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4. エピローグ
翌日、森の霧は晴れていた。
しかし美しい人を救わんという使命感に燃えた青年と騎士団がいくら森を歩き回ろうとも、件の花園に辿り着くことはついぞなかった。彼らはみな、昨日通った道を一つとして覚えてはいなかった。それもそのはず、鎧に身を包んだ騎士団員たちは皆一様に、気が付いたら森の外に出ていたのだし、青年に至っては森の入り口に倒れているところを発見されたのだから。
彼らは諦めざるを得なかった。それが彼らにとっては幸せだっただろう。
森の奥には魔女ではなく麗しい聖母が住んでいるのだと、いつまでも夢を見られるのだから。
――
「ロゼ、ご飯ができましたよ。……ロゼ?」
湖のほとりにしゃがみこむ巨体の背中に、カナリアは愛らしい声で呼びかける。花の咲く場所にいるロゼを見るのは、何だか滑稽で好きだった。一つ気に入らないことがあるとすれば、ここにいるロゼは、なかなか振り向いてくれないということ。
カナリアは彼の隣に、同じようにしゃがみ込んだ。湖面が見えるばかりだ。ロゼは、普段はあまり使わない棒きれのような杖を持ち出して、何やら湖面をぐるぐるとかき混ぜている。
「何をしているんですか?」
「実験だ」
「何の?」
「……お前に言っても分からん」
「む。俺にだって魔法の素養くらいあります」
頬を膨らませるが、ロゼは鼻で笑う。ロゼは意地悪だ。そんなところに、カナリアは一つの不満もない。
「ねえ、その実験ってまだかかります?」
「いいや」
簡潔に否定して、ロゼは杖をすいと持ち上げる。すると湖の透明な水も一緒に浮き上がって、泡を作ったり波打ったりと、忙しなく形を変え始めた。
カナリアは感心したようにその様子を見つめる。
無防備な左手を、ロゼは無言で掴んだ。
「わ、なに……」
水が、カナリアの手へと近づく。――正確には、薬指に。
形を変えていた水は円を描き始め、その一部だけが何かの形をとろうとする。薬指を囲った水のリング。カナリアが驚きながらも見つめる前で、水はぴたりとその細い指に嵌ろうとして。
「……止めだ」
「あっ」
一瞬で、また元の液体へと戻ってしまった。
残骸がカナリアの指を濡らす。もう少しで形になりそうだったのに、と唇を尖らせるカナリアに、ロゼはご機嫌取りのようにキスをした。
「お前には指輪より似合うものがある」
「ふぅん、何?」
「首輪だ。この痕を隠さない、透明の」
ロゼの指が触れたのは、今朝の名残。わざと残した赤い痕。
カナリアは愉悦に震えた。この老齢で強大ながらも孤独な魔法使いの、情欲と独占欲が、彼にとっては極上のご馳走。
「誰にでも尻を振る節操無しの淫魔には、早急に必要だろう?」
「……ふふ、必要ありませんよ、ロゼ。俺の愛しい魔法使い。どうしようもなく愚かで退廃的なサバトで出会った、あの日から」
無数の皺が刻まれたロゼの顔をそっと両手で包み込む。
「もう、あなただけです」
うっとりと、恍惚に浸りながら。
ロゼも、今は薄いカナリアの腹を撫でながら。
「どうかな、悪魔の言葉ほど信用できなものもない。お前が泣き叫ぶほどに、しっかり縛り付けておかねばな? 淫らで卑しい、私のカナリア――」
二人は静かな湖のほとりで、熱い悪徳の口付けを交わした。
小屋で待つ今日の昼食が、すっかり冷めきってしまうまで。
END
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