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第3話

銭湯に入るのは何年ぶりだったか。もしかしたら親に連れられて来た記憶が最後じゃないのか。父親がやたら銭湯が好きで、家に風呂がないわけでもないのに自転車に乗ってわざわざ近くもない銭湯に行っていた。毎回ではないが、たまに付き合うのが子供の役目だった。思春期に入ってからは親と風呂なんて冗談じゃない、と行くことはなくなった。高校に入って父親は亡くなってしまったが、生きてたら今でも通っていただろうか。 (だったら刺青入れなかったかもな) 多分。きっと。22の今でも親と風呂に入るのは気恥ずかしさはきっとあるだろうけど、たまにの帰省で誘われたら断らない気がする。 「はあ~~~~」 自分でもびっくりするぐらい間抜けな声が出た。誰もいない貸切の浴槽の中、泳ぎたくなる変な高揚感を抑えて手足を思いっきり伸ばした。家の風呂ではさすがにこうはいかない。 浴槽の淵に頭を預けて、一面の壁を見る。銭湯といえば富士山。ここも例外じゃなかったが、違っているのは夜だった。濃い紺色から天辺にかけて淡くなるコントラスト。照らすのはまん丸く肥えた満月。 「お気に召した?」 ガラリと引き戸が開いて振り返った。表に置いてあったシャンプーの類が入っているカゴを持った義人が服のまま入ってくる。こっちは裸だから変な気分だ。 「気持ちいいっす、かなり」 「労働の後は最高でしょ」 不本意な労働だけど。と、今更ぶちぶち言うのもみっともないので、夏樹は押し黙った。代わりにこれ、と壁を指す。 「珍しいですね、夜の富士山」 「ああ、月が目立つだろ?月光湯だからね」 「あ、そっか。こういうのって職人が描くもん?」 「いや、」 言葉が続かない。返答を待っていると、ボトルを置いている義人がこっちに目をやった。 「ガッツリだね」 「へ?」 癖なのか、義人は主語が抜ける。夏樹は眉を顰めた。 「背中。おしゃれ程度なのかと思ってた」 「ああ」 肩甲骨から下の殆どしめるものに夏樹は手をやった。黒く塗り潰された人の形。仰け反った男の腹には刀が刺さっている。 「なんか意味あるの?」 「あー、これ死ぬことと見つけたりっていう時代小説の表紙の絵なんです。武士道っていうか」 「そのフレーズは聞いたことあるや。それで切腹?」 「まあでも死を美化してるんじゃなくて、死ぬ気でやり切れって意味だと、俺は思ってんですけど…」 どうもこういう話は酒が入っていないと大きい声では話せなくなるらしい。妙な気恥ずかしさを覚え、むず痒くなった。隠れたくてもここは風呂。隠したくても裸だ。 「いいね」 しばらく黙っていた義人が手を止めて言った。 「かっこいいと思う。似合ってるよ」 「そ、うすか…?」 「うん。チャラいバンドマンかと思ってたけど腹括ってるんだね」 「チャラい余計です。俺からしたら若いのにこういう仕事してる義人さんすげーって思うけど」 「そうでもないよ。俺はね、」 また変なところで言葉が止まる。作業を再開した義人を目で追う。括りきれていない前髪が横顔に落ちて表情は捉えずらい。が、 (何かを我慢するような) 「ここをやってるのは自分勝手な理由だよ」 そうして笑った。

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