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第172話

 肩にリリエンタール公爵を担いで現れた上司に、ハーラルト・アルトマイヤーは頭を抱えてへたり込みそうになった。  アウグストが大股で歩く動作に合わせてレオンの手足が揺れている。意識が無いのが一目瞭然だ。 「いくら勝負に夢中になったからって、殺したら駄目じゃないですか!」  大将軍と言えど、現公爵を害したら無処罰では済まないだろう。 「どうするんですか?! 貴方が逮捕されたら部隊は解散、瑕疵の付いた部下達はどこも受け入れて貰えません。更に副官の私は連座を免れません。まだ結婚もしていないのに」 「何で俺が逮捕されるのが確定なんだ」 「あなたしかリリエンタール公爵を倒せないでしょう?!」  深い嘆息を吐いてアウグストが否定すると、ハーラルトは目玉が落ちそうな程眼を見開き、顎が外れそうな程口を開いた。 「何だ、その間抜け面は」 「だ…だって、あのリリエンタール公爵ですよ? 魔力も武力も貴方と拮抗してますよね? え? 何で無傷なんですか?? 誰が殺したんです? あなた以外に?」 「だから、俺じゃねぇよ。それより、誰にも見られないで外に出られる場所を知ってるか?」  上司の問いに、ハーラルトは顎に指を当てて俯き、少し考えてから顔を上げた。 「演習場の脇道から誰にも見咎められずに出られます」 「…そんな穴場があるのか。この城の防衛、大丈夫か?」  訊いておいてあっさり答えられると、アウグストは拍子抜けした。 「騎竜の竜舎があるんですよ。今の時間なら騎竜に紛れて出られると思います」  竜化出来るのは貴族か魔力の高い一部の竜人族に限られる。兵士の殆どが竜化出来ない。  部隊は歩兵、騎兵、竜騎兵で編成される。皇都では竜化は禁じられている為、基本は騎馬だ。  だが、皇都外や大規模戦闘時は騎竜が中心となる。  この騎竜は人界の騎竜と違い、精神的、思考的な自由は無い。戦闘に特化し、完全に服従し、他の騎竜との連携以外の会話をしない。  竜舎の世話人は沈黙が基本。  アウグストは大将軍。  軍事の最高責任者だ。  ましてや、ここは中級以下の騎兵用の竜舎。  アウグストが沈黙せよと命じれば、どの様な拷問をされても彼らは一言も漏らさないだろう。 「騎竜を用意させろ」 「了解しました」  竜舎へ向かうハーラルトの背を見送り、アウグストは肩のレオンを揺すった。 「…おい、レオン。起きろよ。本当に死んじまったのか…?」  力無く揺れるレオンの手はぴくりとも動かない。担いだ直後は、まだあった体温が徐々に失われていく。  舌打ちをし、アウグストはハーラルトが引いてくる騎竜へ向かって歩き出した。 「『奈落の谷』ですって?!!」  騎竜に乗った上司の行き先を聞き、ハーラルトは思わず手綱を掴んだ。 「あそこは、貴方の様な人が行く場所ではありません!」 「皇太子殿下の命令だ」 「…だ、だとしても、あの様な穢れた所など、下級兵士に命じれば…」 「駄目だ」  ハーラルトの言葉を切り、アウグストは手綱を自分に引き寄せた。 「弟弟子を俺以外に任せる気は無い。お前もついて来るな」 「わ、私は貴方の副官です。どこまでもついて行きます」   「俺だけで行く。ついて来るな。これは命令だ」  抑揚のない低い声に、ハーラルトは何も言えなくなった。命令と告げたが、これは自分を思っての事だと理解していたからだ。 『奈落の谷』  太古、大地が荒ぶっていた時代に出来た深い深い渓谷があった。長い年月をかけ、流れる水が更に深く大地を削り、水が枯れた現在は底すら見えない谷となった。  陽の光の届かない闇の底からは、常に不安を掻き立てる風が音を立てて吹き上げている。  何もかも飲み込んでしまいそうな闇と深さは、目に触れたくないもの、側に置いておきたくない穢れ等の捨て場となっていった。  いつしか渓谷は『奈落の谷』と呼ばれるようになり、不浄とされる全てのものの処分場となった。  罪人の遺骸を棄てたり、または生きたまま放り、複数産まれた卵を棄てたり…。  現在は『奈落』というより『不浄の谷』と呼ばれる事もある。 「…皇太子殿下がリリエンタール公爵を『奈落の谷』へ棄てろと命じたのですか」  握り込んだ拳が白く震えた。 「正式に発表されてませんが、リリエンタール公爵が皇家の血筋である事は周知されてます。その彼を不浄の…奈落の谷へ棄てるなど、皇太子殿下は何を考えておられるんですか? 亡骸だからと軽々に扱うなど、ただでさえ今は皇家から心が離れかけているのですよ?!」  皇帝が公の場に現れなくなって久しく、現在の政は皇太子が担っているが、あまり熱を感じない。  更に、宰相であるブランケンハイム公爵は長く登城しておらず、政治は大臣らが各々の好き勝手に行っている。政治が荒れると国も荒れる。  各地の領主が人心が荒れるのを力で押さえつけているのが現状だ。  そこへ高位貴族であるリリエンタール公爵の遺骸への侮蔑的な扱いである。一般に知られたら、皇家への不満が爆発しかねない行為だ。 「…何が皇太子殿下をその様な暴挙に掻き立てるんです?」  一転して静かな口調で訊ねる副官に、漸くアウグストは振り返った。 「リリエンタール公爵は長く出奔しておりましたが、実力派の武人であり、誠実で有能な領主である事は広く知られています」 「…お前がレオンを誉めるとは珍しいな」 「わっ私だって誉める時は誉めますよ! 私が言いたいのは、公爵は皇帝陛下に対し欠片も仇なしておりません。それどころか自領だけでなく、辺境地を含む魔獣の多い地域の討伐数は群を抜いており、現在は被害が少なくなっているのも事実です」 「まぁそうだな」 「それなのに死を賜ったのですか? 功績を無視してまで穢れの中に棄てる程の、何があったと言うのですか?!」  肩のレオンに視線を向け、皮肉げに口の端を歪めた。 「『白竜』を伴侶にしたからだ」  ハーラルトは大袈裟なほどの溜め息を吐いた。 「だから『白竜』が何だと言うのです? 白竜白竜とバカの一つ覚えのように。白竜を伴侶にしたくらいで皇帝にでもなれるのですか?! 阿呆らしい!!」 「鋭いな。なれるんだよ」 「はぁ?!!」  リーンは分厚い窓を破って外へ飛び出した。  最上階から飛び降りながら辺りを見回すと、いつの間にか遠くの空が白み始めていた。  それでも、まだ辺りは暗い。  気配を消しながら駆ける。  さすがに筆頭公爵家の屋敷である。  広大な敷地に本館、別館、厩舎などがあり、風よけと視界防止を兼ねた木々と高い城壁がぐるりと囲んでいる。  遠くから犬の吠える声が聞こえてきた。  防犯と追跡に特化した魔犬だ。  気配は殺せても、匂いはさすがに消せない。  林の間をジグザグに走りながら城壁を目指す。  背後に迫る魔犬の声に焦りが募る。  木に登り、目立たず越えられそうな城壁を探す。生い茂る木々の枝から枝へと移動しながら、城壁の篝火が少ない場所を見つけた。  迫りつつある魔犬の声を背に、リーンは一気に城壁へ飛ぶ為に脚に力を込めた。  飛ぼうとした瞬間、リーンの肩を大きな手が掴んだ。      

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