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第7話
トントントンというまな板と包丁の音に、斗真の意識がゆっくりと覚醒した。
長い夢を見ていた。
健気で優しい悪魔の夢を。
悪魔を愛した2人の男の夢を。
頬を流れる雫に、自分が泣いていたことを知る。いや違う。これは己の涙ではない。
己が持つトーマスの、そしてトビアスの魂の涙だ。
胸の上に置かれた雑誌を退けて起き上がると、キッチンから愛するパートナーが姿を現した。
白い髪に赤い瞳。
アルビノの彼は、夢の中で健気に想い人を待ち続けた悪魔とよく似た容姿をしている。
「あれ、起きてる。起こそうかと思ったところだった。」
歌うような美声だった悪魔とは違う、少し低めのハスキーな声。夢の中のあの美しい悪魔とは、似ているがやはり違う。
けれど、わかる。
斗真はスマートフォンを手に取り、ブラウザを開く。検索ワードに打ち込むのは、アネモネの花言葉。
赤のアネモネは、君を愛す。
白は、期待。真実。希望。
そしてあの洋館に最も多く植えられた紫のアネモネの花言葉は。
あなたを信じて待つ。
悪魔とは思えない慈しみの表情で育てていたのは、その心を表す花だから。ユリアンは、ずっとずっとアネモネに願いをこめていた。
目頭が熱くなる。
次に検索したのは、薔薇の花言葉。トビアスがユリアンに贈りたかった、144本の薔薇が意味する言葉。
「何度、生まれ変わっても….君を…!」
その意味を知った斗真は、堪らず悠里を抱き締めた。
間違いなどではなかった。
悠里に初めて会ったあの時感じた、打ち震えるような喜び。体の奥底から湧き出る愛。
間違いなどでは、なかったのだ。
あの夜、トビアスは愛するユリアンの命を奪い、ユリアンと過ごした洋館に火を付けた。僅かに微笑みを浮かべたユリアンの亡骸を抱き締め咽び泣き、崩れ落ちてくる天使が揺蕩う天井画を全身に受けながら、燃え上がる炎の中で信じてもいない神に叫んだ。
どうか来世で再び出会い、そして時を同じくさせてくれと。
悪魔の亡骸を抱きながら、悪魔殺しの人間が、悪魔との未来を願う。
なんと愚かで滑稽なのかと、きっと神は嗤っただろう。けれど神はトビアスの願いを聞き入れた。
「ちょ、なんだよ突然!飯冷めんぞ!」
「悠里、悠里…悠里いいぃ…!」
「はいはい、泣き虫斗真くんはどうしたのかなー。」
斗真の大きな背中をぽんぽん叩くその手の薬指。つい先日斗真が贈った指輪が光っている。
昨年、日本で同性婚が認められた。
手を取り合って喜び、テレビでニュースを見たままの勢いで結婚しようと約束した。
「食ったら出ようぜ。今日はビーフシチューだ。好きだろ?」
今日、これから、婚姻届を出しに行く。
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