132 / 132
だから、早く治せって。
「おい……、何やってんだ」
寝室の扉を開け、視界に飛び込んできた光景に思わず地を這うような声が出る。
「あ……、様子を見に来てくれたのか? 何度もすまないな」
視線の先には、寝台で上半身を起こしていた秀一が、立て掛けた枕へと背中を預けている。
穏やかな笑みを浮かべるも、『見つかってしまった』という心の声が今にも聞こえてきそうで、ばつが悪い様相が窺える。
「大人しく寝てろっつったよな……? テメエの耳は飾りか?」
「あ~……、いや、それなんだが、どうにも落ち着かなくて。つい、な……」
「つい、じゃねえ。何度も同じこと言わせんじゃねえよ。手間掛けさせんな」
扉を閉め、溜め息を吐きながら近付いていくと、秀一が申し訳なさそうに顎を掻く。
「こんな時まで仕事しやがって。これじゃ何の為に休ませたか分かんねえだろ」
「俺なら大丈夫だよ。そんなに大した事ないし」
「熱出してる奴が何言っても説得力ねえんだよな」
遮るように言葉を紡げば、膝にノートパソコンを抱えた秀一が苦笑いを浮かべる。
「悪かった。心配してくれてありがとう。嬉しいよ、咲」
こちらを見上げながら、柔らかく微笑んだ秀一がそっとノートパソコンを閉じる。
仄かに汗ばんだ表情からは万全でない事が窺え、無茶しやがってと微かに溜め息が零れる。
彼が口を閉ざせば、室内には静けさが漂い、暫くは見つめてから寝台の端へとおもむろに腰掛ける。
「ホントに反省してんのか?」
「してるしてる。ほら、この通り。パソコンも閉じたし!」
「そんな事言って俺が居なくなったらまた仕事始める気じゃねえだろうな」
「いや……、ははは。そんなわけないじゃないか。信用ないなあ」
「そりゃぁな、さっきも同じやり取りして覗きに来たらコレだからな。信用もクソもねえよな」
「大丈夫だ! 今度こそ大人しくしてるから!」
「なら、よこせ。没収。病人にそんなもん必要ねえよな」
「え……、それは、緊急のメールが入るかもしれないし……」
「なんだって?」
「いや……、はい。大人しく休んでます」
差し出されたノートパソコンを受け取り、名残惜しそうな視線を感じつつも気付かない振りをして、膝の上に置きながら一方の手を添える。
再び視線を向ければ、困ったような表情を浮かべる秀一が映り、唐突に舞い込んだ時間を前にどうしていいか分からないらしい。
「大人しく寝てろよ。最近ずっと忙しかったろ」
「そうだなあ。このところトラブル続きで、やっと落ち着いたと思ったらコレだもんな。まったく、参るよ」
「年寄りのくせに無茶するからだ。身体が追いついてねえんだよ」
「あ、ひどいなあ。俺はまだまだ若いつもりだぞ」
「どうだか。ま、気ィ抜けたんだろ。今のうちに大人しく休んどけよ」
念を押し、ノートパソコンを取り上げた事で流石に観念しただろうと思い、彼を休ませるべくその場を立ち去ろうとする。
「咲」
腰を浮かし掛けると呼び止められ、寝台に添えていた手をそっと取られる。
「なんだ」
「もう少しだけ……、そばに居てくれないか」
「俺が居たらいつまでも休めねえだろ」
「俺が寝るまででいいから」
「はぁ? 何ガキみてえな事言ってんだ。ったく……」
そっと握られた手が、いつもよりも熱を帯びている。
今度こそ身体を休める気になったらしい秀一が、枕を置きながら布団へと潜り込む。
繋いだ手は離さず、呆気にとられながら見つめるも、彼は気にする様子もなく眠りに就く準備を整えている。
「甘えんな。一人で寝ろよ」
「そんな事言わず、病人なんだから優しくしてほしいなあ」
「さっきまで平気そうにしてた奴がよく言う」
「そうだったかな? やっぱり少し、無理してたみたいだ」
感触を確かめるように、指を滑らせる彼の温もりに包まれ、遠慮がちに手を握り返す。
すると優しく応える手に握り返され、目蓋を下ろした彼が微笑みながら言葉を紡ぐ。
「今度こそ眠れそう……」
「最初から大人しく寝とけば良かっただろ」
「咲が居なかったから眠れなかったのかも」
「はぁ? 何言って……、恥ずかしい奴」
次第に間が空き、途切れ途切れになっていく言葉と共に、擦る指の動きがゆっくりになる。
それでも暫くは話していたが、返答がなくなってから視線を向けると、眠りに就いた秀一の唇から控えめな寝息が零れている。
意外とすぐ寝たな、と思いつつ様子を眺め、起こさないように注意しながら繋いでいた手を慎重に離す。
ノートパソコンを布団の上に置き、そっと近付いて彼の寝顔を見下ろすと、起きる気配もなく熟睡している。
相当疲れが溜まっていたのだろう事が窺え、これで少しは身体を休められると願いたい。
「心配させやがって」
寝顔を見守りながら呟いて、慈しむように頭を撫でる。
そうして身を引き、置いていたノートパソコンを持ち上げると立ち上がり、音を立てないように注意してその場を離れていく。
目覚めた時に備え、何か作っておくかと考えながら部屋の扉を開き、ようやく休んでくれた事に安堵する。
「世話のかかる奴」
溜め息を吐きながら呟くも、どことなく嬉しそうな笑みを浮かべている事には、気付かない振りをした。
【END】
ともだちにシェアしよう!