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第35話 仲直り
見覚えのある茶封筒に、反射的に窓際を見る。
机に座って肘をつき、手の甲の上に顎を乗せたハシユカとバチッと目が合うと、楽しそうに奴は嗤った。
今度は、何の写真だ。また綾人と華那の写真なら、持ち物検査をされた時、ストーカーだと決め付けられてしまう。
だけどハシユカの笑みは、新しい玩具(おもちゃ)を見付けた赤ん坊みたいに、何処かキラキラとさえしてた。
これは、綾人と華那の写真じゃない。
直感的にそう思った。
二時限目の始まりのチャイムが鳴ったけど、まだ先生は来ない。
地理のお爺ちゃん先生は、いつもちょっと遅れてやってくる。
俺は思い切って、封を開けた。中には、たった一枚の写真が入ってた。
粒子の粗い、夜に高感度カメラで撮ったような写真。
綾人が俺の座席に手をかけて、車をバックさせてる写真だった。その瞬間、俺は発情期に浮かされて、間近の綾人の気配に惑ってた。
一枚の写真は、その俺の綾人を見詰める、確かに色を含んだ瞬間を捉(とら)えてる。
見ようによっては、キスする瞬間の写真のようにも見えた。
こんな写真が出回ったら、綾人が危ない。俺は写真を茶封筒に戻して、咄嗟にブレザーの中のワイシャツの胸ポケットに突っ込んだ。
二時限目の間中、左胸に収まった写真の下の心臓をドキドキさせて、俺はその危険性を綾人に知らせるべく、頭をフル稼働させていた。
* * *
二時限目を終えて、俺は目立たないように保健室に向かった。
例によって、一番奥のベッドには、シィが横になってた。
だけど眠ってはなかったようで、ドアの開く音に起き上がる。
保健の先生……ポニーとは、すっかり顔馴染みになっていた。身長が百四十センチでポニーテールだから、ポニー。
俺とシィが仲良いのも、知ってる。
「おはよう、四季くん。シィと喧嘩でもした?」
「え」
シィに襲われかけたのを、今更になって思い出す。綾人でいっぱいいっぱいだった。
「四季くん、謝りたいんだ」
「や……良いよ。お前のせいじゃないし」
「殴り合いでもしたの? 唇が切れてるわよ、四季くん」
「ああ、ちょっと」
「薬をつけてあげるわ。座って」
「はい」
曖昧な物言いをするけど、カウンセラーも兼ねているポニーは、詮索したりしない。
唇に、何か薬を塗り込まれた。苦い。綾人とのキスの味を思い出してしまう、ほろ苦さだった。
シィが恐る恐る訊いてくる。
「四季くん、怒ってる?」
「怒ってねぇよ。お前のせいじゃないから」
「じゃ、一緒に教室戻ろう?」
シィの瞳を窺うと、必死にドアを見て目配せしてた。ポニーが居る所じゃ、ちゃんと話せないもんな。
俺はその案に乗った。
「ああ。仲直りしようぜ」
そして俺とシィは、屋上へとやってきた。
不良なんて居ない小鳥遊学園だったから、屋上は俺たちだけの秘密の場所になっていた。
「四季くん、本当にごめんなさい。ぼく、四季くんが初めて出来た友達なんだ。親友だって、勝手に思ってる。それなのに、あんな事しちゃって、ごめんなさい」
繰り返し謝るシィの大きな瞳には、うるうると涙が溜まってた。
俺は思わず、シィの頭に掌をポンポンと乗せる。
「良いんだ。結果オーライだし、もしあのまま襲われてても、俺がΩだって隠してたのが悪いんだから」
「ぼく、絶対誰にも言わないよ!」
「サンキュ」
シィの必死さが伝わってきて、こないだまでの純粋だった自分を思い出し、懐かしく微笑んだ。
「それで、早速だけどシィ。また相談があるんだ」
「えっ。何? アーヤ?」
「元は、それなんだけどよ。ハシユカってクラスメイトが居て、付き合うのを断ったら、追い回されてるみたいなんだ。今日、俺がアーヤのストーカーだって、三年の間で噂になりまくってるらしい」
ブレザーの中に手を入れて、茶封筒を取り出す。
「これなんだけどよ」
封筒ごと渡すと、シィは中身を出して、アッと息を飲んだ。
「撮られちゃったの?」
「ああ。こんな写真が出回ったら、綾人がクビになる。綾人は婚約者とよろしくやってるみてぇだけど、一度惚れた相手だ、俺のせいでエリートから落ちて欲しくねぇ」
「四季くん……アーヤの事、本当に好きなんだね」
他の奴に言われたら、馬鹿言うなって反発する所だけど、相手がシィだから、俺は素直に頷いた。
「自分でも、不思議なんだ。酷い事いっぱいされたけど、嫌いになんてなれねぇ……」
「じゃあ取り敢えず、この写真をどうにかしなくちゃね。何処に捨てても、この写真がある限り、アーヤと四季くんの身が危ないよ」
「細かく破って埋めるとか?」
「ぼく、少年探偵の役もやった事あるけど、目聡い人は掘り起こされた跡を見付けると、何かあると思って掘り返すって」
「じゃあ……燃やす?」
「それが良いかも。しかもこれ、高級な合成紙だよ」
シィが力を込めるけど、ちっとも写真は破れない。
「理科室」
ユニゾンして、俺たちはニッと笑い合った。
三時限目の始まってる廊下を、廊下側の窓から見られないように、腰を屈めてソロソロと進む。
理科室に着いて窓から窺うと、ブルーにホワイトのストライプネクタイの、一年生が使ってた。
「駄目だ……放課後までに何とかしねぇと」
「あっ! 確かアーヤ、煙草吸うよね?」
「あ、そうだな」
いつか、肺ガンで死なないでくれと禁煙を勧めたのを、ぼんやりと思い出す。ホントはハッキリ覚えてたけど、敢えてフィルターをかけた。
思い出すと、涙が出そうになるから。
「アーヤに知らせて用心して貰う事も出来るし、事情を知ってて自由に使える火持ってるのなんて、アーヤだけだよ」
「そうだな……」
会いたいような、会いたくないような、複雑な感情だった。
「確かに俺も、この写真の事を、綾人に知らせなきゃって思ってたんだ」
「じゃあ、話がややこしくなるから、ぼくは行かない方が良いね。応援してるから頑張って、四季くん!」
「ああ……」
俺はまた茶封筒をワイシャツの胸ポケットにしまって、副理事長室への渡り廊下を目指して屈んだ。
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