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Ablaze~炎上

 とうとう島に人々が上陸を始めた。しっかりと繋ぎ合わされた筏は、人々が大挙しても持ち堪えた。薔薇が咲き乱れた庭は人々に踏み荒らされた。  きっちりと正装に身を包んだエーリヒは、同じように正装したライムントと並んでバルコニーに立った。憎悪に染まった人々の顔を見詰めて、穏やかで美しい笑みを浮かべた。  右手の拳を心臓に当て、自らの民に深々と(うやうや)しく(こうべ)を垂れた。  ライムントたちもそれに倣う。  民たちの顔に戸惑いが浮かんだ。彼らはここに到着するまでに、恐怖に逃げ惑う貴族たちを多数目撃した。エーリヒたちと自分たちは無関係と叫び、金目の物を持って逃げ出して行った。今まで自分たちを支配し搾取(さくしゅ)していた、彼らの真実の姿を見て来ていた。  だからエーリヒも同じように振る舞うと思っていた。橋を焼き島の館に篭もった彼らを、人々は追い詰めて(なぶ)り殺しにするつもりだった。  だが彼らの前に姿を現した王子と公子は、あとの二人を従えて光り輝いていた。自分を殺そうと押し寄せた人々を、自らが愛する民として正装して微笑みを以て迎えたのだ。  だがエーリヒたちの姿に踏みとどまったのは、ヴォードブルク王国の民だけだった。彼らの背後から上陸したヒルルトラウト軍が、次々と館の屋根に登って潜んだ。  弓自慢が矢をつがえ、弦を引き絞る。その(やじり)が向かっているのは、エーリヒのすぐ後ろに立つレオンハルトだった。  弦が弾かれ矢筈が風を切る音に、いち早く気付いたのはエーリヒだった。身を翻して笑顔でレオンハルトを庇った。 「エーリヒ!」 「殿下!」 「エーリヒさま!」  3人から悲鳴が漏れた。純白の正装が紅に染まっていく。ライムントがエーリヒを抱いて、バルコニーから引き下がる。  人々はこの光景にパニックに陥った。瞬く間に阿鼻叫喚(あびきょうかん)が人々を包む。  ヒルルトラウト軍はそれに構わずにバルコニーへと侵入した。ぐったりとしたエーリヒを抱いて、彼らは居間へと逃げ込んだ。 「エーリヒ!」  ライムントの呼び掛けに彼は、ゆっくりと目蓋を開いた。 「レオンハルト…無事か」 「エーリヒさま!どうして…」 「愛しい…者を…守る…余は…そう思った…」  レオンハルトの癒しの力も効かなかった。  ロルフが首を振った。薬草の知識を持つ彼は、死に逝く人々をたくさん見て来た。既にエーリヒを救う手立てはなかった。  ライムントが唇を噛み締めた時だった。居間の扉が開かれてヒルルトラウト軍が雪崩れ込んで来た。 「必要なのは…余の生命だけであろう…他の者は…」  そこまで呟いて、エーリヒは激しく血を吐き出した。美しいエメラルドグリーンの瞳が、見開かれたまま光を失った。 「エーリヒ!」 「殿下!」 「イヤだあ!」  握り締めた手を掴んだまま、レオンハルトが叫んだ時だった。エーリヒの胸から小さな光球が浮かび上がって、慟哭(どうこく)するレオンハルトの胸に吸い込まれた。 「あ…ああ…そんな…そんな!」  レオンハルトが天を仰いで絶叫した。その彼の胸へ矢が飛んだ。庇うように飛び出したロルフが、矢に撃たれて倒れた。だがレオンハルトも次の矢を受けて倒れた。 「おのれ…貴様等…よくも…!!」  絶叫するライムントの全身が炎を吹き出した。凄まじい熱波がヒルルトラウト軍の兵士を襲う。彼らの全身が次々と発火していく。  炎は館をも焼き始めた。外で逃げ惑う人々が館が炎に包まれていくのを見て、更なるパニックを起こした。すると辺りに祈りの声が響いた。 「ああ聖なる大天使よ、我らを御身の如く、天主に常に忠実ならしめ給え。  我らもまた公たる主にして大君なる彼を愛し奉り、敵なしとならん事を、彼に祈り給え。  我らの楯と鎧となり、いついかなる時も、我らに常にいと高き御者の光栄を守らしめ給え」  最後まで民の為に祈り続けた、レオンハルトの声だった。  黄昏が訪れた湖に、炎上する館が崩れ落ちていく。  突然、湖から悲鳴が上がった。島からある程度逃れていた民の目の前で、逃げ出して来たヒルルトラウト軍の兵士が乗った筏が崩壊した。  だが民が乗っている筏は崩れない。民は立ち止まり振り返った。炎に包まれた館の傍らに、4つの光球が輝いていた。人々は誰もがそこへ跪いて、先程空に響いた大天使ミカエルへの祈りを唱えた。  すると思わず目を覆ってしまう程の強い光が、七色の輝きと共に出現しゆっくりとその姿を露わにした。  太陽の輝きのような金色の髪。澄んだ空の色を湛えた青い瞳。純白の衣に大きな翼。炎をまとった抜き身の剣。  大天使ミカエルが出現したのだ。 「おお、聖ミカエルよ!悪魔の(しもべ)たちはご覧の通り、聖なる炎にて浄化されました!」  叫んだのは大司教ドラーツィオだった。彼は岸の安全な場所に座り成り行きを眺めて、ここから逃げ出すタイミングをはかっていたのだ。 「見よ!天の正義は貫かれた!我々公教会こそ、神の代理人なのだ!」  誇らしげに勝利宣言をする大司教に向かって、ミカエルが手にした剣を投げた。 「ぎゃああああ!!」  剣は大司教を貫き、炎を吹いて彼を内側から焼き殺した。  そしてミカエルはその胸に4つの光球を抱いて、人々が見守る中を天へと昇って消えた。  ヴォードブルク王国はこの日を最後に地図上から消滅した。攻め滅ぼしたヒルルトラウトもやがてプルシアに攻め滅ぼされた。  薔薇の館は完全に焼け落ちた。  しかし人々によって踏み散らかされた筈の薔薇は、島や湖の周辺へと広がり、愛に生きたエーリヒたちを弔うように咲き続けたという。

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