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第12話 約束

「ん……」  胸の辺りが寝苦しくて、目が覚めた。  夕焼けのオレンジ色に染まった、白い天井が見える。  ……あれ? 俺、どうしたんだっけ……。  ぼんやりとしたまま動こうとすると、右半身が動かなかった。左手だけが挙がって、無意識に右半身を探る。  人肌の柔らかさが触れ、驚いて見下ろした。 「……綾人……」  胸の上に、綾人が突っ伏して眠ってた。  いつもの銀縁眼鏡は外されて、起きてる時はワイルドで格好良いと思ったけど、寝顔は外で遊び疲れたやんちゃな子供みたいだ。  愛しさがこみ上げて、前髪をかき上げるように、頭を撫でた。 「ん」  思ったより長い睫毛が震えて、俺は動きを止める。起こしちゃいけないような気がした。  ゆっくりと、瞼が開く。さまよった視線が俺と合うと、引き寄せられるようにして、chu、と軽く唇が合わされた。 「綾人……ごめん」  俺が見詰め合ったままそう言うと、綾人は、そこで初めて目が覚めたようだった。  身を起こして、俺のふたつ並んだ涙ぼくろの辺りを撫でる。 「もう大丈夫だ、四季。……何を謝る?」 「綾人、怒ってたから」 「ああ……お前が謝る必要はない、四季。私は、ナベに怒ったんだ。お前は、何も悪くない」 「ナベは?」  殴られていたナベが心配になって思わず訊くと、ワイルドな綾人の顔が、僅かに歪んだ。 「あんな奴が気になるのか?」 「あ、いや。綾人、殴ってただろ。パンチ重かったから、死んじまいそうで恐くって」  綾人は前髪を吹き上げるように、ふうっと息をついた。 「ああ。昔、ボクシング部だったからな。頭に血が上った。脳しんとうで一瞬気を失ったが、もうピンピンして帰っていった」 「大丈夫なのか? 綾人、捕まらねぇ?」 「ああ。顔は一発しか殴ってない。後はボディだ。目が覚めて、いの一番にお前がΩだって密告してきたから、他言したら強姦罪で突き出してやるって脅しておいた。俺が殴った事も口止めしてな」  俺は目を丸くした。インテリ眼鏡だと思ってた綾人が、こんなに俗物だったなんて。  それに、『俺』って言ってる。眼鏡を外した外見といい、野性的な雰囲気が漂ってた。 「……どうした? 幻滅したか?」 「いや……副理事長らしくないと思って」 「俺は、小鳥遊の人間じゃない。普通の学校生活を送って、たまたま小鳥遊に就職しただけだ。それに、お前を泣かせる奴は、許せない。自分を含めてな」  あ……華那。 「綾人。俺なんかの為に、人生に傷付けるなよ。あんたはαだ」 「でも、運命のΩと出会ってしまった。人生がどんなに辛くなろうとも、番いの相手を諦めるなんて、出来やしない」 「綾人……」  綾人の前で涙腺の緩む俺は、目尻にじわりと涙を滲ませた。 「泣くな、四季。お前を泣かせた俺を、俺は許せない」 「違げぇよ……察しろよ。嘘でも、嬉しい……っ」 「嘘じゃない」  目尻からこめかみを伝って枕に吸われていく涙を、綾人の親指の腹が拭ってくれる。  五分か、十分か、しばらくそうしていたけれど、俺はふと我に返って訊いていた。 「ここ……何処だ?」 「小鳥遊系列の病院だ。ナベは未遂だと言ったが、お前が気を失っている間は、何とでも言える。緊急避妊ピルがあるから、性行為の有無を確かめさせて貰った」 「え」  もし、ヤられていたら。背筋が寒くなる。 「あくまで、緊急避妊の処置の為だ。もし性行為があったとしても、俺がお前を責める事はない。安心しろ、四季」 「ナベとは……」  言いかけて、思い出すのも嫌で、口篭もる。  綾人は、俺の泣きぼくろの辺りを親指の腹で撫でた。 「ああ、無理して話さなくて良い」 「いや。ナベとは、キスもしてねぇ。その……一回、無理やり手でイかされただけ」 「四季。お前は悪くない。悪くないんだ」 「んっ……」  顔の両側に手を着かれて、覆い被さるように、綾人にキスされる。  後頭部は枕で逃げようがなかったから、舌を引っ込めて逃げを打つと、綾人の舌が追いかけてきて優しくつつき、上顎を舐められて感じた事のない快感に陥落してしまう。 「む、ん……駄目、だ」 「嫌か?」 「嫌じゃねぇけど……俺今、発情期なんだよ……もっと色々、シタくなっちまう」  頬が火照るのを止められない。  綾人は、目線は合わせたまま顔を逸らして拒む俺を、瞳を眇めて見詰めた。 「……ん? もしかして、何人とヤったのかとか、考えてるか?」 「よく分かったな」  レンズ越しじゃない綾人の瞳は、雄弁に語る。  俺はますます顔を赤くした。 「馬鹿……あんたが、ファーストキスだよ。まだ未経験」  ほうっと吐息が額に当たって、くすぐったい。  綾人、安心してる? 「俺と会う前の人生だから、とやかく言うつもりはなかったが……やっぱり、嬉しいものだな。俺が初めての男だというのは」 「発情期が終わったら……ゆっくりキスしたい。身体は、次の発情期まで、お預け」 「蛇の生殺しだな」 「綾人、言っただろ。俺が良いって言うまで待つって!」  ムキになって声を荒げたら、クスリと噴き出された。  俺はその顔に思わず見とれる。ワイルドなのに、心からの笑顔は意外なほど暖かかった。 「な、何、笑ってんだよ」  chu、と額に、薄くて柔らかい唇が押し当てられる。 「四季、真っ赤だ。ああ、お前が良いって言うまで待つよ……三ヶ月後だな。待ち遠しい」  その言葉を聞いて、我ながら大胆な約束をしたものだと、改めて俺は真っ赤になった。

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