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第171話

 水が流れ出るように四肢から力が抜け、レオンは椅子から崩れ落ちた。  気管から木枯らしのような音がする。肩を大きく上下するが空気が入ってこない。  息を吐くと、同時に大量の血が喉から溢れ出た。  背中を伝う冷や汗。腹の中を灼熱の塊が暴れているのに反し、体温が急激に失われ手足が小刻みに震え始めた。  通常の毒程度では竜人族は死なない。  だが、唯一、竜人族を殺せる毒があった。 『竜殺し』   「…くっ…がはっ!」  喋ろうとすると息と共に、熱湯のような血が溢れ出る。  鮮血は真紅の絨毯に吸い込まれ、起き上がろうと足掻く手足に力が入らない。  優雅に茶を飲みながらヒルデベルトがレオンを見下ろしていた。  アウグストは忙しくヒルデベルトとレオンを交互に見ている。どうやら知らなかったようだ。 「お…同じ…茶を……」  同じ茶を飲んだ筈だ。  従者は同じ茶器から注いでいた。レオンの眼を欺いて何かを仕込む隙は無かった。  ヒルデベルトは杯を傾けると、明るい紫色の液体が湯気を纏って零れた。 「この茶にも、其方に飲ませたのと同じ毒を入れてある。そう『竜殺し』をね」 「……」 「私が無事で不思議か」  ふっと鼻で笑い、ヒルデベルトは指を鳴らした。 「私が飲んで、其方が飲まなかった物がある」  傍らの従者の掌に小さな小瓶があった。  ヒルデベルトはゆっくり立ち上がり、従者の手から小瓶を取り上げ、レオンの目の前に置いた。 「解毒薬だ」  愉しそうに笑い、ヒルデベルトは小瓶を踏み潰した。 「其方は、自分に注がれる茶のみ注視していたな。私の茶に檸檬を搾っただろう。その時一緒に解毒薬を入れたのだ」  粉々になった硝子が着いた靴底でレオンの頭を踏みつけ、力を込めた。 「ぐっ…」  絨毯に顔がめり込む。巨岩を乗せられたように頭蓋骨が軋み、内側から耳障りな音が響いた。 「おやおや、異母弟殿の頭は頑丈だな。なかなか砕けぬ」 「殿下」  更に足に力を込めようとしたヒルデベルトにアウグストが声をかけた。 「俺は聞いてませんよ」  抑揚は無いが声に怒りが滲み出ていた。 「こいつと手合わせさせてくれる約束でしょう」 「毒を仕込んだ事を責めぬのだな。どの道、異母弟殿には死んでもらうつもりだった。遅いか早いかの違いだけだ」  忌々しげに口元を歪めて足に力を込めるが、思うようにレオンの頭は砕けない。面白くなさそうにヒルデベルトはレオンの顎を蹴った。  さほど力を込めたように見えなかったが、レオンは背中から壁に叩きつけられた。 「ぐっ…うぅ……、がっ…はっ……」  受け身を取れずに床に落ちた衝撃で、一際、大量に吐血した。  肩で息をするが、新たな空気が肺にまで届かない。  ブラッド……。  森の奥に秘匿された澄んだ湖の色の瞳が気遣わしげに見ているような気がした。     あの子供に護り切れるか…。    視線を上に向けようとするが、瞼が重く開けていられない。呼吸が細く弱くなっていく。  あと僅かな時間で己の心臓が止まる。  狭まる視界の先にヒルデベルトの足があった。 「いやはや、しぶといのぅ異母弟殿。即死毒の筈だが?」  レオンの額を爪先で小突き、首を傾げた。 「皇帝……病…、は…白…竜……」 「ああ、父上の…皇帝陛下の病を癒す為に白竜を召喚しなかった理由か?」  床に膝をつき、ヒルデベルトはレオンの髪を鷲掴んで顔を上げさせた。 「陛下の病は『白竜の呪い』だ。癒せるのは白竜の心臓のみと伝えられておるが、真実かどうかは知らぬ」  白竜の呪い?  心臓? 「何はともあれ、心臓は一つ。優先権はブランケンハイム公爵にある故、こればかりは仕方がない」  視界が暗い。  ヒルデベルトの声が水の中にいるように遠い。  鼓動が不規則になり、徐々に弱まっていく。呼吸が浅くなり、瞼が重く、開けていられない。 「安心おし、異母弟殿。其方の愛しい白竜もすぐに後を追う事になろう。それとも先に逝っているかなぁ」  ヒルデベルトがレオンの髪を唐突に離した。  支えなくしたレオンの頭が床に直撃した。衝撃で目の前が真っ赤になった。 「ぐっ…かっ…はっ……」 「おや、まだ痛覚があるのか。早く楽にしてやろう。大将軍殿、異母弟殿の首を落としてくれないかな」 「…それは命令か」 「お願いなのだが…、其方には命令の方が良かろう。首を落とせ」  レオンとヒルデベルトを交互に見やり、アウグストは無言で腰の大剣を抜いた。  胸を鷲掴み、荒い呼吸を繰り返すレオンの首筋に切っ先を突きつけた。ひやりとした刃の感触にも反応出来ないでいると、アウグストが無造作に大剣を振り下ろした。  甲高い金属音が響き、アウグストの大剣が跳ねた。  レオンの項が青金色の鱗に覆われていた。   「これは無理だな」  肩を竦め、アウグストは剣を鞘に収めた。 「…興が冷めた」  ぴくりとも動かくなったレオンを冷やかに見下ろした。 「穢れた屍は奈落の谷に棄てろ。目障りだ」  忌々しげに吐き捨て、ヒルデベルトは扉の前に立った。  外から扉が開けられ、部屋を出ようと進みながら従者を振り返る。 「室内の物は全て処分し、新しい物に取り替えろ」  従者が手を叩くと、顔を伏せた使用人が室内になだれ込み、無言のまま作業を始めた。 「…白竜など伴侶にするから殺されるのだ」  蔑んだ眼を一瞬だけ向け、ヒルデベルトは部屋を出た。  使用人が室内の家具を運び出したり、壁掛けを外したりと慌ただしく動いている中、アウグストは短い嘆息を吐いて、レオンを肩に担いだ。             

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