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3.芹川さんちのバレンタイン
ぶっきらぼうに答えるも、手元から目を離せない。
傍らで微笑んでいた秀一は、視線を逸らして三兄弟へと近付き、和気藹々とチョコレートを眺めていた彼らに声を掛ける。
「そろそろ一旦終わりにして、着替えてきたらどうだ? て、俺も人のこと言えないけどな」
「そういや帰ってからずっとチョコで盛り上がってたわ。二人とも鞄置いて着替えてこようぜ」
颯太と桐也を交互に見つめながら瑛介が立ち上がり、二人も鞄を持ち上げながら次男へと続いていく。
軽口を叩く瑛介を桐也が小突き、颯太がふわりと笑い声を上げて場を和ませ、仲のいい三兄弟が連れ立って扉から出ていく。
それを見送って、この隙に夕飯の支度でもするかとチョコレートをテーブルに置き、歩き出そうとしたところで声を掛けられる。
「咲」
振り返ると、穏やかな視線と目が合い、その手には何かを持っている。
近付いてよくよく眺めてみると、どうやらそれもチョコレートのようなのだが、先程瑛介と颯太がテーブルに並べた中には入っていなかった気がする。
どこから出てきたんだ、なんて首を傾げながら見守っていると、おもむろに秀一がそれを差し出してくる。
「え?」
「はい、咲の分。これは俺からだよ」
「俺に……?」
戸惑いを浮かべながら受け取り、藍色の外装に包まれた箱を眺めてから、窺うように秀一を見上げる。
すると視線で促され、素直に引っくり返してからテープで留められていた部分を剥がし、ゆっくりと包装紙を広げていくと徐々に中身が露わになる。
一旦包装紙をテーブルへと置き、現れた箱の蓋を開けてみると、そこには色とりどりのチョコレートが敷き詰められている。
「今年はそれかなあと思ったんだけど、どうだ? 当たったかな」
「なんで……」
「この前テレビで美味しそうに眺めてたじゃないか。だからどうしても、今年はそれを渡したかった」
笑顔で告げられ、どうして彼には何もかも見透かされてしまうのだろうと思っても、それは幸せなことなのだと分かっている。
確かにテレビで見かけて、美味しそうなトリュフの詰め合わせに惹かれていたが、それをわざわざ口に出した覚えもなかったので、まさか手渡されるとは夢にも思っていなかった。
それだけに若干の悔しさもあるのだが、自分を喜ばせようと用意してくれた気持ちは素直に嬉しい。
「貰っていいのか?」
「もちろん。それは咲のだからな」
にこやかに微笑まれて、胸の奥がじんわりと火照る。
気になっていたチョコレートを貰えた嬉しさよりも、それに気付いてわざわざ用意してくれた気持ちがたまらなくて、いとおしくて、どんな顔をしたらいいのか分からなくなる。
俺も何か、用意すれば良かった……。
なんていじらしい想いが溢れ、気恥ずかしくて視線を合わせていられず、箱を持ったまま突っ立って何にも言えなくなってしまう。
そのうち頬へと温もりが触れ、指で撫でられると仄かにくすぐったくて、甘ったるい熱が徐々に身から湧き出していく。
「喜んでもらえて良かった」
「俺……、何も用意してない」
「そんなこと気にしなくていいんだよ。俺が咲に渡したかったんだから」
「お前には……、なんでもお見通しだ。俺にも、もっとお前のことが分かったらいいのに……」
頬を撫でる手を心地好く感じながら擦り寄り、ゆっくりと瞬きする。
お前が気付いてくれる分だけ、俺にも理解出来たらいいのに。
「もう十分過ぎるくらい、分かってもらえてるよ」
「足りてない。お前にはまだ及ばない」
「そんなに張り合わなくてもいいのに」
「俺は早くお前と……」
対等になりたい、という言葉を呑み込むも、秀一にはとうに見透かされているのではないだろうか。
拗ねた子供のような自分に嫌気がさすも、心地好い温もりに自然と和んで、視線が交わってから唇を重ね合わせるまで時間はかからなかった。
軽く触れ合わせて、まだ離れがたくて窺うような視線を向けてから、甘美な熱情を育みながらどちらからともなく近付いていく。
「桐也お兄ちゃんが俺のこといじめる~!!」
扉が開くと同時に飛び込んできた声に、何事もなかったかのように瞬時に離れるも、真顔の裏では心臓がバクバクとうるさく脈打っている。
私服に着替えた瑛介がわざとらしい泣き真似をしながら駆け込んでおり、桐也といえば付き合ってられないとばかりに溜め息をついて遅れて現れる。
「どうしたんだ、二人とも。また喧嘩か?」
「喧嘩にすらならねえんだよ、コイツとじゃ。つか、まだ着替えてなかったのかよ」
「お、そういえばそうだった。俺も着替えてくるよ」
桐也と話していた秀一が退室し、賑やかさを取り戻した室内で人知れず安堵の溜め息を吐き、貰ったチョコレートを一旦ダイニングテーブルへと置く。
「わあ、こういうチョコレートもあったんだね!」
すると、いつの間にか着替えて戻ってきていた颯太が隣に居り、今しがた置いたチョコレートをキラキラとした目で眺め、嬉しそうにしている。
「あとで食べるか」
「うん! チョコレートいっぱいだね」
「そうだな。でもそろそろ片付けねえと、このままじゃ飯食う場所がねえ。颯太、頼めるか? あそこの二人こきつかっていいから」
「お片付けします!」
にこやかに敬礼のポーズをとった颯太が、応援を呼ぶべく二人の兄の元へと駆けていく。
後ろ姿を見送りながら歩を進め、キッチンへ赴いてからもじんわりと温まった灯火がずっと胸に宿り続け、心を仄かに照らす。
兄弟達の手伝いでこれからホワイトデーまで忙しくなりそうだと思っていたが、自分でも何か用意しないと気が済まなくなってしまった。
我ながら馬鹿だなと感じるも、逸る気持ちは抑えきれない。
「ま、いいか……」
微かに笑んでから手を伸ばすと、仕込みを終えていた鍋へと火を入れる。
居間からは相変わらず賑やかな声が聞こえていて、当分静まることはないのだろう。
いつもと変わらない、平穏な日常が流れていく。
それは心地好く、いつしか手離せなくなっていた安息であった。
【END】
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