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Final Stage 第7章:愛をするということ2
***
(話し合わなければいけないと思ったのに半年以上の間、何をやっていたんだ俺は……)
農協の内定が決まってからといって生活が一変するワケじゃなかったけど、夏休みや冬休みを利用して島に赴き、バイトと称して職場で仕事をさせてもらったりした。
それ以外の時間があったというのに、穂高さんと顔を突き合わせると、ムダにイチャイチャばかりしちゃって大事な話をせずに、互いの近況報告みたいなものだけで終わってしまい、あっという間に時が過ぎ去ってしまった。
そして年が明けて3月になり、島にある穂高さんの家に荷物を送ってアパートを引き払った。その足で実家に向かうべく、穂高さんの車に付いてるナビに住所を打ち込みながら重たい口を開いてみる。
「あのね、穂高さん。ずっと聞きたかったことがあるんだけど」
案内開始のボタンを押したら、スムーズに車を発進させた。
「なんだい?」
ナビの案内通りに左車線に入ってウインカーを点灯させると、ゆっくり左折しながら訊ねてくれる。ここからは暫く道なりに進むので、話をするのに支障がないハズだ。
「俺の実家のこと。聞きたそうな素振りも見せなかったから、もしかして知っていたりするのかなって」
自分の考えを交えながら告げてみると、チラッと横目で顔を見てから印象的な闇色の瞳を細めた。
「まったく。君には隠し事ができないね。実家については、偶然に知ってしまったという感じかな、義兄さん経由で」
「藤田さん経由で?」
「ん……。あの人、自分に関わりのある人間について徹底的に調べる人だから。仕事で使えそうな人をピックアップして、まとめているらしい。その関係で、千秋の経歴もしっかり調べたらしいよ」
言いながら膝に置いていた右手に、穂高さんの左手が重ねられる。いつも通りの冷たい手のひらに、反対の手をそっと重ねてぬくもりを分けてあげた。
「穂高さんは俺の経歴を知って、どう思いました?」
「そうだな。一番に思ったことは、千秋は恵まれた環境でとても大切に育てられたんだね。だから、心が清らかなんだなぁと思ったんだ」
重ねている左手に力を入れて、俺の右手を握り締めてくれる。
「穂高さんが思うほど、清らかじゃないと思うんだけどな」
「そんなことはない。一緒にいるだけで癒されているよ」
(いやいや、それは惚れた欲目というか何というか――)
あたふたする俺を尻目に、穂高さんは口元に柔らかい笑みを湛えながら言葉を続けた。
「千秋が実家のことを口にしない理由を考えたとき、俺自身も複雑な家庭環境のせいで、すぐには言えなかったことを思い出してね。わざわざそこに首を突っ込むようなマネをしたくなかったから、あえて聞かなかったんだ」
「……ありがとう。いろいろ考えてくれて」
伝えなくても、伝わる想いがそこにあるんだな。穂高さんの優しさで、俺の心が包まれている気がする。
「穂高さん、あのね本当は俺、実家でやってる仕事を継がなきゃならなかったんだ。紺野一族って言ってもいいのかな、おじいさんもお父さんもお父さんの兄弟も皆、そこで働いているから。何人かを除く従兄弟たちも、系列の会社に勤めているみたいなんだけど」
「何人かを除く?」
形の良い眉を上げながら、不思議そうな声をあげた。
「うん。俺のように別な職種に就いた従兄弟の話を、お母さんから聞いたことがある。揉めに揉めて大変だっていう……」
「そうか。でもそういう人が現れるのは、自然なことだと思うのだが」
「そうなんだけどね。親戚みんなで築き上げた会社だからこそ、それに手を貸さないとはどういうことだって、従兄弟だけじゃなくその親まで責められるんだ。どういう教育をしてきたんだって」
温まりかけていた穂高さんの左手が、見るみる内に血の気が引いていくのが手のひらから伝わってくる。両手を重ねて、あたためているというのに。
「俺のお父さん、親戚から吊るし上げにされるんだろうね」
「千秋――」
暫くの間、沈黙が続いた。車内に、エンジンの音だけが響いて聞こえてくる。
穂高さんは今、何を考えているだろう。横目でその様子を覗ってみても、いつも通りに変わらず、運転している姿にしか見えないのだけれど。
でも間違いなく、心中複雑なハズなんだ。こんな話をされたからこそ――。
「……相当、恨まれるだろうな。大事な跡取り息子を俺のような男が奪うなんて、君のご両親は思ってもいないだろうから」
静かに告げられた言葉だったのに、やけに胸に突き刺さるように感じたのは、穂高さんの痛みがそこにあるからだ。
「穂高さん、それは」
「大丈夫だよ、千秋。どんなに恨まれても、この手を離すつもりはない。君のご両親に逢うのに多少ビビってはいるが、何を言われても別れるなんていう結末は絶対にないからね」
握り締められている手のひらから、穂高さんの決意が流れ込んでくる感じがした。冷たかったハズなのに徐々に熱を持ちはじめ、俺の右手をあたためるほどになったから。
「そういえば穂高さんのお父さんに逢うとき、すっごく胃が痛くなっちゃったもんな。隣で涼しい顔してる穂高さんが、憎らしくて堪らなかったよ」
「確かに。あのときの千秋は顔色が悪くて、小動物みたいにふるふる震えていたような?」
