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最終電車

改札を出て、吹き抜ける冬の寒さに肩を竦めながら、足早に構内を移動する。 人通りは(まば)らで、日中の賑やかさとは打って変わり、今は凜とした静けさが漂っている。 最終電車ともあって、駅に着いた頃には日付が変わっており、濃密な夜が支配する。 家路に就こうと先を急ぎ、やがて冬空の下が見えてきたところで待ち人に気が付き、視線が合うと柔らかに微笑んでくる。 「おかえり」 駅を出て立ち止まると、目の前には朗らかな笑みを浮かべた秀一が佇んでおり、まさか居るとは思わず面食らってしまう。 「何やってんだ、お前」 「何って、律儀に帰る連絡をくれた咲を迎えに」 「わざわざこんな時間にのこのこ歩いて? バカだろ、お前」 「あはは、そうだな。お陰ですっかり冷え切ってるよ」 「いつから居たんだよ」 「ついさっき着いたところだ」 「迎えなんて、別にいいのに……。一人で帰れる」 「俺がしたかったからな。さ、帰ろうか」 白い息を風に遊ばせて、秀一が穏やかな笑みを浮かべる。 可愛げの無い台詞を吐いてしまうも、自分の為だけに来てくれた事は素直に嬉しい。 釣られて微笑みそうになるのを抑えながら、ゆるりと視線を逸らして暗闇を見つめる。 街灯の仄かな明かりを眺め、過ぎ行く冷たい風に思わず目を細めると、促すようにそっと背中を押される。 「思っていたよりも早かったな。てっきり朝まで飲んでくるかと思ってた」 歩き始めると、控え目に瞬く星空の下で、傍らから秀一に声を掛けられる。 「そうなりそうな勢いだったけど、逃げてきた」 「はは、そうか。たまに朝帰りしてくれても良かったんだぞ?」 「こっちの身がもたない……。アイツどんどん注いできやがって」 寝静まった街並みを歩みながら、つい数時間前の出来事を思い返す。 今夜は真宮と、ナキツや有仁(ありひと)も加わって、ひょんなことから飲みに行っていた。 自分でもよく分からない展開だが、彼等との縁は途切れずにずっと続いている。 今となっては腐れ縁で、主に真宮に振り回されてばかりのような気がするも、彼等と過ごす日常は素直に楽しくて安心する。 「久しぶりに会ったんだよな?」 「ああ……、そうだな。つっても、一ヶ月ぶりとかそんなもん」 「楽しかったか? 久しぶりにゆっくり話せて」 「まあ……、それなりに」 暖かな雰囲気に包まれた彼等とのやり取りを思い出し、自然と満ち足りた気持ちになる。 今夜は有仁が選んだ串カツ屋で過ごしてきたが、初めて行く場所でどれも美味しかった。 だからこそ今度は、秀一達と一緒に行きたいとも思えて、そういう考えに及ぶ自分を受け入れてからもうどれくらい経つだろうか。 「何食べてきたんだ?」 「串カツ」 「へ~、いいな! ビールが最高に合うだろうなあ」 「お前、最近腹出てきたんじゃねえの?」 「え!? ホントに!?」 「さあな」 思わず腹部を押さえた秀一を見て、笑いを堪えきれずに頬が緩む。 串カツが好きだろうことは、彼等と時を過ごしながらも考えていた。 なかなか店にまで出向くのは難しくとも、家でも多少の再現は出来るかもしれない。 そんなことを当たり前に考えてしまう自分に呆れるも、最早やめられそうになかった。 「安心した」 吹きすさぶ風に耐えながら歩いていると、傍らから穏やかな声を注がれる。 視線を向ければ、慈愛に満ちた笑みを向けられており、見ているだけでそこはかとなく安心する。 「何だよ、それ」 「咲が楽しそうで安心した」 「楽しいって……、俺は別に……」 「みんなと過ごして、楽しくなかったのか?」 「何でそんなこと……」 「咲?」 「う……、楽しかった……。これで満足かよ」 観念して、消え入りそうな声で吐露すると、秀一は満足そうに微笑む。 次いで温もりを感じ、気付いた頃には彼に手を握られていて、冷えた身体が少しずつ和らいでいく。 控え目に指を滑らせると、彼の手が柔らかに表面を撫で、分かち合う温もりが心地好い。 特に会話は無くとも、繋いだ手を徐々に握り返せば、相手もしっかりと応えてくれる。 「お前とも……、行きたいと思った」 「その店にか?」 答える代わりに、僅かに頷く。 「嬉しいな。絶対に行こう」 遠慮がちに視線を向ければ、星が瞬く空の下で微笑む秀一が映り込み、寒さなんて気にならなくなってしまう。 いつからこの夜に、暖かみを感じるようになっただろう。 目の前で楽しげに語らう彼を見て、いとおしくて仕方がない。 「ん? どうかしたか?」 「何でもない」 「もしかして見惚れちゃったかな? いいんだぞ~、心置きなく見てくれて!」 「……そうだな。見惚れてた、お前に」 「え?」 「迎え……、ありがとな。嬉しかった」 不思議と唇からすんなりと零れ落ちるも、気恥ずかしくて視線は合わせられない。 前を見つめると、ぼんやりとした街灯の明かりが点々と続き、家までの道のりをささやかに照らしてくれている。 繋いだ手が、照れ臭さも相俟って熱を帯びたように感じ、先程よりも暖かい。 隣から何も聞こえなくなり、次第に気になって恐る恐る顔を向ければ、額に手を当てた秀一が映り込んで少し驚いてしまう。 「何やってんだ……」 「噛み締めてる……」 「は……?」 「幸せだなあって」 「何言ってんだ、お前……」 思わぬ言葉に首を傾げるも、深い溜め息と共に手を下ろした秀一がこちらを見つめ、またやんわりと微笑んでくる。 「早く咲に会いたかったからな。迎えに行って良かった」 「少しくらい待てねえのかよ」 「無理だな」 繋いだ手を引かれ、寒々しさを吹き飛ばすような温もりが、この身を包み込んでいる。 真っ白な息を吐き出しながら微笑む彼に、言い様のない煌めきが降り注ぐ。 共に見る光景は、この先もきっと輝きに満ち溢れ、かけがえないものだと感じられる。 そんなことを過らせる自分に呆れるも、繋いだ手のように、今更引き離せやしないのだ。 「しょうがねえな……」 堪え性の無い彼か、絆されてしまった自分にか、不意に零れ落ちた言葉は傍らへと届くことなく風に流され、少しずつ見慣れた家が近付いてくる。 気儘な夜の散歩は、そろそろ終わりが近いようであった。 【END】

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