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【最終話】第8話
「ユウ? 何があった?」
「何が?」
「最近、様子がおかしいから」
「何もないってば」
本当は、嘘だ。
背中の火傷がヒリヒリと痛む。
毎日、キリキリと言いようのない不安に締め上げられている。
考えまいとしているのに、暗い思考にとりつかれ離れられない。
12年前に作られた、情報提供を呼びかけるチラシ。
・身長165~195cm
・中肉中背
・10代~40代
・黒髪、当時の服装は、白っぽいTシャツにジーンズ
・所持品は、カードのような紙片が5枚
火の勢いが激しかったせいで、容姿は勿論のこと、服も全て、判別できないほど炭化していた。
守るように胸に抱えられていた紙片が、身元判明の鍵を握ると思われたが、それも辛うじて形が残る程度。
最新の科学をもってしても、中身は全く読み取れない。
結局、頼れるのは、実際に言葉を交わした幼いユウチの証言のみ。
けれども、記憶を探れば探るほど、ミチルと重なる。
今となっては、彼以外ありえない気がする。
「ユウって、僕のことを呼ばないでっ!! その呼び方……嫌いだ」
八つ当たりのような憎まれ口をたたくと、ミチルが眉根を寄せた。
「みっちゃん、今すぐ抱いて。それで番になろう」
「卒業後って決めただろ?」
「そんなこと、どうでもいい。待てない。今すぐがいい」
ヒステリーのすぐ後で、セックスを強要する。
脈絡がない。めちゃくちゃだ。
不安や苛立ちをミチルにぶつけては、愛想をつかされるのを恐れて縋り付くというのを繰り返している。
制御できない不安定な自分に、地の果てまで落ち込む。
八方ふさがりで、どこにも出口は見当たらない。
ついこの間まで、世界中で幸せだと感じていた。
あの日々と表面上は何も変わらないはずなのに……どうしてこんなことになったのだろう。
苦しい。
苦しくて、息が出来ない。
酸欠で、くらくらする。
「卒業まで待とうと決めたのは、ユウに後悔してほしくないから。今は、頭に血がのぼって俺だけしか見えなくなっているかもしれない。けど、何年もたって、この貧乏な暮らしに疲れてきたときに、違う選択肢を考える時が来るかもしれない。そのときに、番になっていると足かせになる。そうなって欲しくないから、せめて、卒業までの2年間、結論を出さずにおこうと思うんだ」
「じゃあ、番じゃなくていいから、僕を抱いて」
「一度、抱いてしまったら理性を保つ自信がない」
「それなら、それでいい。番になればいいじゃない」
「だから、それだとユウが後悔するかもしれないだろ?」
いつまでも、平行線。
望む答えは、返ってこない。
「ユウ? 最近、おかしいよ? 何があった? 俺に言えないことなのか?」
「何もないって! 僕は、元からこんな人間だ。がっかりした?」
こんなにも好きなのに。
毎日、一緒にいるのに。
すぐ、隣にいるのに。
近いのに、遠い。
不安にささくれだった心は、他者を傷つけることでしか保つことはできない。
どんどん、自分を嫌いになっていく。
口から出るのは、憎まれ口。
醜くて、汚い。
存在価値ゼロ。
生きていていいのだろうか?
どうやったら、もとに戻れるのだろう?
