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第4話

最近、イリアスさんの様子がおかしい。 いや元々変な人だったけど。そういうのとは違って、どこかボ~としている事が多い。 「イリアスさん、大丈夫ですか?」 「何がだ」 「いや、なんだか毎日心ここにあらずの状態だったので」 僕の言葉にどこか思い当たる節があったのか、イリアスさんは分かりやすく視線を逸らす。 もしかして、あの写真を探しているのだろうか? あれから一週間経つが。僕があの写真を見てしまった事によって、もしかしたらイリアスさんとの関係が気まずくなってしまうかもしれない。なんて勝手に不安がって、未だ返せていない。 「心配をかけてすまないな」 「い、いえ……」 白い髪で隠れてしまったその表情は、今一体どんな顔をしているのか。 悲しんでいるのか、不安がっているのか、僕はそれを確認する余裕もなく。イリアスさんはそのまま寝室へと戻ってしまった。 「次部屋から出てきたら、この写真を渡そう……」 未だポケットに入ったままの写真に触れて、僕はいつものように魔法の訓練。そして家事をこなした。 けれどーーーー。 あれからイリアスさんは、姿を現さない。 もう十時間以上も経っている。 お腹だって空いているはずなのに。 「イリアスさん?大丈夫ですか?」 ドアをノックしても、返事がない。 「イリアスさん!」 叫んでも、何度ノックしても、まるでそこからいなくなってしまったかのように静かだ。 不安だけがどんどん募っていく。 何かあったのか?部屋にいるのか?もしかして倒れてるとかーー。 「イリアスさん!!」 気が付けば、僕はドアを蹴破っていた。 ただ『助けなきゃ』そんな一心で。 「大丈夫ですか!!」 壊れたドアを踏んで、僕は寝室へ足を踏み入れる。 その瞬間だった。 大きな風が僕を襲い掛かり、眩しい光が僕の視界を奪った。 「なんっーー」 このドアの先にあるのは、イリアスさんの寝室のはず。 それなのにこの風と、太陽の光、そして香る草木の匂いは、明らかに外にいる。 もしかして、イリアスさんの魔法なのか? 「イリアスさん!どこですか!」 ようやく光に慣れて、辺りを見渡す。 一面草原に覆われた、どこまでも続くその何もない空間は、まるで別世界のよう。 きっとどんな国に行ったとしても、こんな場所は存在しないだろう。 だから多分、こんな場所でイリアスさんを探すのは困難だと思う。 来た道さえ分からなくなってしまいそうだ。 けれど。 見つけないといけない。僕が見つけないと彼はもう帰って来ない。そんな気がした。 「はぁ……はぁ……」 箒に乗れれば楽だったんだろうけど。まだ見習の僕には箒もうまく乗ることが出来ない。 ただ永遠に続く草原を、ひたすら歩き続ける。 「イリアスさん……」 疲労と不安が、徐々に足を止めていく。 「お願いです。僕から離れないでください。どこかへ行かないでください。僕の側にいて下さい……」 イリアスさんと一緒にいるのが当たり前だった毎日を思い出す。 無愛想で、目付きも悪くて、たまに抜けている所もあるけど。 僕の下手くそな魔法を見てもバカにすることなんてなかった。僕の事をたまに頼ってくれた。 落ち込む僕を気遣ってくれた。 「僕、好きなんです。貴方の事が」 いつも不愛想な顔が、ふとほころぶ瞬間が好きだ。 誰も近寄らせない冷たい目が、僕にだけ許してくれる時が嬉しくて好きだ。 時々寂しそうに窓を眺めて、束ねた白い髪を解く仕草が綺麗で好きだ。 「いつのまに、こんなにも好きになってしまったんだろう」 何故か奥へと進む度息苦しくなっていく中、僕はただイリアスさんの顔を思い浮かべながら足を動かし続けた。 その時。 小さな二つの人影が、抱き合っている姿が見えた。 「イリアスさん……」 目を細めて、イリアスさんの姿を目に捕らえる。 イリアスさんと、もう一人の男性。 あの人ーー見たことある。 「写真の……」 イリアスさんと一緒に写っていた男性だ。 でもオカシイ。 あの写真は、多分イリアスさんが十代の頃の写真。なら一緒にいた男性だって、あれから歳をとっているはず。 それなのにイリアスさんと抱き合っている彼は、あの写真の頃と全く変わらない。 まるであの人だけの時間が止まってしまっているかのよう。 「イリアスさん。あの人の事が……好きなんだな」 腕を背中に回して、愛しく抱き合うその姿に思わず悔しい声が漏れる。 ここがどこで、イリアスさんがいつ戻ってくるのかは分からない。もしかしたらもうこっちへは戻ってこないかもしれない。 でも、僕があの二人を邪魔する権利はない。 だからこのまま戻ろうとした。 それなのにーー。 「何故ここまで来た……アイル」 さっきまで抱き合っていたはずのイリアスさんが、いつのまにか僕の目の前に立っていた。 その目には、涙の跡がうっすらと残っている。 