやぁ」  美津子の甲高い声が居間に響くと、宗円と将太はまた同時に口を閉じた。その動きは実によく似ており、珠生は感心してしまう。 「大盤振る舞いやな、今日は」 と、宗円。 「そらそうやわ。なんか地味な家が一気にきらびやかに見えるわぁ」 「あんまりうるさくすると、嫌われんで」 と、将太が早速すいかにかじりつきながらそう言った。 「うっそぉ、普通やん」 「普段はもっとドスの利いた声してるくせに。あ、食べ食べ」 と、将太が珠生にスイカをすすめる。 「あ、はい。いただきます」 「ほんまかっこええなあ、珠生くんは。なんでうちにはこんな子おれへんのかなぁ?」  スイカを食べている珠生をうっとりと眺めながら、美津子がそんな事を言う。宗円はぺっと種を皿に吐き出しながら、「そら、遺伝子の問題やろ。俺らのどこをどう組み直したら、こんな子が生まれんねん」と言う。 「ご両親がうちとちがって品がいいんやろ」 と、将太。 「おい、それは俺らが下品ということか」 と、宗円が種を将太にまき散らしながら騒ぐので、将太が迷惑そうに眉を寄せる。 「ほれ、こういう行動がアカンねん。ハゲ」 「誰がハゲや。お前もそのうちそうなんねんからな」 「俺は見ての通りふっさふさや」 「そういうやつほどハゲんねん」 「何をハゲハゲ言ってんねん」  ぬ、と舜平がタンクトップに短パン履きで、首にタオルを引っ掛け現れた。皆と寛いでスイカを食べている珠生を見て、舜平はちょっと微笑んだ。 「お、美味そうやな」 「美味しいです」 と、珠生が美津子に向かって微笑むと、美津子は蕩けてなくなりそうなほどに目尻を下げて笑っている。 「ほんっっま可愛いなぁ〜〜珠生くん。ほんま、いつまででもおったらええんよ♡」 「は、はい、ありがとうございます」  愛想よく微笑む珠生だが、どこかその表情はすっきりとしていない。舜平は早々に珠生を部屋へ連れて上がることにした。  

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