彼に愛されていた自分に戻りたい。
すっかり笑い方は、忘れてしまった。
ミチルも、むっつり黙り込んでいる表情しか、最近はみていない。
こんなはずじゃなかった。
「もういい。バイトに行ってくる。しばらく、帰らない」
「いいよ、このまま帰ってこなくて。僕のこと面倒だと思ってるんだろ?」
「そうじゃなくて」
ミチルは、小さく溜め息をつくと、そのまま出ていった。
言葉の通り、その夜、ミチルは帰ってこなかった。
その次の日も。
そして、ミチルが帰らないまま、ユウチは発情期を迎えた。
「……はっ……っ……」
頭に靄がかかり、体が熱い。
下肢に手をやる。
熱を持った中心が、物欲しげにヒクついいている。
欲しい。
ミチルが欲しい。
「う……そ…つき。いっしょに……てくれる…っていったのに」
バイトを休んで一緒に発情期を過ごしてくれるって約束した。
あんなに、大事にしてくれていたのに。
あんなに、幸せだったのに。
もう、愛はなくなったのか。
「み、ちゃ……ん」
そりゃそうだ。
こんな醜い自分のことを好きでいてくれるはずがない。
だって……
自分だってこんなにも嫌いなんだから。
誰にも必要とされない醜い自分。
「あっ…っ……んっ…」
下肢に伸ばした手を激しく動かす。
乱暴な愛撫では、快楽はちっとも生まれない。
義務感のように白濁を吐きだす。
ミチルに会いたい。
どうして、自分を一人にするの。
どうして、苦しいのに来てくれないの。
「あいたい」
発情期の熱は、体の中をぐるぐると駆け巡ったまま。
吐き出しても、吐き出しても、苦しみは和らがない。
「みっちゃん……助けて……」
涙が頬を伝う。
突然、カチャリと音がして、フワリと空気が変わった。
気配のする方向に目を眇る。
ミチルだった。
そのまま息を殺してうずくまっていると、背中に彼の厚い胸板を感じる。
「ユウ、ごめん。戻るのが遅くなった。一人にしてすまない」
暖かなぬくもりに抱き締められた途端に、荒くれた波が鎮まる。
ミチルだ。ミチルがここにいる。
思いっきり、空気を吸い込む。
彼の匂いが体の中に広がる。
「みっちゃん」
帰ってきてくれた。
見捨てられた訳じゃなかった。
まだ、必要とされている。よかった。
安堵と喜びが、体を満たす。
ただ、彼の名前を呼ぶことしか出来ない。
その他に、言葉が浮かばない。
「ユウ、愛してる」
ミチルがユウチの顎を取り口づけした。
力なく開いた唇から侵入した舌は、そのまま歯列を割り上顎を愛撫しはじめる。
「ああ」
吐息のような喘声がもれる。
のしかかる重みに身を震わせる。
嬉しい。
夢にまで見た。
何度も、何度も、お互いに貪りあう。
もっと、ひとつに溶け合いたい。
ミチルの手が、ユウチの下肢に伸びた。
いつの間にか、生まれたまんまの格好になっている。
「んんっ あ、そこ」
全身に電流が走った。
気持ちが良くて、おかしくなりそうだった。
ユウチの反応にさらに追いたてる指に力がこもる。
切っ先をグリッと爪の先で刺激される。
そのまま、違う方の手で後孔に体液を塗り付けられる。
彼の指が触れただけで、自分のそこがヒクヒクと痙攣し、内部に誘い込む動きを始めたのがわかった。
すっかり準備は出来ている。
「も、いれて」
懇願と同時に、大きくて固いものが入り口にあてがわれた。
ミチルのペニスだ。
そう思った途端、粘膜から愛液が溢れ出てきた。
まるで、女の子になったように、体が作り変えられていく。
これが、Ωの性。
Ωであることがうれしい。
ミチルを受け入れる性であることに喜びを感じる。
体中の細胞という細胞が、ミチルを欲している。
「ああ」
ミチルのペニスが、愛筒の奥に向かって進む。
初めてのはずなのに、パズルのピースのようにピッタリと彼の形に当てはまる。
「ユウの中が俺を歓迎してくれている」
耳を擽る様なミチルの声が、官能を刺激する。
それだけで、体の奥から震えがくる。
彼が、チュッと背中に口づけた。
火傷の痕だ。
「あー、いくーー」
果てしない愉悦。
一体どこまで、昇りつめるのだろう。
「ユウ、愛している、覚えておいて、俺がお前を愛したってことを」
ミチルの律動が激しくなる。
ユウチの体も、答えるように揺らめく。
「僕も、みっちゃんが大好き。愛している。首に噛みついて! 番にしてっ!」
振り落とされないように、首にしがみ付いて叫ぶ。
大好き。大好き。
愛している。
このまま、身も心も、ミチルのものにして欲しい。
「ああーー」
繋がったまま、ユウチをくるりと反転させると、ミチルは首ではなく、火傷痕に歯をたてた。
番うことはできないが、これが精いっぱいのミチルの譲歩。
十分だった。気持ちは受け取った。
ユウチは白濁液をまき散らした。
内臓がうねり、ミチルのペニスを締め上げる。
もっと、もっとミチルが欲しい。
どこまで、貪欲に欲するのか。
とうとう、内部でミチルが爆ぜた。
ミチルの分身が、トロリと粘膜中を広がっていく。
「ユウ、愛している」
また、唇を塞がれる。
数え切れないほど、愛の言葉をもらった。
「僕も、みっちゃんを愛している」
数え切れないほど、愛の言葉を贈る。
それでいい。
それだけでいい。
発情期が終わるまで、二人は体をつなげ続けた。
■ □ ■
パシャンと、水音が響く。
ユラユラと体が気持ちいい。
「みっちゃん?」
「眠ってていいよ。綺麗にしておくから」
お風呂に入れてくれていたようだ。
湯加減がちょうどよい。
落ちそうになる意識を必死に繋ぎとめる。
「どうして、抱いてくれたの?」
ミチルは、それには答えず、少し困った顔をした。
「どこにも行かないよね? ずっと、そばにいてくれるよね?」
ミチルはやっぱり答えずに、泣くのを堪えるような表情のまま。
背中の火傷をそっと撫でる。
「発情期のツラいときに一人にしてごめんな。不安だっただろ?」
「……ど…こに……行ってた…の……」
大事なことだ。しっかりとしなきゃと思うのに、ミチルの手が気持ち良くて、催眠術にかかったように眠りに誘われる。
「ユウに会いに行ってた。お守りをもらうために」
お守り?