「酷いっ、震えてなんていなかったよ!」
冗談めかした穂高さんの言葉にがーっと怒ってみせたけど、やっぱりすごいや。
ビビってるなんて言ってるのに、その表情からはそういうのが一切感じることができない。むしろ余裕ですっていう感情だけ伝わってきているので、それに堂々と甘えちゃってる。
ここ一番ってときに、本当の強さを見せてくれるよね穂高さん――。
両手に包み込んでいた左手を持ち上げて、甲にくちづけを落としてあげた。
「ん? どうしたんだい?」
「穂高さんの手から、勇気を勝手に徴収しただけ」
「あれ、千秋の勇気を分けてくれたんじゃなかったのかい? おっと次は右折か――」
おどけて言った俺に笑顔で返しつつ、ハンドルを右に切る。見慣れた街並みが車窓の外に広がっていった。俺の生まれ育った土地だ。
「小さい頃はお父さんの会社を継ぐのは自分の仕事だって、ずっと思っていたんだよ」
躊躇していた言葉が、するすると口から滑るように出てきた。
「そうか。千秋は憧れていたんだね」
「うん、そうかも。お父さんから仕事の話を聞いて、いつも楽しそうだなって思っていたし。他にもね、好きなものがあったんだ」
「何が好きだったんだい?」
「お父さんの作ってくれる、紙飛行機が好きだった。折る形によって遠くまで飛ばすことのできる紙飛行機に、すっごく夢中になっていたんだよ」
俺の言葉に、あっと小さく呟いて横目で顔を見つめてから、すぐに正面に戻した穂高さん。
「千秋がどうして一流大学に通わなかったのか、謎が解けてしまった。何となくだけどね」
「ふふっ。あのね紙飛行機についていろいろ調べている内に、面白い発見があってね。中学に入ってからだったかなぁ、空気抵抗に関する書籍で目の惹く物があったんだ。それを書いた先生が、隣町にある大学で教鞭をとってることが分かって、いきなりだけど手紙を出してみたんだよ。感想の他に、どうしたらその大学に入ることができるのか、なぁんていろんなことを書いちゃったんだけど、きちんと返事をくれたんだ」
「成るほど。それは面白い繋がりだね」
穂高さんの言葉に、そうだねって相槌を打った。このことがきっかけで、人生ががらりと変わってしまったんだから。
「いい大学に通って、一族の会社に入るっていう道ができていたこともあったからこそ、きっと反対されるだろうなっていうのは、子供ながらに分かってた。だから、自発的に行動することを決めてね。まずはお小遣いを全部貯金して、ある程度貯めてから、ばあやに……あ、ばあやっていうのは、母方の祖母で」
「ん……。それで?」
「えっと、ばあやの知り合いに頼んで、投資信託をはじめてみたんだ」
「――投資信託? それをはじめたのって、いつなんだい?」
びっくりした声を出して質問する。子供がそういうのに手を出すのは、やっぱり異質に感じてしまうよね。
「高校1年のとき。勿論、どんな商品を買うとか買う時期や量なんていうのは、自分で勉強して決めていたよ」
「どうして千秋は、投資信託なんてしようと考えついたんだい? 俺が高校生のときにはそんなの、まったくもって考えつかないと思うのだが」
「大人の話を耳に挟んでいたせいかな。年に何度か、一族が集まるパーティみたいなのがあって、そこかしこでその単語を聞いていたから、手っとり早くお金を増やす方法の一つなんだなって」
ぽつりぽつりと告げてみたら、穂高さんがううっと唸り声をあげた。
「義兄さんが千秋を欲しがった理由が、ようやく判明した。俺に、嫌がらせをしたいだけじゃなかったんだな。千秋の才を見抜いていたとは……」
「?」
意味が分からず首を傾げた俺に、魅惑的な笑みを飛ばしてきた。笑顔ひとつで人をドキドキさせるのって、ある意味罪な恋人だよ。
「参ったな……。素直で可愛いだけじゃなく、頭も切れてバリバリと仕事をこなし、おまけに床上手な千秋を独り占めしてしまう俺は、何て幸せ者なんだろうか」
「何を言い出すのかと思ったら。仕事のことはいいとして、床上手なんかじゃないですよ」
「照れることはない。挿れた瞬間に、俺をイカせたことがあったじゃないか。今だから言うけど実は千秋が帰ってくる前に、一度ヌいていたんだ。それなのに、ね」
意味深な笑みを浮かべながら、そのときのことを思い出しているらしい。しかし卑猥なことについて褒められても、正直嬉しくないんですけど。
穂高さんの態度に心底呆れ返ってしまった、そのときだった。
『目的地周辺です、音声案内を中止します』
というガイダンスが流れたせいで、一気に緊張が高まる。
「遠くからでも分かるくらいに大きな家があるなぁと思っていたが、やはりここだったか」
「うん……」
感嘆の声をあげる穂高さんに苦笑いで答えると、くしゃっと優しい微笑みを浮かべながら、触れるだけのくちづけをしてくれた。
「ちょっと待っててね。門扉を開けてもらうから」
穂高さんのくちづけ一つで元気になるなんてゲンキンなんだけど、しゅんと落ち込んでいるよりはいいかと考え直し、勢いよく車から降りてインターフォンを鳴らす。
こうしてはじめて一緒に、紺野の実家に来ることができた。だけど両親に穂高さんを紹介するまでは、胸のドキドキをどうすることもできなかったのである。
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