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第7話
「じゃあな」
「行ってらっしゃい。今日も一日頑張ってね」
「お前もな」
ユウチとミチルは駅で別れた。
ちょっと前まで典型的な田舎町だったここら一帯は、今ではオフィスビルやタワーマンションが立ち並び、人口も飛躍的に増加している。
ミチルは、そのまままっすぐに進み、電車に乗った。
ユウチは右に曲がり、そこだけ忘れ去られたような小さなプレハブに向かう。
ユウチの職場の弁当屋だ。
立地がいいことに加えて、味もボリュームも良いことから人気の店だ。
昼はオフィス客、夜は一人暮らしの会社員で賑わっている。
ユウチは学校をやめ、この弁当屋で調理補助として働いている。
この店には、調理担当のおばあちゃんオーナーと販売担当のパートの女性が二人、ユウチを含めて計四人が勤務している。
シュウの両親からは、援助を続けるから高等部の卒業まで通うように何度も説得された。
彼らは、「我が子同然に育ててきたのだから、番とは関係なしに、最後まで責任を持つのが当然」と言った。
ちゃんと、自分の存在を認めてくれていたのだとわかり、涙がでるほどうれしかった。
その陰で、シュウが口添えしてくれていたのも、もちろんわかっている。
彼らの好意をしっかり受けとめたうえで、あえて、その申し出は断った。
早く、社会に出て働きたかったから。
学校の勉強には、未練はない。
ミチルは、自分も学校をやめて働くといって聞かなかったが、特別奨学生ということもあり、自己都合での退学は認められなかった。
学園の進学率を向上させるため、超難関の大学に合格する責務がある。
ミチルは、養護施設をでて、彼の両親が残した家で暮らし始めた。誕生日がきて、16歳に達していたことからスムーズに認められた。
もちろん、ユウチも一緒だ。
毎日が、楽しくて夢のように過ぎていく。
「今日の日替わり弁当は、生姜焼きとサンマの2種類。卯の花と菜っ葉の炊いたのが、おススメ惣菜ね」
「了解」
「夕飯用に取り分けておいてもいいわよ」
「わーい、嬉しい。みっちゃん、オーナーの卯の花が大好きだから」
「相変わらず、仲がいいのね」
オーナーは、目尻に皺を作って微笑んだ。
「来週の休みの件、大丈夫よ。ユウチくんがいないのは痛いけど、みんなで乗り切るわ。気にせず、休んでおきなさい。みっちゃんとは、まだ番にならないの? 発情期はなくなるし、少しは楽になるんじゃないの?」
「みっちゃん、まだ学生だから……お互いに一人前になって責任を取れるようになってから番おうって決めてるんです」
「そうなの。偉いわね。じゃあ、晴れて番になったらお祝いするわね。卯の花でケーキつくってあげる」
「え、それは普通のケーキの方が嬉しいかも……」
職場は、Ωに対する理解があり、人間関係も良い。
いろいろと教えてもらっているおかげで料理の腕も飛躍的に上がった。
もう少ししたら、調理場を一人で任せることが出来るとお墨付きももらった。
調理師の資格も取るつもりだ。
恵まれ過ぎている環境だ。
「ユウチくん、お迎えが来たよ」
「はい。お先に失礼します」
その日は忙しく、気がつけば閉店時間を過ぎていた。手早く店を片付けて帰り支度をする。
ミチルは、家庭教師のバイト帰りに迎えにくる。
そのまま、二人で家に戻る。
会話は、一方的に話すユウチにミチルが相槌を打つというスタイル。
目が合うと、互いに微笑む。幸せな時間。
「ユウ? 夕飯食べたら、すぐに出るから」
「え?」
「バイト増やしたんだ。帰るの遅くなるから先に寝てて」
「わかった」
一緒に住み始めて数か月。
ミチルは、ユウチのことを「ユウ」と呼ぶようになった。
ユウチの「みっちゃん」に対抗し、お前みたいに自分だけの呼び方をしたいというのが言い分だ。
そんな甘い言葉を口にするタイプじゃないので驚いたが、「ユウ」という響きは優しくて、気にいっている。
ミチルの低い声で呼ばれると、何とも言えない心地がして気持ちが騒めく。
呼ばれ慣れていないからかもしれない。
「みっちゃん、働き過ぎじゃない? 無理しないで」
「ユウの方が働いてるだろ? お前が働いている間、学校に行かせてもらってるし」
「だけど……」
順風満帆なミチルとの生活だけど、気になることがある。
それは、「まだ、一度も最後までしたことがない」ということ。
自分から誘いかけるのはハシタナイ気がして、言い出せずにいる。
ミチルはしたいと思わないのか? とか、甘い時間を過ごしたいのは自分だけかと、実は悶々としている。
ミチルは、高潔な一匹狼。
修行僧のように清潔で、潔癖。
性欲のセの字も感じさせない。
あの日は、愛していると囁き、何度もキスをくれた。
しかし、あれが最初で最後。
あれから一度も、情欲にまみれた姿は見せてくれない。
キスさえ、数えるほど。
大事にしてもらっているし、愛されているとも思う。
もっと、イチャイチャしたいというのは、きっと我が儘なのだろう。
来週、発情期がやってくる。
一緒に暮らして、初めての発情期。
期待半分、恐れ半分。
「バイトってどんな仕事?」
バイト先で貰った惣菜と、昨日の夜から仕込んでおいたマリネを並べ、食事を始める。
「バーテンダー」
「え、未成年で大丈夫なの?」
「接客するわけじゃないし、大丈夫。……心配?」
「みっちゃん、かっこいいから誘惑されないかちょっと」
ミチルは何を言われたのか理解できないみたいで、目を見開いて、ユウチの顔をしげしげと眺めた。
そのうちに理解したのか、照れの混じった、はにかんだ笑顔を浮かべた。
「バカだな。俺なんて全然だよ」
あー、この表情、好きだ。
世界中に向かって、叫びたい。
最近、ミチルはいろいろな表情を見せるようになった。
雰囲気が柔らかくなったおかげで、クラスメイトにも気軽に話しかけられるらしい。すごい進歩。
ミチルの良さがみんなに伝わるのは嬉しい。
そう思うのに、喉奥に感じるモヤモヤはなんだろう?
