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第6話 ファーストキス

 次の日も抑制剤を飲んで、重い身体を引きずるようにして、学校に行く。  発情期は三ヶ月に一回、一週間ほど続く。その間、俺は堪らない眠気と倦怠感に悩まされる。    一時限目が始まる頃に登校すると、綾人と鉢合わせる事が分かったから、今日は二時限目が終わる頃、学校への道のりを辿っていた。  案の定、あいつの車が横付けされる事はなくて、ホッとする。  でも、あいつは俺がΩだって確信してる。  警察に通報されるだろうか……普通のαなら、Ωをいぶり出すのなんか、何とも思わないどころか、使命とさえ思うだろう。  不安を抱えながら、校門をくぐって校舎に入った。  三時限目中のシンとした廊下を、真っ直ぐに保健室に向かう。シィは居るかな。シィと会うのを期待している自分に気付いて、いけないと戒める。  期待は禁物。傷付く事になるのは、自分だ。 「四季」  ほら、期待が裏切られた。後ろからかけられたのは、綾人のシニカルな声だった。  振り返りも、返事さえせずに、保健室へと急ぐ。   「おい、四季」  だけど肩に手がかかって、俺は仕方なく振り返った。 「何だよ。また小言か?」 「いや。昨日の事を、謝ろうと思って」 「良いよ。放っておいてくれ」 「だが、君は泣いていた。Ωの辛さを、もっと考えるべきだった」 「ばっ……!」  こんな所でΩの話なんかされたら、誰に聞かれるか分からない。俺は綾人の目をキッと睨み上げた。  こいつと初めて、立って向かい合った。結構、背が高いんだな。頭の隅っこで、そんな感想がパッと弾ける。 「俺の秘密をバラしたいのか?」 「いや。君を不幸にしたい訳じゃないんだ。副理事長室で、少し話したい」  初めて会った時とは打って変わって、困ったように整った眉毛がハの字になってる。  は……何だか、変なの。自信に満ちたαを絵に描いたような表情だったのが、叱られた大型犬みたいにしおらしく歪んでる。 「……別に、謝らなくても良いけどよ」 「いや。とにかく、副理事長室に来てくれないか」 「面倒臭せぇなぁ……」  呟きながらも、俺は綾人の長身に着いていった。     *    *    * 「昨日は、すまなかった。だが、君の事も考えて口にしたのだよ」 「何だよ。謝るとか言って、やっぱ小言じゃねぇか」  俺は耳の穴に小指を突っ込んで、グリグリとかいた。目一杯、反抗的に振る舞う。  デスクの前に組まれた応接セットに向かい合い腰掛けて、俺たちは声をひそめて話してた。 「私のように、Ωの発情の匂いに敏感なαは、少なくない。幾ら抑制剤で抑えても、君の身が危険に晒される事になるんだ」 「今まで平気だった。発情期は保健室に篭もるし」 「社会人になって、それが通用すると思うのか? Ωならともかく、βで頻繁に医務室で休むような人間を、会社は望まない。クビになるのは目に見えている。社会人になってからバレるより、今の内に自首した方が罪は軽い」  俺は、苛々していた。やっぱりこいつは、Ωの絶望なんか分かってない。  βだと偽ったのは俺の行く末を心配した両親だし、七回も転校してまでその秘密を守ってきたのも両親だし、ひいては『Ωである俺』は、糞みたいに隠さなくてはならない存在なんだ。  両親に、『要らない子』だと言われているも同然な人生を、どうして俺の都合でどうにか出来る? 「ああ、すなまい……泣かないでくれ、四季」 「え」  俺は、慌てて頬に触れた。いつの間にか、大粒の涙が零れていた。  何でだろう。俺はこいつの前で、涙腺が緩くなる。  だけど発情期特有の不安定さだと結論付けて、俺は手の甲で涙を拭ってしまった。 「別に……あんたのせいじゃねぇ。発情期は、色々不安定になるんだよ」 「四季」 「んっ?」  顔を逸らして涙を拭っていたら、不意に項(うなじ)に手がかかった。肉厚で逞しい、大人の男の手。  ぐいと引き寄せられて、重なる。唇と唇が。  でも熱いものに触れたように、パッと綾人は俺から離れた。  ……え? え!?  たっぷり十秒あって、何が起こったかを理解する。  綾人、キス……した? 俺に?  綾人は俺と同じように、呆然としてたけど、やがて急速に青くなったり赤くなったりした。 「す、すまない、四季! 君を見ていたら、止められなくて……。無意識だった」 「信じらんねぇ……無意識で、男子生徒にキスすんのかよ。俺がΩだから? フェロモンに当てられましたって言えば、何でも無罪になるから? ああ、その前に、俺がΩなのは秘密だもんな。こんな良いカモは居ねぇって訳だ」 「違う、四季、聞いてくれ……」 「帰る! お前のお望み通りにな!」  家までは、泣きながら走って帰った。あいつが車で追ってくる事はなくて、助かった。  Ωでも、人並みに可愛い女子と恋愛して手を繋いで……って夢はあった。  ……ファーストキスだったのに。

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