イリアスさん、今まで泣いていたのか。 普段感情を表に出さないイリアスさんが、あの人には涙さえ見せてしまうのか。 「僕、貴方の事が好きでした」 わざと過去形にした。 今頃こんな告白をしても意味がないから。 「幸せになってください」 顔を見られないよう下を向いて、僕がイリアスさんの横を通り過ぎようとした時。 腕を掴まれてた。 「アイツは、俺の師匠だった」 「え?」 「アイツから魔法を教わり、俺は強くなった。いや……強くなり過ぎた」 「あの人が……」 イリアスさんも、最初から強かったわけじゃないんだ。 「皆、俺を最強の魔法使いだと言った。神にも等しい存在だと。けれど結局俺はただの人間だ。誰も救えはしない。ただ力が強いだけの化け物だ」 イリアスさんは自分の手を、恨めしく見つめる。 皆がイリアスさんを尊敬する中、本人はそんなことを思っていたのか。 「ある日俺は、あの人を好きになった自分を自覚した。俺は後悔する前にこの想いを伝えたさ。けれどあの人は俺を受け入れなかった。その時の感情の乱れは、俺の力を暴走させてしまった」 それを聞いた瞬間、嫌な想像がすぐにできた。 「暴走した俺をあの人は身を呈して止めてくれた。その結果がこれだ。お前にも大体ここがどこだか分かっているんだろ?アイル」 あの男の人がどうして歳を取っていなかったか。今の話を聞いて理解したと同時に、まるで自分の事のように心が苦しくなる。 「じゃあここは……天国、なんですか?」 「天国か……まぁそんなものかもしれないな。俺は魔法で、この部屋を死後の世界と繋げたんだ。あの人に会いたいがためにな」 自分の為に死んでしまった愛する人と会う為に、イリアスさんはこんな神にしか出来ないような芸当をやってみせたというのか。 「それでイリアスさんは、いつも魔法を使っていなかったんですね……いや、使えなかったんですね。この部屋をこの世界に繋げるだけでも相当の魔力を使うでしょうから……」 イリアスさんが寝室に籠る理由も、簡単な魔法さえも使わなかった理由も、無愛想で人とあまり関わらなくなってしまった理由も、全部分かってしまった。 それと同時に、自分が一体どれだけ一方通行だったのかを身をもって知ってしまう。 片思いでいい。 そう思っていたのに、いざ現実を突きつけられると。こんなにも心臓が締め付けられてしまう。 「まだ……あの人の事好きなんですか」 「……」 「僕じゃ、ダメですか」 「っ……アイル」 「僕は絶対に貴方を一人にしない!まだまだ弱い見習い程度の男だけど、いつか貴方のような魔法使いになって、貴方の事も自分の事も守れる男になります!」 みっともない縋り付き。 けれど、そんな寂しそうな顔を見たくないから。 「貴方が好きです。大好きです」 僕は、貴方の手を離しはしない。 「……今日はあの人に別れを言いに来たんだ」 「え?」 「もう、ここには来れない。と」 「どうして」 「大切な奴を見つけたから」 僕の手を握り返すイリアスさんの手は、とても熱くて、震えている。 「お前を好きになった時は、正直悩んだ。また俺は同じことを繰り返すんじゃないかと不安で怖かった。だからこそここに来て、あの人に会っていたんだ。俺の師匠(そうだんあいて)はあの人だけだから」 「イリアスさんが、僕を好き……?」 「なんだ、信じられないか?ならばーーこれなら信じるか?」 グッと腕を引いて、僕の唇を奪うその姿は。ずっと待ち焦がれていたかのように赤く、官能的だ。 「アイル?」 こんなもんじゃ足りない。 離れた唇を今度は僕から奪って、少しでも離さないように絡みついた。 奥深くに舌を入れる度、イリアスさんの吐息が漏れて。白い髪の隙間から真っ赤な耳がまるで誘ってくるように覗かせる。 「可愛いです、イリアスさん」 「っ……調子にのるな。馬鹿者」 離れた唇を手で覆って視線を逸らすイリアスさん。 この人が一番最強の魔法使いだって、今は信じられなくなるほど可愛い。 「帰るぞ、アイル」 「あ、はい!」 逃げるように僕を置いてさっさと歩き始めるイリアスさんの背を、慌てて追いかける。 最強の魔法使い。神にも等しいと言われる存在は、こんなにも恋に焦がれて、こんなにも繊細で、こんなにも弱い人だった。 きっとこれは、僕しか知らない秘密。 「そうだ、アイル」 「あ、はい。なんですか?」 「好きだと、もう一度言ってくれないか?」 「え……」 「俺の事、もう一度……」 「……好き、好きです」 「ククッ」 「え!な、なんで笑うんですか!?」 「いや、今さっき聞いて思ったんだが。その言葉がきっと一番最強の魔法かもしれんな」 「え?」 よく分からなかったが。イリアスさんは、まるで魔法にかけられたかのように僕の手を握って、とても愛おしい目で見つめていた。

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