「発情期になったら、一緒にいてくれる?」
「もちろんだよ。そのために、今、頑張ってる。一人にしないよ」
「ありがとう」
「ユウ、お前が大事だよ」
幸せだ。
こんな生活が待っているなんて思わなかった。
けれど、ミチルが「ユウ」と呼ぶたびに、ざわざわと胸の奥が騒ぐ。
「あのさ、今日、オーナーに、店を継がないか?って言われたんだ」
「え? あそこに勤めて、まだ数か月しか経っていないだろ?」
「実際に継ぐのはもっとさきだけど、そのつもりで、味を受け継いでほしいって言われたんだ」
「ユウは、どうしたい?」
「僕は、やりたいと思う。仕事楽しいし、オーナーの味を残していきたい」
「ユウは、すごいな。どんどん前に進んでいく。頑張り屋さんだ。お前を見ていると前向きな気持ちになる」
「みっちゃんこそ、すごいよ」
「いや、お前がすごい」
二人で、顔を見合わせって笑う。
どっちもすごいってことで、いいのかもしれない。
「前、お前に助けられたって言っただろ? こんな俺でも生きていていいって思わせてくれたのはお前なんだ。だから、お前はすごい」
「あのさ、その話、もしよかったら、詳しく聞いてもいい?」
ずっと気になっていた。
ミチルの事情について。
「俺……」
そこで、言いにくそうに言葉を詰まらせた。
小さく深呼吸をして、再び言葉を続ける。
ただ事ではない気配を感じ、ユウチも茶碗をテーブルに置き、姿勢を正す。
「俺、自分の親を殺したんだ」
「小さい頃に亡くなったって聞いたけど」
「そう、2歳の時に交通事故で亡くなった。でも、そのきっかけは俺だった。俺が飛び出したから」
「それは……まだ分別もつかない幼い子供だったから」
「違う。小5の自分が原因だった。考えなしで浅慮な行動のせいで、かけがえのないものを失ってしまった」
「え? だって、今、2歳の時って……」
ミチルの瞳が苦悩の色に揺れる。
その意味を読み取るために覗き込むと、瞼がギュッと閉じられた。
数回、深呼吸する。次に目を開けたときにはいつもの表情に戻っていた。
「変なことを言ってごめん。もう、バイトに遅れるから出掛けるよ」
この話はこれで終わりとばかりに、食器を台所に持っていく。
そして、上着を羽織って出て行った。
ユウチは、夕飯の残りを食べる気にならず、そのままへたり込んだ。
今の話は、何だったのだろう?
何が言いたかったのか?
唐突に、あの日の記憶がよみがえってくる。
炎と熱風。
視界を遮る煙。
自分を助けてくれた優しい温もり。
あの時の彼も、自分を「ユウ」と呼んだ。
ミチルとそっくりな彼。
彼がミチルのはずはない。
ありえない。
心臓が早鐘を打つ。
2歳の時に、事故で亡くなったミチルの両親。
その原因は、小5のミチル。
ミチルが飛び出したから亡くなった。
頭がズキズキと痛む。
彼は、初対面の自分に「愛している」と言った。
さっきのミチルと同じように自分のことを「頑張り屋さん」だとも。
余計なことは考えるな。
大丈夫。
この幸せは、これからもずっと続く。
よくない方向に進む思考を、慌てて停止させる。
大丈夫。
きっと、大丈夫。
ユウチは、不安に悲鳴をあげる心を、無理矢理、封じ込めた。
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