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それって媚……編 8 この媚薬は効果保証付きです。
朝だ。
朝が来た。
「……」
起き………………。
「……ひえぇ」
たくない。
いや、起きて、どんな顔して千尋さんに挨拶したらいいのかわからない。
とりあえず、布団の中でもぞもぞと丸まった。そして、自分が裸だっていうことにもまた「あ、あ、あ、あ」って慌ててる。
――溶けちゃうぅ……ンっ。
じゃないよ。
というより、今、溶けたいよ、俺。跡形もなく。
あのチョコ、恐ろしい。
何が恐ろしいって、お酒に酔っぱらって、理性忘れてるのとかとは違うからさ、ぜーんぶ覚えてるのが恐ろしい。
あーんなことも。
こーんなことも。
あれもこれも、あんなことも。
全部覚えているのが恐ろしい。
効果が持続している間のことは一切覚えていないので注意してください、とかならよかったのに。いや、それはそれでどんなものが入っているんだ! って、怖いけどさ。
でも、昨日の俺は違うんです、あんなこと、普段なら――。
「……うぅ」
「起きないのか?」
「ひゃぎゃああああ!」
そこにいないんだと思っていた。リビングにいるのかなぁって、なんの音もしなかったから。いや。わかんないけど。布団の中で羞恥心に悶え苦しんでいたから気がつかなかった。
「おい。環?」
「……は、はい」
「顔を出せ。布団の中にそんなに潜ってるとのぼせて鼻血出るぞ」
「い、いえいえ」
「もうシーツもバスタオルも全部干したんだ。洗濯またやるのめんどくせぇだろうが」
「! あい、すいません!」
シーツもたくさんのバスタオルも洗ってくれたんだって、これ以上の面倒を旦那様にかけるわけにはいきませんって、急いで顔を布団の中からズボッと出した。
「っぷ、お前、真っ赤だぞ」
「あ……いえ」
これはのぼせたんじゃなく、羞恥心が……その。
「……ったく、昨日は変なもの口にしやがって」
「ご、めんなさい」
「まぁ、特に食っても問題なさそうだったからいいけどな。けど、帰ってきた時は本当に慌てたんだぞ」
「! ごめんなさ、」
心配をかけちゃったって、布団から顔だけ出すとかじゃなくて、起きあがろうとしたところで千尋さんが俺の頬を撫でてくれて、おでこのところに優しくキスをしてくれた。ちょこっとなのに、でも三年経っても今でもドキドキしちゃう優しいキス。
「どこも痛くないか?」
「あ……う、ん」
「そうか?」
「は、い……大丈夫、です」
そして、照れて俯くと、小さく笑ってから、頭のてっぺんにキスをくれるんだ。それがなんだかすごくすごく大事にされていると実感させてくれるから、俺はこの二つのキスがたまらなく大好きで。
「あの、昨日は心配かけてごめんなさい。その、変なもの食べちゃって。でも俺、千尋さんに喜んでもらいたくて、それで、その暴走しちゃったっていうか。でも、いつも俺、上手にリードも誘ったりもできないけど、俺、本当にいつも昨日はちょっとあれで、テンション変だったけど。でもでも俺、いつも、本当にっ」
「いや、あのチョコ、ただのチョコだろ」
「…………へ?」
「まぁ、少しは何かそういうカフェインみたいなものは入ってそうだけどな。エナジードリンクみたいな。食ったら、少し、目が冴えたから」
「へっ? た、食べたんですか?」
「あぁ、一応サイトで調べてみたりしてからな」
で、でも、俺、確かに。
「それに」
「?」
「お前、そんなに大して変わってなかったぞ」
「…………」
「いっつも、あのくらいトロトロだろうが」
いや、そんなわけない。
「まぁ、少し、高揚感はあったかもしれないが。チョコ効果で」
そんなわけ、ない……ってことにしたい。
そして、穴があったら入りたい。というか、やっぱり、俺、溶け。
――溶けちゃうぅ……ンっ。
ぎゃああああああああ、溶けたい。今すぐ溶けたい。本当に溶け。
「でも」
「?」
もう一回布団の中に潜り込みたくて頭を抱えた俺に千尋さんが笑ってくれて、布団ごと俺を抱き抱えてくれた。ベッドに座って、旦那さんに洗濯物ぜーんぶやらせて寝こけてた、ぐーたら嫁を大事そうに抱き抱えてくれる。
「いつも通り、可愛かったよ」
「!」
「媚薬なんか使わなくても、お前は可愛いし」
「!」
抱き抱えながら、微笑んで、まだ服も着ていない俺に口付けをくれる。触れて、離れて、ドキドキしている俺の唇を少しだけ吸ってくれる。小さな小さな気持ちイイに胸が踊るキス。
身体も気持ちも、キュンってするキス。
「今でも」
「……ぁ」
ど、しよ。服着てない。まだ裸ん坊で、だからこんなふうに抱き締められて、キスをされちゃうと、俺。
「……環、お前は」
俺――。
「エロくて、スケベだよ」
「あ、あ、あ、あ、あ、あの」
「洗濯はしたし、朝食はいつでも食べられるように用意した。お前の好きな卵サンド。だから」
朝、ですけど。
朝、なんですけど。
それに、チョコレート効果はもうすでになさそう、なんですけど。
「先にこっちを食わせろ」
「……あっ、ン」
でも、爪先までじんわりと熱くなって、深い深いキスにまた蕩けてた。
後日談っていうか、二人に言われた。
「えー? だって、別にたまちゃんがそんな心配することないくらいに、ラブラブじゃん。床上手とか目指さなくても、その素人臭さがまた売りっていうか」
なにその、売りって。しかも素人臭さが、俺の売りなの?
「大丈夫ってわかってたし。たまちゃんはそのままで充分助平だから!」
そこ、そんなに力説されてもさ。って、なんか愕然とした。
そして、もう一方では――。
「心配することなんて一つもないとわかってたわ。そもそも、そんな上手に誘えなくても、問題ないと思うし。そのまま上目遣いで、ちらっと見ればもう問題なしでしょう?」
………………あの、そうじゃなくて、俺の友達の相談っていう設定だったんだけど。もうその設定無視で普通に返事されちゃってるし。
「なんだ、お前、二人に相談したのか?」
だって、他にこんなの相談できる人いなかったんだもん。ことの顛末を加納さんが運転してくれている帰りの車の中で話したら、千尋さんが笑っていた。
「まぁ、そこも可愛いけどな」
今、俺の今日まで悩んでいたことについてのトークに可愛いと思ってくれるような場所なくなかった? あった?
「……ったく、おかしなことに急に悩みやがって」
「って、ちょ、千尋さん! そのチョコ!」
「あぁ。あと一個だな」
なんで、普通にお菓子みたいに食べてんの? カフェイン効果で眠くならないから助かるなんて言いながら何普通に口をモゴモゴさせてんの? あの、それ俺には確かに媚薬入りで。
「食いたかったか?」
「め、滅相もございません!」
「そうか? 結構美味いのに……甘くて」
「ひゃあああ!」
身を乗り出して、俺の耳元に「……甘くて」と低い声で囁かれて、慌ててその耳を手で抑えた。
そんな俺の慌てぶりに、まるで大魔王のように微笑んでる。媚薬入りのチョコレートをおやつのように食べる俺の大魔王みたいな旦那様こそ。
「環」
もしかしたら俺にとって一番の媚薬なんじゃないかって、触れてくれたその指先にドキドキしながら思ったんだ。
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