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すべてはそこから始まった
――コイツと一緒に、海を見たかっただけ……気分転換になるだろうなと思ったから。
「あっ、小林さん。お疲れ様です」
先に来ていた後輩は顔だけ振り向いて、嬉しそうに微笑んできた。
もうすぐ日没を迎えようとしている、国道沿いにある某浜辺。デートスポットにもなっている場所なので、平日ながらカップルがぽつぽつといらっしゃる状態だった。
「おー、お疲れ。外回りは順調だったか?」
「それなりに、まあ。……てか、どうしてここを待ち合わせ場所にしたんですか? 男同士で来てるの俺たちだけって、ちょっと――」
「どうしても海を見ながら、煙草を吸いたくてな。ひとりぼっちは寂しいから、お前を呼んだだけ」
眉をひそめ、辺りをキョロキョロする挙動不審な後輩に、笑いながら理由を告げてやった。
「げーっ。それだけのために呼ばれたなんて……」
他にも何か文句を言い続けるのをしっかり無視して、上着のポケットから煙草を取り出し、口にくわえた。
「……はい」
隣から火の点いたライターが、そっと差し出される。海風に消えそうなそれを手で包み込み、顔を寄せて煙草に火を点けた。
「いつも気が利くな、ありがとよ」
「別に。……小林さんには世話になってるから」
目の前で沈む夕日を浴びているせいか、後輩の頬を赤く染めているのを横目で見た。短く切り揃えられた前髪が、時折吹き抜ける風で舞い上がり、端正な輪郭を更に格好良くみせている。
(どーして世の中、こんなにカッコいい男を振るヤツがいるんだろうか)
などとしんみり思いながら、煙草の煙をふーっと吐き出した。
「お前、海が嫌いか?」
「えっ!?」
「やっ、何かさっきから、つまらなそうにしてるからさ。カップルだらけの中で野郎といるのが嫌とか、要因はたくさんあるだろうけど」
俺は一緒に、海が見たかったんだけどな――
「……元奥さんと来た場所ですか?」
ワガママを発動して連れてきた俺に復讐すべく、平然とした顔でさらりと酷いことを言う。
「どうだったかな。大昔の話過ぎて覚えちゃいない」
「嘘だぁ! 記憶力が社内で一番の小林さんが、覚えちゃいないなんて言葉は信じられませんって」
どこか可笑しそうにくちゃっと破顔してから、夕日が沈みかける海原へ、そっと視線を移した後輩。
絶好のロケーションのはずなのに、それを見つめる瞳はどこかやるせなさを含んだもので。見覚えのあるそれにどうしても視線が外せず、横目でじっと見つめてしまった。
『こんなに愛しているのに、どうして分かってくれないの?』
この言葉を投げつけながら俺を見たカミさんの瞳と、後輩の瞳が重なって見えるんだ。
「お前、どうして……」
「はい?」
煙草を吸いきり、持っていた携帯灰皿に吸殻を突っ込む。
「どうしてそんな顔して、海を見てるのかって」
多分、触れちゃいけない領域だと分かっていたのだが、同じ瞳を宿す後輩を何とかしたくて、思いきって訊ねてみた。妙な間で告げた俺の言葉に後輩は一瞬息を飲み、えらく沈んだ顔をしてから、小さなため息をついて俯く。
出合い頭の表情との違いに、やってしまったなと後悔しながら、海に吸い込まれる夕日を眺めることにした。さっきよりも小さくなった夕日に反比例して、空の色が深い藍色なっていった。
「……繋がってるから。好きな人が住んでいる場所に」
「え――!?」
それは、波の音でかき消されそうな声だった。
「海を見ると思い出すんです。その人を好きだった頃の胸の痛みや、いろんなことを」
少しだけ口元を尖らせ、足先を使って砂を蹴り上げる。日没を知らせる日の光が蹴り上げた砂を、ちょっとだけ煌かせた。
「後悔しているのか?」
「ええ。俺が好きになったせいで、相手を酷く傷つけましたから」
「今、その相手はどうしてる? 傷ついたままなのか?」
カミさんと泥沼の離婚劇をした俺が、聞くべきじゃないだろうな。
「愛する恋人と一緒に、幸せに暮らしていると思います」
その言葉に腕を伸ばして、後輩の頭をこれでもかと撫でまくってやった。
