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残り火2nd stage 第2章:波乱万丈な夏休み2

***  ここに来てからというもの、すべてのタイミングがズラされる。まるで俺の計画を、見事に邪魔をするような感じに思えてならない。 「穂高さん、はいどうぞ」  テーブルに並べられた、たくさんの和食ご膳を美味しそうに食べながらお酌をしてくれる千秋。 「……ありがとう」  注がれた地酒を一口だけ呑んで、ぼんやりと外を眺めた。さっきまで一緒に入っていた、檜の露天風呂が目に入る。  背中の流し合いをし(手を出そうとしたら睨まれたので我慢した)一緒に湯船に浸かった瞬間、それは聞こえてきた。 「ねぇ、何か声が聞こえない? 風に乗って」  千秋が眉根を寄せて、衝立の向こう側に指を差す。さっきまでお湯を盛大に使っていたので、他の騒音が聞こえなかったなとすぐに思い至った。 「ん……?」  首を傾げて耳をそばだててみたら、くぐもった声が聞こえてきた。 『やぁん、そんなトコ触らないで下さい。井上部長っ』 『いいじゃないか、ふたりきりなんだし。僕のも触って』 (――おいおい、声がだだ漏れしているぞ)  ゲッと思いながら顔を引きつらせた俺と、口元を押さえて顔を真っ赤にした千秋が、同じタイミングでそこから視線を逸らした。  ゆえに、ゆっくりと会話も楽しむ余裕もなくなり、静かにしていると逆にアッチの会話が聞こえてくるので、無理して話題を提供したりと、無駄に気を遣った個室露天風呂事件。 「美味しい? 穂高さん」  渋い顔をしていたせいか、酒が不味いと思ったのだろう。千秋が心配そうな表情で訊ねてきたので、首を横に振ってみせた。 「美味いよ。千秋が注いでくれたから、美味しさが倍増されてる」 「そう……良かった。お刺身もすっごく美味しいね」 「そうだね、すごく美味しそう」 (目の前の千秋が、だけど――)  旅館の浴衣から覗く胸元が、やけに色っぽく目に映る。風呂で温まったお蔭か、ほんのり桜色をしていた。 「穂高さんは、まだお酒呑んでる?」 「ん……。もう少し呑みたい気分かな。どうしたんだい?」  いつもよりテンションの高い千秋を見るだけで、自然と嬉しくなってしまう。 「お腹がいっぱいになったから、運動も兼ねて館内を散策しようかなって。ついでに展望露天風呂も見てみたいし」 「俺に遠慮せず行っておいで。感想、楽しみにしてるから」 「分かった、行ってきます!」  機敏な動作でタオルを手にし、さっさと部屋を出て行った千秋。行動の違いで、何だかオッサンくさく感じてしまった。  颯爽と出て行く背中を見送りながら振っていた左手を力なく下ろし、はあぁと深いため息ひとつ吐き出して、傍らに置いてあるスマホを手に取り、今日撮った写真を画面に表示してみる。  自分の顔は、しっかりと親指で隠して――。 「やっぱりいいな、千秋の笑顔」  初めて逢ったときと変わらない、とても綺麗な笑みがそこに残されていた。それに比べて俺は……。 (相変わらず、こずるい顔をしている。千秋に指摘されるまで、全然意識すらしていなかった――)  そこに撮されていたのは普段の井上穂高じゃなく、ホストをしていたときの穂鷹の顔だった。  もう誰も騙さなくていいというのに、平然とウソをついてしまった自分。千秋は驚くどころか、悲しげな表情を浮かべたのが何気にショックだった。今更ながらことの重大さに改めて気がつくとは、何をやっているんだろう。 「……そうか。ウソをつくことによって、心の弱さを隠していたのかもしれない」  だから素直に心の内を晒せよって、あの人に言われたのか。誤魔化さずにありのままを伝えるだけで、この笑顔がいつだって見られるってわけなんだな。昔の自分を、少しずつ変えていかないと。千秋の笑顔がずっと見たいから。  意味なくスマホ画面に映る千秋をなで撫でしてから、隣の部屋に敷かれている布団を見やる。30センチくらい離された状態で敷かれているそれが、今の俺たちの距離のように感じてしまった。  スマホをテーブルに置き、千秋が注いでくれたお酒を一気呑みしてから、隣の部屋に勢いよく足を踏み入れる。 「離されているのなら、自分から引き寄せてやればいいんだ。よいしょっと」  互いの布団を網を引っ張るように引き寄せて、ぴったりとくっつけてやった。これっぽっちの隙間のない状態に、思わず笑みが浮かんでしまう。 「露天風呂でできなかった分、今夜はここで……。浴衣姿の千秋、すごく美味し……そうだった、な――」  掛け布団の上に倒れこみ、枕に顔をすりすりしつつ千秋のことをぼんやりと思い出す。 「早、く戻ってこ……な、いかな、千秋」  昼間の疲れと日本酒の酔いが、一気に眠気となって襲ってきた。千秋を抱く夢を見ながら、そのまま眠ってしまったのである。

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