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第1話

 自分の人生など、大嫌いだった。  己の意思などまるで通らないのならば、自我など持ちたくはなかった。  もう何もかも放り出して逃げてしまいたい。それすら許されない。老若男女、ありとあらゆる人間がそれを許さない。  せめて他を圧倒出来るだけの強さがあれば良かった。そうすればもっと堂々と振る舞えた。長旅についていくのがやっとの体力では、そんな事は夢のまた夢だ。  世界は今、滅亡の危機にある。  数百年前に封印した筈の魔人の王が、復活しようとしている。  各地に施された封印は弱まり、そこかしこで魔物が暴れ回るようになった。  でもこれはまだ予兆に過ぎない。全ての封印が破られてしまえば、全人類が戦争をしかけても平穏を勝ち取れる確証はない。  だから手遅れになる前に、綻びかけた封印を新しいものにする事が決まった。  その役に抜擢されたのが、勇者、と崇められる人物。  理由は単純明快、そもそも魔王を封じたのが彼の祖先であり、その血筋を以ってしか封印を扱う事が出来ないからだ。  末裔の中でも若く健康的な男性である彼が選ばれたのだが、しかし長く続いた太平の世に生まれ育ち、武芸などとは無縁な生活を送っていた。まだ封印の効力は完全になくなっていないとはいえ、結界の周辺は綻びから這い出た魔物たちでいっぱいだ。これでは封印に辿り着く前に力尽きてしまう。  そこで国中から名うて実力者を募った。軍隊長を勤めた屈強な騎士に、呪術にも治癒にも長けた魔法使い、近接戦に秀でた剣士と、トラップや毒に精通した錬金術師までついて来た。  世界を救う勇者様とそのご一行の話題は瞬く間に全土に広まり、今やどこを訪れても最も高級な宿屋の最も高級な部屋を無償で提供して貰える厚待遇だ。行く先々で、住人たちは快く出迎えてくれた。  勇者は精一杯の愛想を振り撒く。そんな時だけは、従者という扱いの面々も過剰なほど勇者を煽てた。  必要とされているのは自分個人ではなく、伝説と称される血の流れるこの体だと分かっていても、歓迎されているうちはまだいい。  世界中が自分を蔑んだら、名ばかりの勇者の精神は簡単に折れてしまう。  逃げ出すのは駄目。負けるのは駄目。  そんな醜態を晒そうものなら、非難の先は年端もいかない弟か、病弱で塞ぎがちな母親か、或いは流行り病で死んだ父親か。それだけが偶像に仕立て上げられた勇者の、最後の拠り所だった。  もう、本当は、世界なんて、どうでもいい。 「ほらあ。お前が役立たずなせいで、怪我しただろ? 勇者の癖に剣も持てないなんて、ホント、使えねえな」  剣士が腕に負った傷をこれ見よがしに見せ付けてくる。木の枝で引っ掻いた程度の掠り傷だ。 「……すみま、せん。私が、弱いばかりに、怪我をさせて、しまって」  従者たちは無駄に豪華な部屋の中央でわざわざ勇者を取り囲み、謝罪の言葉を強要させる。俯きがちにぎこちないながらも、勇者は求められる言葉を口にした。  毎度毎度馬鹿らしい儀式だが、応じなければもっと酷い事をされるに違いない。抗う事など、とっくにやめた。  まだ旅は終われない。だったら、少しでも楽な方がいい。 「傷薬だってタダじゃないんですよぉ? あなたが戦力にならないせいで、頻繁に街に寄らなくちゃならないの、分かってますかぁ?」  語尾を延ばす癖のある錬金術師が、大袈裟に言い放つ。消耗品の減りが早いのは、負傷の度合いとは別に使い方に問題があるからだ。 「イジメちゃカワイソーでしょ? 血筋しか価値のない勇者様ナンだからー」  独特のアクセントで話す魔法使いの言葉も、決してフォローなどではなく。 「…………申し訳、ありません」  両手をついて頭を下げる屈辱にも、もう感覚が麻痺しつつあった。この程度で音を上げていたら、身が持たない。 「謝るなら、誠意も一緒でないとな」  騎士ですらこれだ。こんなものは道徳でも規律でもない。ただの都合のいいこじつけだ。  無責任な声援を送る街の住人たちよりも、勇者を道具として扱っていたのは、従者である筈の彼らだった。 「で? 能無しの勇者様はどーやって詫びてくれんの?」  予定調和だ。  どうせいつも似たような展開が訪れるのだから、さっさと事を進めてしまえばいいのに、彼らはいちいち勇者に能動的な態度を強いた。如何に己が無能で役立たずであるかを反省させる。勿論、形だけではあるが、それがまた彼らを楽しませた。屈したくないのに屈しなくてはいけない状況を、毎回必ず見届ける。  最初の頃に比べたら慣れた。でも、感情が死に絶える事はなかった。  震える手で、軽装を解いていく。 「せめて、この体で、き……気持ち良く、なって、下さい」  顔を真っ赤にして、泣きそうになるのを堪えて、滑稽な台詞を吐く。 「気持ちヨク、だって」 「勇者様は物覚えも悪いですねぇ」 「まったく、せめてお前が女だったら良かったのによー」  ご満足頂けなかったようで、口々に不満の声があがる。そして口で言われただけで済む筈はなかった。  無駄口を叩かない騎士の装甲付きの足が、勇者の頭を踏んだ。呆気なく床に倒れ込み、体重などかけられるまでもなく、ごつごつとした金属に踏まれ顔が歪む。 「誠意が見えんな」  人の頭を踏み付けておいて、短く言い捨てる。  満場一致で、やり直しを命じられる。  ぐっと拳を握り締める。細い指だ。役立たずと罵られるのも仕方がない事だ。 「許して下さい……私の穴で、全身で、奉仕しますから……せめて、淫乱な体を、皆さんで使って下さい……」  だからって、何故、こんな事。  何故誰ひとり、こんな馬鹿な事はやめようと言わないのか。  半裸になって頭を踏み付けられ、謝り許しを請わなくては、もう生きていく事が出来ない。ただ静かに暮らしていただけなのに、それの何が悪かったのだろう。 「お願い、します」  機械的に声を発しているだけなのに、どうしても震えてしまうそれは悲壮感を煽った。如何にも、彼らが好みそうな具合に。  こんなのおかしい。まともじゃない。いくら戦力外だからといって、こんな無体。  それなのに言いながら昂りを感じる勇者も、最早常識を唱えられる立場にはなかった。

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