疑問を口にしたつもりだったけど、もはや、音にできていなかった。
眠りの世界に半分落ちかけ、言葉もあやふやだ。
「未来のユウは、ちゃんと幸せそうに笑ってた。俺がいなくても大丈夫。ちゃんと自分の力で道を切り開いていたよ」
問いただしたいのに、意識が朦朧として口が動かない。
ミチルがいないと生きていけない。
自分の幸せを一番に考えろって教えてくれたのはミチルだ。
幸せになる責任があるって言った。
ユウチの幸せは、ミチルと一緒にいることだ。
悪意は、全部引き受けるって言ったのに。
一緒に幸せになろうって言ったのに。
……運命の番なのに。
「ユウ? 最初は、5年後だよ。さようならは言わない。また、会えるから……ユウ、愛してる」
お腹に優しい唇のぬくもりを感じる。
優しいキス。
まって、行かないで……
真綿のように優しく包む暖かさに、ユウチはとうとう眠りに落ちた。
■ □ ■
ユウチが、目覚めた時には、すっかり部屋の中は暗くなっていた。
部屋は綺麗に片付けられ、ミチルの姿はどこにもなかった。
心当たりを探し回ったが、懸命の捜索も虚しく彼を見つけることは出来なかった。
「やっぱり、あの時、お前の恩人と似てるって言っちゃったのがショックだったのかな。真っ青な顔をして『俺が助けなきゃ』って意味不明なことを呟いてたから」
聡い彼は、きっとシュウの一言で真相に気付いたのだろう。
シュウとは、あれから縁が切れることなく、兄弟のような関係を続けている。
奥さんとして迎えた女性とじゃれあいの様なケンカをしながらも、毎日楽しそうにやっている。
結局、誰とも番うことはなかった。シュウには、奥さんの彼女だけ。
プライドが高くて俺様だけど、気が優しくて甘えたなシュウの本質を、彼女はとてもよく理解していて上手く掌で転がしている。
α同士の二人だけれど、とっても良いコンビだと思っている。
あれから、5年が過ぎた。
ミチルのいない生活にも、ようやく慣れた。
もっとも、激変した毎日に、落ち込んでいられなかったとも言えるが。
「パパ!」
「ユウチ!」
小さな少年が二人、ユウチの弁当屋に向かって走ってくる。
シュウの子供のタキと、そして、ユウチの子供のミユだ。
ユウチの出産の半年後に、シュウの奥さんも出産した。
二人は、双子の兄弟のように片時も離れず、仲良くすごしている。
ユウチには、妊娠中はもちろんのこと、なぜか、出産後も発情期はこなくなった。
首筋ではなかったけど、火傷痕に歯をたてられたことで番が成立したのかもしれない。
ミチルは、ユウチにかけがえのない忘れ形見を残してくれた。
この子がいたおかげで、生きる希望を失わずにいられた。
所持品として残されたあの紙片の正体は、うすうす気づいている。
「ユウ」
自分を呼ぶ、懐かしくて愛おしい声。
そろそろだと思っていた。
5年待った。
この瞬間を指折り数えて過ごした。
ユウチはミユを抱きかかえて、最高の笑顔で振り返る。
カシャリとシャッターの音が響く。
お守りの紙片は、写真だ。
全部で5枚。
あと、4回彼に会えるはず。
「ミユ……お前のパパだよ。」
笑顔が、涙に変わる。
ちゃんと、頑張ってたよ。自分の足で、道を切り開いていたでしょ?
ユウチは、会いたくて仕方がなかったその腕に飛び込んだ。
完
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