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第4話

平日のライブハウスは出演者によって大分入りにばらつきがある。100人ほどでぎゅうぎゅうになるキャパのEARの本日の客入りは半分にも満たなかった。 「夏樹ぃ~」  ステージ端で全体の様子を見ていると、次の出演者と楽屋(と言ってもほぼ物置)と打ち合わせしていた店長の新井に声をかけられた。 「下の方混んでるみてーだからそっちヘルプ入ってやって」 「わかりました」 「多分今日は入り変わんないだろうし、下落ち着いたらでいーから」  夏樹は軽く頷くとステージの裏手に向かった。ここライブハウスのEARは5階建てのビルの一番上にある。その下4階には同じ経営者がしているカフェバーがあって、ライブハウスを利用していない客でも使えるようになっている。基本的に少人数で回しているここでは行き来することは珍しくなかった。  ビルの外側階段から降りて厨房につながる裏のドアを開ける。カフェバー「SONIC」の店長、未希が慌ただしそうに吊戸棚からグラスを出していた。 「未希さん、来ました」 「わー!ありがと!団体10名入っちゃってさ。ドリンクお願いできる?」 「わかりました」  これね、と出された走り書きの伝票を見る。ビール7、カクテル2、ソフトドリンク1、心の中で読み上げて作る順番を決める。  ホールには一人アルバイトがいるが、40席が半分以上埋まって軽食が出始めるとどうにも二人では厳しい状態が常だった。 「はー、助かったーありがとう~」 「いえ。俺洗い物するんで他あったらやってください」  目の前のカウンターに置かれた使用済みのグラスを両手で一気にシンクの中へ下ろす。おっけーと軽い返事をしながら未希はボブより少し長いオレンジ色の髪を括り直した。  夏樹くんはさ、としゃがんで下の冷凍庫から肉の塊を取り出して未希が言った。 「しばらくバンドしないの?」 「あー…」  カチャカチャとグラスを洗う音。答えようにも自分の中に答えがいまいち定まっていない夏樹はんー、と声にもならない唸り声を出した。 「前のバンド、ダメんなってちょっと色々考えてるんですけど」 「そんな修羅場な終わり方だったの?」 「いや、割と円満です」  そう、とことん話し合った結果だった。たかがバンドでって世間一般では言われるかもしれないが、3年間やってきたメンバーとの地底深く潜む軋轢は自分にとってはかなり重要で、彼女に振られた時より心身ともにこたえた。 「ヘルプは入ってるんだよね?」 「たまにですけどね」 「誘われたりとかは?」 「なくはないんですけど、まー…」  つい言葉を濁す。そっかーとまた軽い口調で未希が答える。こうしてヘルプの時によく話すが、あっけらかんとして軽く話を聞いてくれる未希に夏樹は好意を持っていた。 (どーしてもバンドやってる同士でこういう話すると説教入ってきたりするからなあ)  酒が入ってたら自分もそれ相応に返せるが、どうも素面の時に熱く話されても、という気分になってしまう。新井にそう言ったら「今時だねー」と鼻で笑われたけど。 「じゃあ最近何してんの?曲作ったりは?」  パリパリと小気味いいリズムでレタスを裂きながら未希が聞いてきた。最近、とワードを脳内に走らせる。最近といえば、ギター?いや、 「デッキブラシっすね」 「へ??」 「デッキブラシで床磨いてます」 「なにそれ」  まあそりゃ意味わからないよな、と自分でも不可解な経緯を未希に説明した。次の日大家に連絡したが掴まらず、またあくる日に連絡したら業者に伝えてくれたが中々お互いの日にちが合わずのままやっと見に来るのが明日だ。一日は水のシャワーで我慢したが、結局義人の「いつでもおいで」という言葉に甘えることにした(と言っても勿論労働つきだが)。未だに労働の割合に納得いかない気もするが、一番風呂の銭湯が魅力的なのは間違いなかった。 「銭湯!いーじゃん~」 「まあその前に汗かかなきゃダメですけどね」 「あはは。その人一枚上手だね。なに?好み??」 「は?男っすよ」 「あ、なんだ。女の人かと。夏樹くん年上好きじゃん」 「年上は年上ですけど…」  多分。そういえばいくつなのか聞いていない。明らかに年上なのは分かるが、30を超えてるか超えてないかは微妙なところだった。特に銭湯といえばじーさんばーさんがやっているイメージがあるから、あんな小綺麗で細身な男がやっている、というアンバランスさもあって分からなくなる。 「30ぐらいでってことは息子さんとかってことなのかな?」 「あー、どうなんだろ、他に人見たことないや」 「でもそんな若さで自分で銭湯したいって、よっぽどじゃないと出来なくない?」 「んー、確かに。でもあんまり好きって感じも…」  自分勝手、という言葉が浮かんだ。そう言われれば自分だってそうだ。高いとは言えない賃金でライブハウスで働いて、金になるのかも分からない音楽をして。 (それでも俺の自分勝手とは違うよな)  好きなことを生業にしてても毎日楽しいかと言われるとそうでもない。やりたくないことは山ほどあるし、やりたくても出来ないことも山ほどある。でもあんな風に諦めたような、我慢してるような…。 「ドリンクお願いしまーす」  黙々とグラスを拭いていた夏樹はカウンター越しから聞こえた声に顔を上げた。注文の伝票が置かれる。文字に目を走らせながら、考えていたことを頭の隅に追いやることにした。

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