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第6話

 人が行き来する営業部のフロア、断続的に聞こえるコピー機の音――何も変わらない日常に思えたが、俺は劇的に変わっていた。 「吉村、これ今日中に仕上げろってさ」  ドサリとデスクに置かれた書類の束に吉村が息を呑んだ。  俺はすっと目を細めて、吉村を舐めるように見つめた。  体つきは悪くない。それに濃い精液の匂いがする。  ここしばらく残業続きでロクに抜いていないのだろう。 「え~!マジかよっ!俺、また残業?」 「天城専務からの指示だから……」 「じゃあさ、頼むから一発やらせてくれないかな。最近の浦沢、やけに色っぽくてさぁ。ノンケの俺でも抱きたいって思うんだよ」 「俺に手を出した人間がどうなっているか、お前だって分かっているだろう?」 「え……?あぁ……そ、そうだな。お前は魔王様のモノだもんな」 「その通り。手伝ってやるからさ……」 「悪いな……」  バツが悪そうに頭をかいた吉村が資料に目を落とすのを見届けると、自分に向けられて幾つもの視線が纏わりついていることに気付く。  栗色の髪をかき上げながら振り返ると、頬を染めて逃げ出す女子社員数名がいた。 「やれやれ……。これじゃ、仕事にならない」  現代に生ける者は人間や動物だけとは限らない。  目に見えない存在や魔物だって普通に生活している。  時に闇に閉ざされた魔界での生活に飽き飽きし、消息を絶ってしまった最愛の恋人を追いかけて、異世界の壁を越え、こちらで人間のフリをしている魔王がいてもおかしくない。  そして、黒井の手違いによって時空の歪みに呑み込まれ、本来の姿を忘れてしまったままサラリーマンとして生きていた淫魔である俺がいる。  眞欧は本来の俺を取り戻すべく、毎晩のように夢に現れては抱いた。  夢の中の俺は淫魔の俺で、眞欧を翻弄しながらも愛し、愛されていた。  でも、目が覚めるとその記憶は元に戻ってしまう。  闇を統べる魔王でも打つ手がない事態に、少々焦りを感じていたようだ。  しかし、彼が夢から現実へ行き来出来るのであれば、夢とリアルをシンクロさせることで、俺の中に眠っている淫魔の本質を目覚めさせることが出来るのではないかと考えたらしい。  確かに、リアルの眞欧に対しての想いが尋常でなかったことを考えれば納得がいく。  結果、俺は本来の自分を取り戻し、紆余曲折あったが元の鞘へと収まった。  あれから数ヶ月後、正式に眞欧の正妻として迎えられたのだ。  かといって、この日常を不自然に捻じ曲げるわけにはいかない。しばらくは人間としての生活を強いられる。 「――浦沢さん、天城専務がお呼びです」  不意に背後から声をかけられて俺は勢いよく振り返った。  そこには無表情の黒井の姿があった。彼もまた魔王の側近として魔界から同行を余儀なくされた一人だ。 「俺、吉村の手伝いするんだけど」 「至急……だそうです」  黒井の言う“至急”は実に個人的なことが多い。  俺はため息をつきながら、吉村の元に背後から近づき耳元で囁いた。 「専務からの呼び出し。ちょっと席外す……」  吉村はビクッと肩を震わせて、自分の股間を押さえ込んだ。  誰をも魅了する淫魔の力は、魔王の精を受けるたびに強くなっていく。 その様子にクスッと笑ってから、俺はネクタイを緩めながらフロアをあとにした。 * * * * * 数十分後――。 「はぁ……やだぁ。恥ずかし……い、って言ってんだろっ!」 「ほ~ら、瑛太の可愛い下のお口が太いのを頬張っているのが見えるだろ?」 「変態っ」 「あ……。