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第9話 フィアンセ
保健室の先生に断って、今日も俺はベッドで休む。
Ωは、直腸の奥に子宮があるって本で学んだ。普段は意識しないけど、発情期には否が応にもそこが疼く。
抑制剤は飲んでるけど、気も狂いそうな欲望を鎮めるだけで、子宮の奥がきゅんきゅんするような雌の本能は押さえられなかった。
何で、男なのに子宮なんてもんがついてんだよ。
運命の相手なんて、死ぬまでに会える気がしない。
特定のαと番えば、誰彼構わず誘うようなフェロモンは分泌されなくなるけど、それはΩとしてαに抱かれるって事だ。
昨日観た、シィのベッドシーンが脳裏をよぎる。
あんな……男に組み敷かれるなんて、男のプライドが許さない。
俺は、胎内で鈍く蠢く子宮の辺り、下腹を押さえてボーッと横になっていた。
* * *
放課後のチャイムが鳴り、俺はノロノロと起き出し、指定鞄を斜めがけにして保健室を出た。
そこでバッタリ会った顔に、小さく舌打ちする。
「四季」
綾人が立っていた。フレームの横を、揃えた指先で軽く押して、銀縁眼鏡を上げる。
「何だよ。また小言か?」
「違う。その……私は君のような生徒には、近付かないようにして生きてきた。だが、どうにも君の顔が頭から離れない。もしかしたら……君が、運命の相手かもしれない」
活きの良い魚みたいに、身体の中で心臓が跳ねる。
俺もチラリと考えた、運命の相手。綾人まで、そう感じてたなんて。
でも俺は強がった。
「で? そうやって口説いて、いつも生徒に手ぇ出してんのか?」
「違う! 本気で君の事を考えようとしてるんだ」
ガランとした廊下に、綾人の声が響く。
「声がデケぇよ」
「では、副理事長室に来てくれ」
「……」
断るのは簡単だった。
だけど俺は押し黙って、綾人の後ろを、副理事長室まで着いていった。
* * *
「昨日から……ずっと君の事を考えていた。正確に言えば、頭から離れなかった。仕事をしようとしても、全く手に着かない」
「で?」
「その……もう一度キスすれば、運命の相手かどうか、分かる気がする」
「冗談。俺は、Ωの本能になんて負けねぇ。獣じゃねぇんだからよ。男に抱かれるつもりもねぇし」
綾人は、また銀縁眼鏡を押し上げた。落ち着かない時の、癖らしい。
昨日と同じ応接セットで向かい合って、俺たちは話してた。
「大体、理事と生徒なんて、バレたらお互い破滅だろ。もう、俺に構わねぇでくれ」
「君は、感じないのか? 運命の相手は惹かれ合う筈だろう」
う……俺は、返す言葉を持たなかった。
俺だって……ちょっと綾人が気になってるけど。運命の相手なんてのはおとぎ話だと思ってたから、Ωの雌としての本能に従うのはご免だった。
「俺は、男に抱かれるなんて耐えらんねぇ。運命の相手なんてのは、信じてねぇし」
綾人は数瞬黙って、ポツリと言った。
「私が副理事長を辞めれば、問題はなくなるが」
「は?」
「理事と生徒だから、問題なんだ。私が職を変えれば、ノープロブレムだろう?」
「馬鹿か、あんた。生徒一人口説くのに、副理事長辞める気かよ」
「誤解があるようだ。私はこれまで、生徒を口説いた事など一度もない。君だから、言ってるんだ」
何だか苛々して、俺は声を高くした。
「俺の言った事、聞いてるか? 俺は、男に抱かれるなんてご免なんだよ」
「勿論、君が良いと言ってくれるまで、身体の関係は待つつもりだ。身体が欲しい訳じゃない。欲しいのは、心だ」
綾人の声に、隠しきれない『孤独』が滲む。
αなんて……心の底ではみんな、傲慢なエゴイストだと思ってきたのに。そんな寂しそうなカオをされたら、揺れてしまう。
思わず目を逸らして黙り込むと、綾人が立ち上がったのが分かった。
間にあったガラステーブルの横をゆっくりと回り込み、俺の方にやってくる。
逃げようと思えば、逃げる時間は幾らでもあったのに、動けなかった。
「四季」
「ん……」
綾人がソファの隣に座って、見た目よりも逞しい胸の中に、閉じ込められる。
顔を逸らすと、泣きぼくろの辺りに唇が触れた。触れられた所を中心に、熱が上がっていくのを意識する。
「やめ……」
「四季。すまない。やっぱり私は、お前が好きだ」
掌で後頭部をホールドされ、唇が触れ合う。柔らかいものを食べるように、優しく唇を食まれた。
「ふ……」
僅かに唇が離れると、綾人が銀縁眼鏡を外してガラステーブルに置いた。
それは、口付けが深くなる合図で。俺は抵抗も出来ず、景色がぐるぐる回るような目眩に耐えていた。
薄く開けた瞳に、眼鏡を外した綾人の顔が映る。インテリ眼鏡を外した綾人は、少しワイルドになって格好良かった。
「四季。好きだ」
掠れた声が酷くセクシーに聞こえて、子宮が直接揺れるような気さえする。
「んっん……」
舌が入ってきて、俺の表面をぬるりと舐める。
何だ、苦い……コーヒーだろうか、煙草だろうか。
そんな事をぼんやり考えて、初めてのディープキスに身を任せる。
発情期の身体は、奥の方がきゅんきゅんと疼いて仕方がなかった。
「四季。嫌じゃ、ないだろう?」
「綾人……」
唇が触れ合ったまま、綾人が訊いてくる。
俺はボウッとなって、ただ名前を呼んだ。
再び角度を変えて唇を食まれ、目を閉じかけた時だった。
――バン!
勢いよく副理事長室のドアが開く。
「綾人!」
俺は仰天して、反射的に綾人の胸を突き飛ばした。
綾人は振り返って、守るように俺を胸に抱き締める。
「華那(かな)!?」
「わ。見ちゃった。華那という者がありながら、プレイボーイね、綾人」
「入ってくる時は、ノックくらいしろ!」
「今更、そんな他人行儀なの、変でしょ。フィアンセなんだから」
フィアンセ。
その言葉に、火照っていた身体が、急速に冷えていった。
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