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(……また失敗した……)  目が醒めた瞬間に分かった。今日もまた、目的を達成できなかったのだと。  柔らかな寝具の上で榛名(はるな)は少し身動ぎしたが、起き上がることはできなかった。それもそのはずだ。背中に感じるのは厚くがっしりとした胸板で、頭の下には筋肉の詰まった二の腕がある。つまり、後ろから抱きしめられているのだ。榛名が逃げ出せないように、がっちりと。 (どうしてこう、いつもいつも……)  昨夜、あのまま寝こけてしまった自分自身が恨めしい。夜中に目を覚まして、自分を抱きしめて寝ている主人にばれぬようこっそりと部屋を抜け出すつもりだったのに。 「……ねえ、そろそろ夜中に抜け出そうと努力するのはやめて、大人しく俺に抱かれたまま朝まで過ごしたらどうかな?その方が心身ともにゆっくりと休まるよ。……まあ、君のその目論見が成功したことは今まで一度も無いからこうやって朝まで俺に抱かれているわけだけど」  びくっ。  背後から――というか、耳元で急に話しかけられたせいで身体が盛大に揺れた。 「お、起きていらっしゃったのですか、旦那様」  主人――霧咲(きりさき)は榛名の言葉には返事をせず、言いたいことを言い続ける。 「だから君が何を目論んでいようと結果は変わらないんだけど、こうも毎朝毎朝腕の中でため息を着かんばかりに落ち込んでいられると俺だって多少は気になるし、君も朝からどんよりした気分で一日をスタートさせねばならないなんて憂鬱だろう?」 「それは旦那様が俺……いえ、わたくしに無茶をさせず事が終わった後はすみやかに部屋に返して頂ければ解決すると思うのですが」 「仕方ないだろう、終わったら君が勝手に寝るんだ」 「ですから、少しは加減をですね……」 「俺を満足させてくれないの?」 「満足していらっしゃらないのですか?」 「してるね、今の時点では。だけど本音を言うともっと君を抱きたいんだ。これでも毎晩譲歩しているんだよ?次の日の仕事に差し支えないようにって。別に俺としては差し支えても一向に構わないんだけど君は気にするだろう?こんなに気を使っている俺に対して今以上に加減をしろだなんて、きみは悪魔の化身か?」 「………」 (まったくもう、この人は……)  榛名は目を閉じて、軽く下唇を噛んだ。 しかし、その心中はそんなつれない態度とは真逆であった。 (もう……………好きぃぃぃっ!!!) 「今日の反論はこれで終わりかい?」 「……ええ、そろそろ起きましょう、旦那様も。確か今日は街へ視察に行かれるのでしょう?車の時間に遅れますよ」 「たまにはきみも一緒に来ないか?離ればなれは淋しいよ」 「生憎ですが、私には私の仕事がありますので」 「はあ、主人が自ら誘ってるっていうのに、君って本当に……」 「何か?」 「いや。……じゃあ、起きるからキスさせてくれる?」 「キスしなければ起きないんですか?」 「起きないよ」 「……分かりました」  抱きしめられている腕の力が緩んだので、榛名はごろんと仰向けになった。腕枕はそのままなので、視線が至近距離で交わる。 (ああ、今朝もなんてかっこいいんだろう……好き……もうどうにでもして……)  榛名はいつもこの顔に騙されて――いや、絆されてしまうのだ。たとえ寝起きで髪がぼさぼさでも、無精髭が生えていても、それすらもうつくしいと思ってしまう。病気なのだ。  病名は恋の病、という。 「おはよう、俺の可愛い小鳥ちゃん。やっと俺の方を見てくれたね」 「……なんで小鳥なんですか?」 「朝からピーチクパーチクうるさいから」 「それはっ!ンッ……ふっ……チュプ……」  榛名は文句を言おうとしたけれど、唇を塞がれたので言葉は霧咲の口のなかに舌と一緒に吸い込まれてしまった。

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