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1. プロローグ

 森の奥には魔女の家がある。  それは森の傍の村でくらしていた僕にとっては聞き馴染んだお伽噺で、同時に、子どもが森の奥深くへと立ち入らないようにする、使い勝手のいい大人たちの脅し文句だとも思っていた。臆病だった僕は言いつけ通り、木の実や薪を拾いに森に立ち入る時には森の浅いところまでしか足を踏み入れず、暗がりから音がするたびに走って村へと逃げ帰ったものだった。  そんな僕がどういう訳か、今は騎士団なんてものに入団して、森の奥で半泣きになっている。  早い話が、魔女狩りだ。ここ数年の間、家畜の不審死や悪天候による不作が続いていた。病気で死んだ人もいくらかいる。そういった不幸は誰が言ったか、全て魔女の仕業だということになっていた。森の奥の魔女が杖を一振り、そうすれば家畜は死に、空も容易に機嫌を変え、毒の霧が早朝の村に流れ込むのだと。  ちょうど一年前、僕は周囲の勧めで、近くの大きな町に本部がある騎士団の下っ端奉公人として働き始めた。非力だし、体躯も良くない。学校の成績だけは良かったが、致命的なことに意気地なし。事務作業だけは満足にできるだろうということで、町の人たちからの依頼や相談事をまとめる受付係の任に就かせてもらったのだ。  ようやく仕事にも慣れ始めた矢先。僕の故郷の森の奥へと、討伐隊が組まれることになった。  そこで、よりにもよって、地元の人間に道案内を任せると言われて、僕が屈強な騎士団の男たちの先頭に立って森に入るなんて馬鹿な事態になったのだが――  僕は今、独りで、足元に絡みついた蔓を半泣きで引き剥がそうとしている。 「なんだよ、これ……」  森の奥には濃霧が立ち込めていた。僕は事前に、森の奥には入ったことが無いと何度も伝えたのだ。だからこんな霧深いところだなんて知らなかった。討伐隊の騎士たちは幸いにも優しい人たちで、僕を責めるでもなく、警戒を強めてくれた。だから僕も少しばかり安心をして、また前を向いて進んでいた。  そうしてすぐに、後ろをついて来ているはずの騎士団がいなくなったことに気がついたのだ。  焦ったボクの足首に、絡みついた謎の蔓。偶然で絡んだにしてはきつく巻き付いていて、僕は足を取られて見事に転んだ。この蔓が、どうやっても僕の足首から引き剥がせない。  これは魔女の鈍いなんだと思った。だって、当然だろう。武器を持って入って来た僕らに魔女が怒ったのだ。そうに違いない。僕はじわりと滲む涙を拭うこともできなかった。ああ、僕、ここで死ぬんだ。父さん、母さん、何にも恩返しできなくてごめんなさい。可愛い妹、父さんと母さんと仲良く暮らすんだぞ……。  走馬灯まで見そうになった僕の耳に、いよいよ終わりを告げる音がする。  土を踏みしめる音。  騎士団の誰かだろうか、なんて希望は僕にはない。だって鎧の音がしないから。  魔女だ。魔女が僕を殺しに来たんだ。焦れば焦るほど指先はおぼつかなくて、震えて、蔓を剥がすどころじゃない。地面に尻餅をついた情けない格好のまま、僕は音がした方を見つめた。  霧の中から、ぼんやりと浮かび上がる人影。  恐怖で身体が竦んだ。その人影はゆっくりと僕に近付いて来る。黒いローブに、頭をすっぽり隠してしまっているフード、身の丈ほどある大きな杖。もう間違いなく魔女だ。村の大人たちが言っていた通りの。  魔女は霧を静かに掻き分けて、ついに僕の目の前に立つ。  僕が見上げた、それは。 「あの……、大丈夫ですか?」  長い金糸の髪に、何色にも見える不思議な輝きを込めた瞳。鈴を転がしたような声。  嘘みたいに、美しい人だった。

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