「わっ、わっ、小林さんっ!?」
「結果オーライじゃないか。お前のお蔭で幸せになったのかもしれないだろ」
「でもっ!」
「それに海だけじゃないだろ、相手とつながっているものは」
頭を撫でていた手で、星が瞬きはじめた空を指差してやる。
「あ……。確かに」
「案外、同じ星空を眺めていたりしてな」
呆然とする後輩の顔がおかしくてクスクス笑いながら、もう一本煙草を吸おうと上着のポケットに手を忍ばせた。
「小林さん、ありがとうございます。何だか心が軽くなりました!」
薄暗がりでも分かるくらい、後輩の顔はさっぱりした表情に変わっていた。ツキモノが落ちたと言うべきか。
「良かったな、そりゃ」
「あの、何か困ったことがあったら力になるんで、遠慮せずに言ってくださいね」
「だったら、俺と付き合え」
ずっと心に秘めていた想いがぽろっと口から出てしまい、身体をぴきんとこわばらせるしかない。諸事情で火照った頬を、海風が冷やすように撫でていった。
「付き合うって……。えっと、こうやって一緒に海を見るっていう感じで?」
「そ、そうだ。こんな場所でひとりきりなのは、やっぱり寂しいからな」
取り出した煙草を手のひらで握り潰してしまうくらい、自分の一言に衝撃を受けてしまった。
募った想いを告げるには、まだまだ早すぎるだろう。後輩の心の傷は想像以上に深いものだと感じたし、それに俺みたいなオッサンと付き合ってくれるかどうか。まずはこうして接点を持って、距離を近づけてからじゃないと――
「いいですよ。俺、小林さんのことが好きだし」
あっけらかんとして告げられた言葉で、更に呆然としてしまった。
「すっ、すすすす、すきぃ!?」
素っ頓狂な声を出した俺を、指を差してゲラゲラ笑いだす。
「小林さんが俺を気にしていたこと、実は分かっていましたよ。何だかんだ構ってくれるし、目がよく合っていましたから」
「あ、はい……」
「自分からきっかけを作ろうと思えば作れたけど、それじゃあ面白くないし。だから待っていたんです。小林さんからのアクション」
(――なんてこった!)
「だから嬉しかったですよ、こうして海に誘ってくださって。なのに本人、色気のない話ばかりするから、正直困っちゃいました」
柔らかく微笑みながら身体を寄せて、そっと抱きついてきた。
「だ、だってよ、お前――」
「俺のことをずっと見ていた貴方だから、分かってくれると思いました。傷ついた心を優しく包み込むような言葉で、癒してくれてありがとうございます」
上着の襟を引っ張られ、重ねられた唇。俺は目を見開いたまま、それを受け続けた。
(信じられん。何が一体どうなってしまったんだ)
唇が離されても何もかもが夢のようで、目の前にいる綺麗な後輩の顔を見下ろすことしかできない。
「もう二度と灯ることがないと思った俺の心に、火を灯してくれた貴方をずっと愛していきます」
畳みかけらるような告白の数々に、頭がひどくグラグラする。コイツってこんなに、情熱的なヤツだったんだな――
「え、っとぉ、俺はバツイチだしオッサンだし。……本当に大丈夫なのか、竜馬?」
告白に答える勇気がなくて自分の置かれているいろんな立場を、つい口にしてしまった。若い竜馬を自分のモノにするには、いろいろと考えてしまうから。
「まったく。さっきから色気がなさすぎです。俺のこと嫌いですか?」
端正な顔で睨まれて、うっと顎を引いてしまったのだが。――ここは腹をくくって、きちんと言わなければならないだろう。
「嫌いじゃない。す、好き、だ」
思いきって告げた途端に心の奥底で小さな火が、ぽっと灯った気がした。
(ああ、竜馬が言っていたのは、このことだったのか)
さっき見た沈みかけた夕日の光に似たそれを、目の前にいる竜馬に重ねて、ぎゅっと抱きしめた。
「俺も大好きです、小林さん」
俺の身体に腕を回し、そっと告げてくれた告白に答えるべく、自分から唇を重ねてやる。互いに灯した炎を消さないように、しっかりと想いを確かめ合ったのだった。
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