いま、締まったぞ」  専務役員室のドアには鍵が掛けられ、俺は眞欧に後ろから抱きかかえられるようにして貫かれていた。  宮殿にあった物と同じ深紅の革張りのカウチソファ、そのすぐ横には赤いバラが大量に生けられた大きな花瓶が置かれている。  スラックスと下着はローテーブルに無造作に投げられ、開けたワイシャツから見える胸の突起にはピンクゴールドのニップルピアスが揺れていた。眞欧の瞳と同じ深紅の石が埋め込まれたそれは、俺の白い肌に映えた。  敏感になったその場所を指先で捏ねられ、強がっていても漏れてしまう吐息はどうにもならない。  その上、下生えも綺麗に剃られてしまった下半身に凶暴な楔を打ち込まれ、大きな鏡の前で繋がっているところを見せつけられている。  グチュグチュと音をさせながら体を揺すられ、俺のペニスが上下に揺れる。 「やめ……ろ。出ちゃう……出ちゃうからっ。スーツ汚れ……あは……っん」 「着替えは用意してあるっていつも言っているだろう?会社ではつれないなぁ……夫婦なのだぞ?」 「会社でするなって……言ってるだろ!この節操ナシ!あぁ……ぁ……」 「その割には悦んでいるぞ?ここも……」 「ひやぁ……触る……なっ」  いつ誰が訪れるとも分からない部屋での情事。  社員の前では無表情で、容赦のない男が俺のペニスを弄びながらうっとりとした顔で腰を突き上げている。  やや長めの黒髪を乱すことなく、平然と笑みを浮かべながら抱くこの男を、俺は愛している。 「瑛太……。あぁ……可愛い声だ」 「う、うるさい!さっさと終わらせろっ!俺だって仕事がある……んんっ!」 「仕事?お前に仕事を回したつもりはないが」 「吉村の……ぁはっ……書類……っんふ」  鏡越しに一瞬眉を顰めた彼だったが、俺の耳朶を甘噛みしながら深紅の瞳を細める。 「――手伝ってやるのか?」 「あ……たり……まっ……ぁあ……だろっ」 「同僚想いの瑛太にもっと溺れそうだ」 「バカッ!会社……じゃ、当たり……まえ……の、事……あ、あぁ……やらぁ!もう……っ」  クチュクチュと濡れた音を立てながら上下に扱かれると、腰の奥がムズムズとし始める。  こうなったらもう、出すしか鎮める方法はない。  俺は後ろ手に腕を回して眞欧の首に手をかけると、胸を反らせて顎を上向けた。 「あぁ……イキそ。はぁ、はぁ……イク……イッちゃう。――んあぁぁぁっっ!」  ビクビクと体を痙攣させ、中で暴れている彼のモノをきつく喰い締めると、耳元で「うっ!」と低い呻き声が聞こえ、じんわりと腹の奥が熱くなるのを感じた。 「――眞欧、お前もイッたのか?はぁ……はぁ……」 「瑛太がギュってするからだろう?あぁ……ずっと繋がっていたい」 「何言ってんだよ。お前は専務だぞ?部下に言わせれば極悪非道の“魔王様”なんだから。こんなところで色ボケしてる場合じゃないだろっ!さっさと抜けっ!」 「つれないな……。瑛太は私の事が嫌いか?」 「そ、そんなこと言ってないだろ!――夫婦なんだし」 「じゃあ――キスして」  普段、社員に見せている非道な顔とのギャップに萌えてしまうのは、俺が彼の事を愛しているせいなのだろう。  絶対に口には出さないが、こういう時だけ常識を全く無視してしまう彼を“可愛い”と思ってしまう自分がいる。  長い睫毛を揺らしながら目を閉じて、キスを強請る闇の支配者……。 「んもうっ!一回だけだからなっ」 「え?それでは足りないだろう……」 「今は我慢して!夜――いっぱいしてあげるから」 「約束だぞ?違えた時はお仕置きだからな」 「あ~!メンドクサイ!ほら……っ」  チュッと音を立てて薄い唇を啄むと、彼の厚い舌が逃すまいと隙間から忍んで来る。  これではフロアに戻るタイミングが掴めない。  