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榛名が霧咲の屋敷で働き始めてから、半年が経とうとしていた。 そもそも榛名は、ここに来る前はとある貴族の下男をしていた。しかし半年前、そこで一悶着あって――その内容は後ほど――身一つで追い出され、行く当てもなく森の中をさ迷い歩きついに行き倒れたところを、偶然森に遠乗りに来ていたこの屋敷の主人、霧咲に助けられたのだった。 霧咲も貴族で、榛名が住んでいた地域一帯を治める領主だった。そんな、自分とはあまりにも身分が違う高貴な人が介抱してくれた上、霧咲は当時身元も不明瞭だった榛名に『良かったらうちで働かない?』と仕事の世話までしてくれたのだ。 勿論、帰る場所も行くあてもない榛名は一も二もなく承諾したのだが、それには更にある理由が加わっていた。 (何この人、超絶かっこいいんですけど~~!!?) 霧咲に、一目惚れしたのだ。 空腹で行き倒れて、もう目もほとんど閉じかかっていたのだけど――霧咲を見た途端、神様が直接迎えに来たのかと本気で思った。それほどに彼は美しく精悍な顔立ちをしていて、なのに抱き上げてくれた身体はたくましくて、その上優しくて紳士で――榛名は同性にも関わらずあっさりと恋に落ちた。 色恋沙汰に巻き込まれるのは金輪際御免被る、勿論自分が恋をするのも含めてだ、と森の中でさ迷いながら散々思っていた。 もしこのまま死んで生まれ変わることがあるならば、感情は持たず他人に振り回されることもない鉱物なんかになりたい、等々思っていたにも関わらず――。 (どうしよう……、もう、めちゃくちゃ好き!!) もはや、その想いは病気である。 そもそも、真面目を絵に描いたような榛名が何故前の職場を追い出されたのかというと、元主人の娘の婚約者――やはり貴族で、見た目通りの遊び人――が、その婚約披露パーティーで食事の準備をしていた榛名を一目見て気に入り、無理矢理襲いかけたところを娘が目撃したのだ。  逆上した娘の敵意は全て榛名に向けられ、親に言いつけ、榛名は泥棒猫呼ばわりされた挙句そのままクビになり、着の身着のまま屋敷を追い出されたのだった。 そんなことがあったせいで、もう二度と色恋沙汰には関わりたくないと思っていたのだが、もはやそんな考えは頭の片隅に追いやっていた。好き放題に身体を弄られ、挿入の寸前まで襲われかけたおぞましい記憶とともに。 しかし、貴族でこの地域の領主である霧咲と、平民で一介の使用人である榛名――しかも跡取りも産めない同性――が結ばれる可能性は万に一つもなく、その事実にただ悲しくなった。むしろ悲しむことさえ烏滸がましい、無謀すぎる恋だった。 それでも近くに居れるだけで幸せだと思い、霧咲の役に立てるように一生懸命に働いた。そんな榛名を好ましく思ってくれたのか―― それとも拾った責任を感じているのか分からないけれど――霧咲は他の使用人よりも榛名によく話し掛けていた。榛名はそれだけでとても嬉しかった。 そして今から3ヶ月ほど前、信じられない出来事が起きたのだ。 『榛名、俺は君を愛している……一目惚れなんだ。俺のものになってくれないだろうか』  霧咲に真剣な顔でそう言われた。勿論、飛び上がるほど嬉しかった。ただ、嬉しかったのはほんのひとときだけで――榛名は現実が見えていない子どもでも、後先を考えずに突っ走る馬鹿でもなかった――すぐに我に返った。 (この御方は貴族で、その上領主様だ……いずれは同じ貴族のお嬢様と結婚して、跡継ぎである子を為さねばならない存在なのだ……愛してもらえたところで、しょせんは妾にしかなれない。それでも喜ぶべきなんだろうけど、嫉妬深い自分がその仕打ちに耐えられるとは到底思えない……)  結果、榛名は片想いを続けていた方が幸せである、と即座に判断した。なので。 『すみません旦那様、私はそのお気持ちにはお応えできかねます……』 『えっ?』 『えっ?』  霧咲のそれは、まさか断られるとは思ってもいなかったかのような『えっ?』だった。何と言う傲慢不遜、高飛車、勘違いも甚だしい。(勘違いではないのだが) しかし、そんな主人のことを榛名はたまらなく愛しているし、霧咲はそんな榛名の想いや視線にとっくに気付いていた。なので、ほぼ完璧に成功するプロポーズのような気持ちで告白したのだ。断られることなど小指の爪の先ほども考えていなかった。 『……それは何故?』 『なぜ?おかしなことをおっしゃいますね。旦那様は男、私も男でございます』  毎日『好き好き旦那様、超愛してる、抱いて!』と言葉にはせずとも視線で思いっきり霧咲に訴えている癖に、今更お前がそれを言うのか……と霧咲はツッコみたくてたまらなかったが、この妙に頑固な使用人を徐々に素直にさせていくのも面白いかと思い、その場で自分の愛を信じさせるのはやめておいた。  そして、現在に至る。

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