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1「君を連れてきた」
歌が聴こえる。
切なく、悲しい──。
「……んっ」
アヤトの目に飛び込んできたのは、ぼんやりとけぶる視界だった。徐々に鮮明になっていく見慣れぬ景色。決して広くはない、小さな部屋。何故だか、たくさんの書物がページを開いたまま散乱している。
暖炉が燃え、薪がパチパチと弾ける音。
……暖かい。
「すみません。起こしてしまいましたね」
追い付かぬ思考の中で、青年が声をかけた。癖のある黒髪の猫毛に、黒い瞳。いかにも不健康そうな、青白い顔。下まぶたには、薄っすらと隈が滲む。
「うわっ!?」
「わぁっ!!」
思わず声を上げると、青年も肩をビクリと震わせた。
「き、急に大きな声を出さないで下さい……。僕、結構ジゴク耳なもので」
「地獄耳……?」
「はい。とっても耳が良い、ということです。こんな雪山に長らく1人で住んでいますから……趣味といえば自分の唄った歌を、山びこで聴くことくらいで」
「じゃあ、さっきの歌は」
「僕が唄っていました」
照れ臭そうに、青年が言った。
「すみません。この家に、人がいることが無いので……つい」
「い、いや。大丈夫だ。気にしないでくれ」
「それより、貴方はいったい何処から来たのですか? こんな町外れの豪雪地帯に、何の用が?」
「何の用って……」
ふと記憶を呼び起こしてみる。目覚める前、自分は雪山で何をしていたのだろうか。察するに、遭難して彼に助けられたには間違いなさそうだが──そもそも、どうして此処に?
考えれば考えるほど、浮かび上がるのは真っ暗な闇だった。
「思い出せない」
「……え?」
「何も、思い出せないんだ!」
「そんな、まさか! 倒れたショックで、記憶を……?」
当人以上に慌てふためきながら、青年がバタバタと手近な書物を広げた。
「参ったな。記憶喪失に関する記載はないみたいだ」
随分と古い書物だ。粗雑に扱われて、白旗を振ったページの数枚が、はらはらと床に落ちる。
「本が好きなのか?」
それを拾いつつ、アヤトが訊ねた。
「はい! ここにある本は、何度も何度も繰り返し読みました。内容を覚えちゃうくらいに」
「何度も? 新しい本を読んだりはしないのか」
「新しい本……!」
青年は、どんよりと黒い瞳を、打って変わってきらきらと輝かせた。しかし、直ぐに何かを悟って、暗い影を落とす。
「僕は、わけあって此処から出られません。食料は何とか調達していますが、本はさすがに無理でしょう」
「どうして?」
「……それは、お答え出来ません」
青年は、がっくりと肩を落とし、深い溜息を吐いた。
「記憶が戻ったら、俺が本をたくさん持ってくるよ」
「本当ですか!?」
「ああ」
「それなら、記憶が戻るまで此処にいてください! 雪山の独り歩きは危険ですし──暖かい寝床と、食べ物には困りません」
かくして、少年は雪山の小さな家に身を寄せたのだった。
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