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最終話 悪魔の唇
「…そう。君は…中央教会から、清涼を呼び戻す密命を受けてこの村まで来た…というんだね?確かに、彼は普通の人間とは比べ物にならないくらいの、高い戦闘力を持っているし、なにより…あの高い耐魔属性…なるほど。いくら新米エクソシストといえども…手許に置きたがる、か……」
静かなその声は、夕闇が迫る……教会の裏側にある墓地に静かに吸い込まれるようだった。
美しい響きだった。
まるで……梢を渡る春風のような、温かくて柔らかな声音で紡がれた言葉は……目の前に立つ、上質な黒いマントを羽織った美しい青年から発せられているのだった。
一体いつ、どうしてこんなところに……疑問が浮かぶが、柔らかく笑んだ深紅の美しい瞳に見つめられた途端、それらは一瞬にして霧散した。
そう……そんなこと、どうでもいい。
ただ……この目の前の美しい人の姿を見て、その美しい声に耳を傾けたい。
彼女の心はそれだけで満たされて、幸福感に酔いしれるのだった。
「それは…困ったねえ…?」
そう、呟かれた声は……微かに笑いを含ませていて、困ったと口にしたにも関わらず面白がるような、響きを持っていた。
それを不思議に思って彼を見つめると、ふわりと……花が綻ぶような笑みが零された。
美しい……そう思って息を飲んだ。
陶然とした気持ちのまま……私は彼の言葉を待った。
それしか……できなかった。
そんな私に彼は静かにその唇から……言葉を紡いだ。
「だって…彼は…多分戻らないよ?君が何を言っても無駄だったろう?無理強いして…中央教会を抜けられたら、それこそ目も当てられない…だから、困ったねえと言ったんだよ。成果なしじゃあ…君もいつまで経っても、中央教会に帰れないでしょ?まだ…正式なエクソシストになれていないのだから…早く戻って修行を再開したいのに…彼がうんと言ってくれないから…君はここに居るしかない…」
そう言って、本当に困ったねえと再び繰り返す彼の唇を……ただ見つめるのだった。
そして、彼の言葉を頭の中で繰り返した。
帰れない……?
そうだ。私は……彼を連れて……先輩エクソシストである、清涼を連れて帰らなくてはならないのだ。
自分の使命を改めて思い返して、私は唇を噛みしめるのだった。
一週間経っても二週間経っても……全く成果を上げられないことに苛立ち、困惑して……私は、彼が教会の神父様の腰痛の薬を取りに行くために、教会を出て行く背中を見送った後、一人考え事をする為にここへとやって来たのだった。
そして……この人と出会ったのだ。
夕闇が迫る……小さいけれども、隅々まできちんと手入れが行き届いた、この村の墓地には先輩のお母さまが眠っている。
私がこの村に着いた最初の日に先輩に頼んでお墓参りをさせて貰ったのだ。
毎日、彼が掃除をしているのだろう……供えられた花は、いつ来てもみずみずしく、花びら一枚落ちてはいなかった。
そのことに感動して、自分も時間があればここにやってきては、掃除をしたりする傍ら考え事をすることにしていたのだった。
ここは……寂しい墓地ではなかったから。
誰もが忘れ去ったような人は、一人も眠ってはいなかった。
親戚が居なくなれば近所の人が……そうでなければ、神父様や先輩が、この墓地を見守っていた。
優しい人たちに守られて、安らかな眠りにつく……ここはそんな場所だった。
だから、静かなこの場所で私は考えた。どうしたらいいのか……と。
どうすれば、中央教会へ戻り上級エクソシストの認定試験を受けることを、頑なに拒む……誰よりも優秀な先輩エクソシストを説得できるのか……いい考えも浮かばないまま、ただふらふらといつものように、考え事をしたくて足を運んだこの場所に……まるで、闇が凝ったような、黒いマントを肩に掛けた……美しい青年が佇んでいたのだった。
そして、微笑みを浮かべて、なにか心配事でもあるのかい?そう優しく問いかけられて……
「どうしたら…いいのか、私には分かりません。先輩は…誰の目から見ても素晴らしいエクソシストです。それなのに…どうして、中央教会の召喚を拒むのか…何故もっと上の階級を目指さないのか…?私には理解できないのです。なにか、理由があるのでしょうか?」
私は、心の中で不安に思っていたことや、疑問などを……目の前の美しい、優しい人に打ち明けていたのだった。
何故……初めて出会ったこの人にそんなことを言ったのか……疑問は浮かばなかった。
ただ……きっとこの人なら答えをくれると信じていたのだった。
それなのに……
「……それはね…彼が…悪魔に魅入られてしまったからだよ…」
彼から信じられないような、答えを返されて……私は……私は……
「嘘…!嘘です…!!あの人に限って…先輩に限ってそんなこと、あり得ません!誰よりも強くて、誰よりも悪魔を憎んでいる…そんなあの人が、悪魔になんて魂を売り渡すはずない!!」
私は、叫んだ。
悲鳴を上げた……!
それでも、彼は……ただ黙って、静かに私をその深紅の美しい瞳でじっと……見つめるのだった。
「……彼を救いたいかい?」
地面に蹲って小さく嗚咽を漏らす私に優しい声がそっと囁いた。
私は……顔を上げて……彼を見つめて……私は静かに頷いた。
救いたい……彼を助けたいと願いを口にしたのだった。
彼は、私の答えを聞くと……ふっと笑みをその唇に浮かべて……こう、告げたのだった。
「それなら…彼を捕らえている吸血鬼を、君が殺せばいい…その呪われた存在がこの世から消えれば…彼を縛り付けているその力も失われる。さあ…これを君にあげよう」
そう言って、彼はマントの内側に手を入れると……それを取り出して私に差し出したのだった。
それは……彼の白くて美しい手には不似合いな、武骨な……いや物騒な物だった。
小さな黒い拳銃……
それを差し出された私は……
「…これで…先輩を…彼を救う事が出来る…!」
両手でしっかりとその拳銃を抱いて……私は微笑んだ。
よかった……!あの人を……私が救えるんだ……!
私は、手の中の黒くて冷たい機械を愛おしそうに撫でた。
「……あと、三日後に満月の夜が来る…青い美しい月が天高く昇る時…君は、彼の寝室へ行くといい。そして、それで吸血鬼の心臓を狙うんだよ。弾は一発しか入っていないんだ。それは…始祖吸血鬼を殺せる特別製の銀の弾なんだ。だから…いいね?必ず君が…殺して…」
「…彼を救ってあげるといい」
気づけば、もうどこにも美しい青年の姿は無かった。
おーいどこだ?という……先輩の声に、はっと我に返った私は、彼から授けられた黒い大切な拳銃を、修道服の内側に素早く仕舞って……彼の許へと駆け戻るのだった。
三日後の……満月の夜。心の中でそう呟いて……
私は、金色の鬣のような髪を、夕日に照らされて立つ……眩しい存在に向かって走るのだった。
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