1 / 39
不眠症
きらきらと光る星空を、アルは忌々しく見つめた。
この世界を統べるのはアルファと呼ばれる人々。
男女の性別以外に、アルファ、ベータ、オメガなんていう性別が存在する。
ベータは普通の人間だ。
問題はアルファとオメガ。
始まりと終わりの名を冠したこの第二の性別を持つ人々は、あらゆる意味で特別な存在。
アルファは世界の中心。
見た目もさることながら、身体能力も高く、賢い人間が多い。
オメガはそんなアルファを生むための存在。
三か月に一度発情期がやってきて、アルファを誘うフェロモンを出す。
というのも、アルファはオメガにしか惹かれず、オメガにしかアルファを生むことができない。
この社会に差別は存在しない。建前上は。
けれど、オメガはどうしても虐げられてしまう。
発情期の間、何もできず会社や学校を休まざる得なくなる。
薬があり、ある程度それで抑えられるが、出世しづらいのが現実だ。
その第二の性は10代前半から半ばにかけて判明する。
学校では年に一度血液検査が行われ、生徒と保護者に検査結果が渡される。
判明するのは個人差がかなりあり、高校卒業まで判明しない者もいる。
アルは今、高校2年生。
中学2年生の時にオメガと診断された。
白人の血が混じったアルは、顔立ちもよく、背も高い。成績はまあまあいい方だ。
周りがベータだったと軒並み報告する中、アルは、まだわからないといって誤魔化した。
双子の兄にも言っていない。
知っているのは養父母と――あの人だけだ。
それから発情期がいつ来るのか怖かった。
その不安からか、アルは不眠症になっていた。
けだるい朝がやってきた。
秋と言うこともあり、室内はひやりとしている。
昨夜もあまり眠れなかった。
睡眠導入剤を飲んだけれど、眠れたのはほんの数時間だけ。
早くに目が覚めてしまい、何度もベッドの上で寝返りを打った。
朝6時。
ベッドから起き上がり部屋を出る。洗面所で顔を洗い鏡を見る。
焦げ茶色の髪。緑色の瞳。
日本人離れした顔つきは、いわゆる先祖がえり。
こんな見た目なのに、オメガとか。笑ってしまう。
オメガは小柄で、女性的な顔つきなものが多い。
アル自身美少年の部類に入るけれど、小柄とは程遠い。
ふらふらとリビングへと向かう。
そこには保護者であるリンが、朝食の準備をしていた。
今、アルたちは養父母と離れて暮らしている。
ふたりが望んだ。
両親をテロ事件で失ったアルたちを引き取ってくれたのは新婚だった養父母だ。
ふたりのことは幼いころから知っていた。
だから、ふたりは自分たちを快く引き取ってくれた。
そんな厚意は嬉しかったけれど、同時に重荷でもあった。
ふたりだって子供が欲しいだろうし、そう思い、高校進学を機に家を出た。
ふたりは反対したけれど押し切った。
条件は、連休や長期休暇中は帰宅すること。
そして、「彼」と暮らすこと。
アルたちはとある特別な力を持っている。
その力を持つがゆえに、狙われるため政府が護衛をつけている。
それが、リン。
癖のある焦げ茶色の髪。縁のない眼鏡をかけた、すらっとした長身。細身に見えるけれど、中身は筋肉質。
20代半ばの彼は、表向きフリーのライターとモデルをやっている。
貞操観念がいろいろと崩壊しているらしい彼は、ふたりが実家に帰っているあいだいろいろと遊んでいる。らしい。
ダイニングルームは暖房がきき、身体がひやりとすることはなかった。
テレビ嫌いの家主の意向で、ここにはテレビが置いていない。
オーディオから流れるクラシックは彼の趣味だ。
アイランドキッチンに並べられた皿に、リンが鮭を並べている。味噌汁に、ご飯がたける匂いもする。
「おはよう、リン」
「ああ。おはよう、アル。あまり寝てないみたいだね」
高そうなスラックスにセーターを着た彼は、朝食の準備をする手を止め、アルへと歩み寄った。
彼の手が頬に触れる。
「クマ、できてる」
「……薬は飲んでるよ」
「薬変える? 紫音に頼んでおこうか」
紫音 。市立病院で研修医をやっているリンの友人。
アルもよく知っている。
アルは首を振り、
「欲しかったら自分で言うから大丈夫」
と言って、身体を引いた。
「そう。オミを起こしてきてくれる?」
オミ。アルの双子の兄。
彼は寝起きが悪い。起こさないと起きない。というか、起こしてもなかなか起きない。
それに寝ぼけるのであまり起こしに行くのは気がすすまない。
アルが悩んでいると、リンはにこっと笑って、
「僕がいこうか?」
「いい。俺が行く」
そう答えて、アルはぱたぱたとリビングを後にした。
リンは兄に邪な思いを抱いている。
彼もアルファなのに。同じアルファである兄が大好きなのだ。
そんな彼に兄を起こしに行かせるとか、絶対に嫌だ。
とりあえず、兄の部屋のドアをノックする。
「オミ、入るよ」
とりあえずそう声をかけて中に入る。
案の定、彼は寝ていた。
散らかった本をよけながら、彼が眠る布団に近づく。
「ねえ、朝だよ。起きて」
布団の横に座り込み、彼の身体を揺さぶるけれど、兄は起きない。
「ねえってば」
毎朝繰り返される光景だった。
何度か身体を揺さぶれば、オミの目がうっすらと開かれる。
「……アルー……」
自然と腕が伸び、首に絡みついてくる。
「おやすみ……」
アルは顔が紅くなるのを感じながら、その腕を振りほどこうとした。
「ねえ。寝ぼけてないで起きて。ねえってば」
リンに起こしに来させたくない理由はこれだった。
オミは誰彼かまわずこういう行動をとる。
実家にいる間も、養父母に同じ行動をとっていた。
大好きな兄。アルファだからか、アルは兄に惹かれていた。その現実も、アルを苦しめていた。
この家にはアルファがふたりもいる。
アルファはオメガを惹きつけるフェロモンを放つことができる。
それはコントロールできるらしい。
だから兄もリンも普段フェロモンを出したりはしない。
けれど、兄は眠いときそれを抑えられないらしく、ふわりと甘い匂いが身体から漂ってくる。
発情期がまだ来ていないとはいえ、頭がくらくらしてくる。
これで発情期を迎えたらどうなるのだろうか。
考えるだけで頭痛を覚える。
「ちょっと、起きてよ」
「うーん……」
そんなやりとりを20分ほど繰り返し、やっと兄は目を覚ます。
黒い長髪に、茶色みがかった瞳。ぼんやりとアルを見つめ、寝ぼけた声で呟く。
「おはよ……」
「おはよう。起きてよ、たぶんご飯できてる」
「うーん……起きるー」
犬柄のパジャマ姿の兄は布団から起き上がり、大きく伸びをする。
「ねえ、アル」
兄の手が伸びて、顔に触れる。
じっと顔を見つめる双眸に、自分の顔が写っている。
「クマ、できてる」
リンと同じことを言われ、思わず身体をひく。
「大丈夫だよ。ちょっと眠れないだけ」
笑みを浮かべて答えると、兄は少し首をかしげてじっと顔を見続ける。
「きれーな顔が、もったいない」
そう言って、兄はするりとアルの横をすり抜けて、部屋を出て行った。
はたしてこのやり取りを、オミは覚えているだろうか。
たぶん覚えてなんていないだろう。
彼が放ったフェロモンが、身体にまとわりついて消えない気がする。
アルは首を振り、顔を洗おうと洗面所へと向かって行った。
ともだちにシェアしよう!