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第1話

この駅に引っ越してきて3ヶ月、気に入っているのは深夜を過ぎても飲み屋がやっていることだ。アパートから100歩、歩く程度の所にある居酒屋『喜八(きはち)』には週の半分は顔を出しているかもしれない。カウンターに座って冷えたジョッキに入ったビールを煽りながら夏樹は大きな溜息を吐いた。 「マジでついてねえよ」 そんなつもりはなかったが、思ったよりジョッキを強く打ち付けてしまって派手な音が出る。夏樹の座る目の前の焼き場で店主の杉八が笑った。 「確かにそんな短期間で風呂が壊れるなんて、とんだ物件つかまされたな」 「ありえねーよ、まだ3ヶ月だよ?二回も壊れるなんてさ」 「そんで、どうすんだ?」 「どうもこうも、こんな時間から風呂貸してくれなんて言えねー」 お通しの和風な味付けなポテトサラダをつまみながら夏樹は頭を抱えた。ライブハウスでの勤務を終えて帰宅したのは午前0時過ぎ。すぐに風呂に入ろうと湯を沸かしていざ入ろうとしたら水だった。と、いうのは丁度1ヶ月前にもあった。その時はまだ春先だったから1日やり過ごして次の日近場に住んでる友人に助けてもらったが、今は7月。やり過ごすには辛い。 「銭湯は?」 焼き具合をじっと見ながら杉八が聞いてくる。平日の真夜中だが、飲み屋街だからか20席ほどある席は埋まっていた。と言っても出るのは酒ばかりで、焼き鳥や他のつまみはそこまでのようだった。 言おうか言わないべきか夏樹は逡巡したが、品行方正な見た目とは言い難い杉八にその辺の偏見はないのでは?と勝手に結論に至ることにした。 「スミ入ってるんだよ、俺。別にヤクザじゃないよ」 「まー、ギターケース持ってくるヤクザはいないだろうな。確かにこの辺はダメなところも結構…おい、義人」 夏樹の後ろのテーブルに座る4人客に杉八が声をかける。一番手前に座っていた少し長めの髪をした細身の男が立ち上がってカウンターの夏樹の隣までやってきた。 「なに?」 「お前んとこ、刺青アウトか?」 「あー、一応。この辺組合でうるさいんだよね。それがなに?」 話の筋が見えなくて、杉八と義人と呼ばれた男を交互に見やる。 「こいつ、風呂壊れてんだってよ」 指をさされ少ししてから細身の男の目が自分を捉える。条件反射でどうも、と小さく頭を下げた。 「君、家近いの?」 「はあ、こっからすぐです」 「そう。俺、この裏手の道にある月光湯のものなんだけどね、一応刺青の入ってるお客さんは断ってるんだ」 「そう、すか」 聞いてもないのになぜか先手を取って断られて不服な気分になる。気まずくお愛想程度に笑っていると隣の席に腰をかけてきた。 「仕事は?」 「あ、ライブハウスで働いてます」 「じゃあ時間って遅い?何時入り?」 「大抵4時とか…」 ってなんで初対面でこんな話?飲み屋で知らない人と話すことはよくあるし平気だが、この男はそれとは何か違う。面接みてえだとうんざりした気分になる。 男はなにか考えるように、んーと目をぐるっと回す。 「一番風呂入りたくない?」 「は?」 要領を得ない問いかけについ疑問で返してしまった。なにが? 「うち4時に開けるんだけど、特別に開店前に入れてあげるよ。どう?」 「え!!!」 思ってもいない提案につい勢い立ってしまった。 「いいんですか?」 「いいよ。その代わり1時には来てくれる?」 「わかりました!すげー助かります!ありがとうございます!!」 「俺、兼谷義人(かねやよしと)ね。よろしく」 「瀧本夏樹(たきもとなつき)です。あ、良かったらビール飲みませんか?奢りますよ」 「え、いいの?」 勿論!と元気よく答え杉八に注文を通した。捨てる神あれば拾う神ありとはまさにこのことか!!思わぬラッキーに舞い上がりながら、やたらにこにこ顔の義人(こういう表情が普通なのかも知れないが)と乾杯を交わす。 明日にはビール代を返せと訴えたくなることになるとは知らずに。

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