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番外 ゆく年くる年2

「で。初詣、行くのか?」  あれほど乗り気でなかった丈が言ったものだから、喜ぶより先に驚いてしまった。 「あ、うん、行きたい。です」  しどろもどろに返事をする日夏をよそに、さっさと立ち上がって、鴨居のハンガーからダウンを取って羽織る。その隣の日夏のダウンを投げて寄越すと、ほろりと片頬で笑う。 「寒いからな。とっとと済ませちまおう」 「もー、丈さん、そういうこと言わないでよ」 「なにがだよ」 「ところで丈さん、このへんの人が初詣する神社ってどこなんですか?」 「さあ」 「さあって」 「俺が知るわけないだろ」 「威張らないで」 「歩いてりゃわかるだろ。お前らは?知らないのか?」 「知らないよ。知らないけど」  浮き立った心が沈むより早く、エディが水戸黄門の印籠のごとく携帯電話を突き出して見せる。 「そういう時は検索~」    駅の方向とは逆、つまり呑み処東雲とも逆方向へ十五分ほど歩いた先、賃貸マンションと雑木林に挟まれるようにその小さな神社は建っていた。いつもはさぞひっそりしてるのだろうと思われるおんぼろな神社だったが、この日ばかりは近所の人たちが集まるのだろう、灯篭が掲げられ、屋台が出て、道路に面した鳥居からは既に行列が伸びていた。最後尾についてしばらく参拝の順番を待ちながら「二礼二拍一礼」という作法についてエディからレクチャーを受けたものの、いざ自分の番になったらちっともうまくできなかった気がする。鈴を鳴らして、柏手を打って、礼をして……ええと。頭の中で願い事を唱えて目を開けると、隣にいたはずの丈はもうおらず、列から離れたところで待ってくれていた。周囲から頭一つ飛び出した、がっしりと背の高い姿。 「ちゃんと願い事したか?」 「うん」 「叶うといいな」 「……うん」  両手をポケットに突っ込んだまま笑う丈の、今は寒さで少し丸まったダウンの広い背中を見つめる。  ずっと傍にいられますように、と願ったのだ。  高望みだとはわかっている。でも、だからこそ、願う。 「丈さんは?願い事」 「商売繁盛」  白い息とともに簡潔な四字熟語を放って日夏を笑わせると、辺りを見回す。 「こんな所あったんだなぁ」 「お店の神棚は?お札とかどうしてたんですか?」 「あれは神棚が本体だとかで、特に護符を置いたりしないらしい。居抜き物件だから、前の神棚そのまんまってだけで、俺もよくわからんが」 「そうなんですか」  呑み処東雲の小さな神棚にも、大掃除でしめ縄を飾り、新しい榊を飾った。言われてみれば、護符の類は飾られていなかったような気がする。実のところ大して気に留めたことのなかった神棚だったが、こうやって初詣なんかして、丈の口から冗談半分かもしれないが商売繁盛なんて言葉を聞いてしまうと、これからは毎日手入れをしようなんて思う。 「ひなっちゃーん」  陽気な声に呼ばれてきょろきょろと首を巡らせると、エディがしきりに手招きをしている。 「おみくじがある」  彼の指さす飾り気のない木箱に「おみくじ」という張り紙あるので、きっとおみくじなのだろう。 「ねえ、やろうよ」 「あの、丈さん、やってもいいですか?」 「なんで俺に訊くんだよ、好きにしろ」  苦笑した丈に背中を押され、エディと朝倉に駆け寄る。 「百円だって。俺が奢ってあげよう」 「え、そんな、いいですよ」 「いいんだよひなっちゃん、エディにはこれくらいしか奢ることができないんだ。奢られてあげてよ」 「そうそう、お年玉。はい入れた、ひなっちゃんどうぞ」  木箱の穴に手を入れると、かさかさと思ったよりたっぷりした紙の感触がある。おみくじなんて子供の頃以来だなと、なんだか急にどきどきしてしまい、緊張する手で一つ取り出す。 「せーので見ようよ」  という提案の元、続いてエディ、朝倉がおみくじを引き、折りたたまれた細長い紙を一斉に開いた。  真ん中あたりに大きな文字で書いてあったのは――「あ、小吉」  頭上で背の高い二人が顔を合わせ、日夏を見下ろしてくる。 「俺もエディも小吉だったよ」 「ほんとですか?」 「ん?」 「三人仲良く小吉か。それもまたよし、ですな。まあ、小吉あたりがやっぱり一番数が多いのかな」 「……あー、うん、そうだねー、オッケーオッケー。ひなっちゃん、ちょっとそれ見せてもらってもいい?」 「え?」 「いやあ単なる好奇心というか、中身も一緒なのかなーと思って」 「はい、どうぞ」  差し出されたエディの白い手におみくじを渡すと、お互いのおみくじを比べるようにためつすがめ眺めたエディは、律儀にそれをたたんで日夏へ返してくれた。 「ありがと。さ、行こっか、丈さんが飽きてる」 「結ばなくていいんですか?」 「結ぶのは悪い結果の時だけらしいよ」 「あ、そうなんだ」  でも小吉って、良いんだろうか悪いんだろうか、と、もう一度おみくじを開く。 「――あの、エディさん、朝倉さん」 「どうだった?」 「聞いてよ丈さん、ひなっちゃんだけ大吉!東雲にもおこぼれでいいことあるよ、きっと」 「さすが俺たちの天使ですよ」 「へえ――どれ」  手元を覗き込んでくる丈と、ダウンの腕と腕が擦れる。 「本当だ。よかったな」  今、手の中で開いたおみくじには、真ん中あたりに大きな文字で「大吉」と書いてある。  エディと朝倉はこちらを振り向いてくれない。 「うん……よかった」  きっと反則だけど。取れそうなほどかじかんでいるはずの指先が、じんわりと熱くなってくる。  丈に拾われて、呑み処東雲に来る人たちに出会って、こんなにも幸せなことばかり起きる。  たまらない気持ちで丈を見上げると、気付いた彼は目元に深い笑い皺を一本刻んで、日夏の頭を軽く撫でてくれた。    振る舞いの甘酒を一杯もらい、ちびちび飲みながら(丈たちも一度ずつ甘酒に口をつけたが、三人とも曖昧に苦笑してすぐ日夏に返した)帰り道を四人で歩いた。アパートに戻ると誰からともなく雑炊の話が持ち上がり、鍋の食べ残しからカニの身をほじる係をエディ、鶏肉を骨から剥いでほぐす係を朝倉、汚れた食器を洗う係を丈が請け負うことになった。残ったスープで残りご飯を煮て、卵で綴じて、新しく刻んだネギを散らしたら、出来上がった雑炊は思いのほか豪華なものになった。呑兵衛たちは結局また新しい缶ビールを開け、反省した自分はオレンジジュースを開けて、熱々の雑炊を啜った。 「丈さん、泊まってっていい?」 「最初からそのつもりだったろ」 「もちろんそうだけどー」 「ったく……日夏は嬉しそうだよな」 「はい、嬉しいです」 「…………ひなっちゃんはほんと」 「天使!」 終わり

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