8 / 45

第8話 本番

「シィ、それ……」 「あはは。四季くん、これはメイク」  メイクだと分かっていても、もう半歩下がってしまう身体をコントロール出来ない。  それは無味乾燥だった楽屋に思いもかけず、笑いを提供してしまったようだった。  スタッフもマネージャーもメイクも、クスクスと俺を見て笑う。 「首のも?」 「うん。ぼく今から、首締められて殺されるんだよ。凄い顔色でしょ?」  窒息死が一番苦しいらしいって聞いた事あるけど、映画だから多少は綺麗に作ってあるんだろうか。  シィの首には紫色の手形がクッキリ浮いて、顔色も薄茶色に近い死相だった。  服は、ディープブルーのロングガウン一枚。  あ……ベッドシーンがあるって言ってたっけ。その準備かな。 「シィ……ちょっと、訊きたい事があったんだけど」  俺はチラリと周りを気にする。シィはすぐに気が付いて、スタッフに「二人にして」と声をかけた。   「何? 四季くん」 「時間、あるか?」 「うん。ぼくはメイクするから早めに食べたけど、今他の人、お昼ご飯だから」 「そうか。実は……」  相談しようと思ってたけど、不意に内容の恥ずかしさに、頬が火照る。シィはそれも見逃さずに、穏やかに言った。 「恋愛相談?」 「う……」 「嘘が吐けないね、四季くん。ぼくに相談するって事は、芸能科の子?」 「いや。副理事長の事なんだけど……」  シィは、元々大きな瞳を真ん丸にした。 「アーヤ? アーヤの事、好きになったの?」 「いや、その……キスされたんだけどよ。どういうつもりなのか、あいつはホントに男に興味がないのか、訊こうと思って」 「キス!?」 「シッ」  俺は自分の唇の前に、人差し指を立てた。 「あ、ごめん」  シィも、慌てて掌で唇を塞ぐ。 「そっか……小鳥遊の血が入ってなくても、今どきバイだったりゲイだったりは、珍しくないからね。でも昨日、アーヤと喧嘩してたんだろ? 何でそんな事になったの?」  俺は、Ωである事を言い出せずに、俯いて口を噤(つぐ)んでしまった。  αは、本能的にΩを嫌う。フェロモンに当てられてレイプしてしまい、輝かしい経歴に傷をつけられるからだ。  そんな俺を、シィは優しい言葉で導いてくれた。 「されて、嫌だった?」 「初めは嫌だったけど……自分の気持ちが、分かんなくなった」 「嫌じゃなかったかも、って思い始めてるって事?」 「まあ……そうだな」  シィは、名案が浮かんだ時のように、片掌に片拳をポンと置いた。 「じゃあ、きっと好きなんだよ。喧嘩するほど仲が良い、って言うでしょ。『喧嘩ップル』って言うんだよ、そういうの」 「けんかっぷる?」 「うん。喧嘩してばかりのカップルの事。好きだからこそ、相手の事が必要以上に気になっちゃって、喧嘩になるんだよ」 「ふぅん……物知りだな、シィ」  感心すると、シィはクスリと笑った。 「ぼくも、共演者さんに教えて貰ったんだけどね。主演の人のお姉さんが、恋愛の達人なんだ」 「幾つだ?」 「うう~ん、女性の年齢は訊いてないけど、二十三歳の人のお姉さんで歳が離れてるって言ってたから、アラサーなんじゃないかな」 「そっか……あいつも、アラサーだよな?」 「アーヤ? 確か、二十七か八の筈だけど。生徒と近い位置に居たいみたいだから、アラサーって言ったら、怒るかもよ」 「喧嘩ップルは、喧嘩してナンボなんだろ。臨む所だ」 「ふふ、四季くん、やっぱりアーヤのこと好きなんだぁ。そうかぁ、ぼく応援するよ」 「ま、まだ分かんねぇけどよ。相談出来るのシィだけだから、また話すかも」 「任してよ! 恋愛から殺人まで、色んな役やってるからね」  その時、ノックの音が響いた。 「はーい」 「海、もうそろそろ本番よ」 「あ、うん。今行くー」  マネージャーの声に間延びした返事を返す。  ここには、確かにシィの居場所がある。心の何処かで、羨ましい、と思った。 「四季くん。これから本番だけど、観ていく?」 「ああ。見学させて貰う」 「四季くんてスタイル良いから、興味があるなら、モデルに推薦しても良いよ」 「よせよ。俺は芸能科じゃねぇ」 「ふふ。じゃ、これから長丁場になるから、ここでバイバイ、四季くん」 「ああ。頑張ってな」  俺は軽い気持ちで、そんな風にありふれた言葉をかけて別れたんだけど、その後の『本番』を観て、シィを見直す事になった。  全裸に近い肌を晒して、シィは中年男に組み敷かれて艶っぽく喘ぎ、普段からは想像も出来ない憎悪にまみれた眼差し(まなざし)で睨んで言った。 『ツキには手を出さないで。約束だよ、お父さん』  こないだ、屋上で言ってた台詞だ。  やがてシィは喘ぎながら男に首を絞められて声を詰まらせ、もがき苦しんで『死んだ』。  カットの声がかかるまで数十秒、シィは……いや、風見海は、呼吸を止め続けて見事に死体を演じきったのだった。

ともだちにシェアしよう!