こういう時に限って黒井は姿を現さない。彼の空気の読み方は独特だ。  互いの舌を絡ませて、これでもかと愛情確認に励んでいると、不意にデスクの上の内線ランプが点滅した。  あからさまに不機嫌の様相を見せた眞欧が俺を抱いたまま受話器を上げる。 「――何だ?」  しばらく黙ったまま相手の話を聞いていたようだったが、彼は小さく吐息するとたった一言で用件を片付けた。 「使えない奴はさっさと切れ!甘やかすのもいい加減にしろっ」  一刀両断。ガシャンと音を立てて受話器を叩きつけると、息を殺してその様子を見守っていた俺を見るなり、厳しく引き結んでいた唇をふわりと解いた。 「すまない、瑛太……。急な雑用が入った」 「いや……別に、いいけど」 「お前と離れるのは身を引き裂かれるほど辛い。愛しいよ……瑛太」  頬にチュッと音を立てて何度もキスを繰り返す彼……。  他人には「甘やかすな!」と怒鳴っておいて、俺を底なしに甘やかしている。  そこまでされると、ちょっとだけ悪戯心が芽生える。 「眞欧……。俺、もう一度忍を誘惑してみようかと思ってるんだけど」 「なに?」 「正直、セックスは下手だったけど、今の俺の誘いは断らないだろ?」 「何が不満だ?ん?」 「不満はないよ。ただ――」 「ただ?」 「お前に愛されてるって自慢したいだけ。あんな酷い振られ方されて、淫魔である俺のプライドはズタボロに傷ついたわけ。ちょっと復讐してやりたいだろ?」  眞欧は考え深げに眉を顰めていたが、忌々し気に顔を歪めると吐き捨てるように言った。 「私の妻であるお前が手出しする必要はない。あんなクズ男は我らが手を下さなくても自滅する」 「そうかな……。あいつ、意外としぶといよ?」 「――たくないのだ」  ボソリと呟いた声が聞き取れなくて、俺は振り返って聞き返した。 「え?」 「――お前の体は……誰にも触れさせたくないと言ったのだ」  ちょいちょいと見せる彼の嫉妬心が堪らなく嬉しい。 「眞欧……」  すべてに於いて完璧な男であっても、やはり不安は付き纏う。  それが最愛の者に振りかかる災難であればなおさらだ。  どんな手を使ってでもそれを振り払う――それが、彼の采配。  愛しい男に守られ、愛でられる悦びを知ってしまった今、素直に受け入れるほかあるまい。 「――もう一回だけ、キスしてもいい?」  驚いたように目を見開いた彼は、すぐに端整な顔に戻ると嬉しそうに微笑んだ。 「もちろんだ」  唇を重ね、互いの牙に舌を這わす。  本来の姿に戻ってしまった以上、相手を求めてやまない俺の性。  クチュリ……と銀色の糸を引きながら離れる唇が寂しくて、俺は上目づかいで見つめた。 「ねぇ……。もう一回だけ……イカせて」  彼を仕事に行かせないワガママだって分かってる。でも今は――思い切り甘えたい気分だ。  眞欧はちらっと壁に掛けられた時計を見上げてから、受話器を取り上げると「三十分後に行く」とだけ告げて電話を切った。 「――仕方のない妻だな。私の弱みを逆手に取るとは」 「したくない?」  未だ繋がった部分から溢れる白濁がクチっと小さな音を立てた。  彼は俺の腰に手をかけると、ぐっと腰を突き上げて笑った。 「愚問だな……」 「あんっ!」  花瓶に生けられていた赤いバラの花びらが吐息と共にハラハラと舞い落ちた。  鏡には深紅の瞳に欲情を湛える二人の魔族が映し出されている。  浅ましくも妖艶に絡み合う二人の姿は、ブラインドから差し込んだ太陽の光さえも闇に変える威力を秘めていた。  甘やかに、そして――濃密に。

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