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雨上がりの唄
「雨が止んで良かったな」
秀一の言葉を聞いて、周囲へと視線を向ける。
道沿いに色とりどりの紫陽花が咲き誇り、水気を帯びた事でより鮮やかに映り込む。
道中は雨が降っていたが、到着する頃には奇跡的に止み、どんよりとしていた空には徐々に光が射し始めていた。
「お前がいるから諦めてたんだけどな」
「えっ、もしかして雨男だと思われてる?」
「お前といると雨が多い気がする」
「誤解だ、咲。確かに最近、出掛ける度に雨に降られていた気がするが、梅雨で天気も不安定だからな」
「まだ梅雨入りしてねえだろ、この辺は」
「でも! 止んだし!」
「まあ、晴れたから許してやるよ。疑惑は晴れねえけどな」
振り返りながら悪戯に微笑み、儚げで美しい紫陽花を眺めつつ先を歩いていく。
本気で思っているわけではなかったが、ついからかってしまう。
寧ろ急な雨に降られてもこうして上がるのだから、実は晴れ男なのかもしれない。
「気を取り直して……、どれも本当に綺麗だな。雨に濡れた紫陽花も、しょっちゅう見られるものじゃないと思えば貴重じゃないか」
「そうだな。感謝しておいてやるよ」
「あんまりいじめるなよ」
立ち止まって眺めていると、傍らへと追い付いた秀一が笑い、何処からともなく歌うように朗らかな鳥の囀りが聞こえてくる。
穏やかな朝の風景に自然と気持ちが凪ぎ、数え切れない程の紫陽花が静謐な空気を湛える。
日常でも紫陽花を目にする事はあったが、一度にこれほどの光景を前にする機会はそう訪れるものではない。
何処か夢のような、艶やかな美しさが現実味を薄れさせ、此処ではゆっくりとした時間が流れている。
隣を見れば、秀一が花々を愛でており、穏やかな笑みが幾千本の儚き命に向けられる。
視線を奪われて、暫し端正な横顔をぼんやり眺めていると、不意に向けられた双眸と目が合う。
「どうかしたか?」
「何もない」
「あ、もしかして俺に見とれてたとか? 嬉しいなあ」
「それはない。断じてない。あってたまるか」
「そんな力いっぱい否定しなくても……。優しくしようよ」
悟られぬようにそっぽを向き、紫陽花に囲まれた道を歩き始める。
「それにしても綺麗だなあ。見ているだけで癒される」
「さっきからそれしか言ってねえぞ」
「う、確かに。でも綺麗なのは本当の事だし。これなんて途中から色が変わってる。赤とかピンクとか、こんなに色の種類があったんだなあ」
「土壌の酸性度や品種で色が変わるらしいぞ」
「え、そうなのか? すごいぞ、咲! 物知り!」
「うるせえ」
気恥ずかしさから一蹴するも、懲りない秀一は側で感心している。
「これからも一緒に、沢山色んなところに出掛けような」
「急に何言ってんだよ」
雨に濡れた紫陽花に手を伸ばし、指でそっと水滴を掬い取る。
視線を向ければ秀一が微笑んでいて、彼方の空にはいつの間にか晴天が広がりつつある。
「やっぱ晴れ男なのか」
「ん? 何か言ったか」
「何でもない」
限りなく広がる色鮮やかな紫陽花を見つめ、忘れられない思い出がまた一つ出来上がる。
今度は悟られぬよう、佇む彼を目に焼き付け、穏やかな日常を鳥の囀りが彩る。
彼となら何処にでも行きたいが、正直一緒に居られるなら何だっていいのだ。
そんな事は口が裂けても言えないが、我に返って視線を逸らし、藍色の手鞠のような紫陽花へと視線を落とす。
「家でも育てられんのかな」
花や野菜でいっぱいになってきた庭を思い浮かべつつ、それもいいかもしれないなんて考えてしまう。
自分にこういう一面があるとは、あの頃には思い付きもしなかっただろう。
「この青い紫陽花もいいよなあ。一番好きかもしれない。そういえば花言葉ってあるんだよな」
「調べてやるよ。青い紫陽花は……、浮気だってよ」
「えっ?」
「なるほどな。惹かれるものがあったわけだ」
「いやいやいや。誤解だ、咲。ちゃんと説明させてくれ」
「誤解するようなやましい事でもあるのか?」
笑いそうになるのを堪えながら、携帯電話を片手に歩き出すと、何故だかあたふたした秀一が追い掛けてくる。
青い紫陽花には、知的や神秘的、冷淡という花言葉も添えられており、知性に富んだ彼には似合いの色合いだろう。
種明かしをするには勿体ないが、もう少し楽しんでから教えてやろうと思う。
「移り気、無情、冷たい人」
「ええ、どうしよう。花言葉って前向きな意味だけじゃないんだな……。これから挽回させてくれ」
「ハハ、誰もお前の事なんて言ってねえだろ。何を挽回する気だよ。こんなに楽しいのに」
「え……、今楽しいって言ったのか?」
「さっさと行かねえと置いてくぞ」
「俺も楽しいよ! 咲!」
「はいはい」
【終】
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