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Final Stage 第7章:愛をするということ3

***  千秋の案内で、駐車場に無事停車させる。  エンジンを切り軽くため息を吐きつつ、ゆっくりとした動作で車から降り立ち、少し離れたところにある洋館に目をやった。そびえ立つ建物の大きさに飲み込まれないように、ぐっと奥歯を噛み締める。 (とうとう、ここまで来てしまったんだな。もう逃げるワケにはいかない――) 「穂高さん、こっち」 「ああ、今行く」  心の中に気合を入れ直して、歩き出した千秋の隣に並んだ。  物珍しさから手入れのいき届いた中庭を見ながら歩いていると、袖をぐいっと引っ張られる。 「ん? どうしたんだい」 「俺たちは招かざる客だから、こっちから出入りすることになってるんだ。ごめんね」  寂しげに微笑んで、大きな扉がある玄関脇の小道に案内してくれた。 「千秋はいつも、そこから出入りをしているのかい?」 「大学に通い出してからね。最初はすっごく切なく感じていたんだけど、それが当たり前になったら、へっちゃらになっちゃったよ。それに、いいこともあるし」  慣れた手つきで質素な感じの扉を開け、顔だけ突っ込む千秋。この扉は、勝手口みたいなものなんだろうか? 「ただいま~! 英恵(はなえ)さん、いる?」  言った途端に千秋が誰かによって引きずり込まれる様に、建物の中へと消えてしまった。待つこと10秒程度で直ぐに千秋が顔を出し、俺の腕を引っ張ってくれる。 「ゴメンね、穂高さん。お手伝いさんに抱き抱きされちゃった。どうぞ中に入って」  お手伝いさんが羨ましい。この緊張感を何とかすべく、千秋を抱き抱きしたい。とは言えない。 「お邪魔します……」  本音をぐっと飲みこんで中に入ったら、小さくて丸っこいモノに体当たりするようにぶつかってしまった。 「失礼致しました、お怪我はございませんでしたか?」  慌てて頭を下げて小さい人を見下ろすと、タオルでほっかむりをしている可愛らしい妙齢のご婦人が、俺のことをしげしげと見上げていた。  その様子が大好きなクッキーのマスコットになっている、外国のおばさんにソックリでつい――。 「ステラおばさんっ……じゃなく、その、失礼致しました」  慌てて謝ったものの初めて逢った感じがしないせいで、笑いが止らなかった。丸いメガネに丸っこい感じの体格が、本当にソックリだ。見ているだけで癒されてしまう。 「千秋さん、こちらの方はどなたなの? さっきから私の顔を見て、ニヤニヤしているんだけど……」  思いっきり不振がられた挙句に、千秋の後ろに隠れてしまった。うわ……何をやってるんだ俺は! 「穂高さん、変な愛想笑いをしなくていいから。英恵さんゴメンね。ビックリさせるついでになっちゃうんだけど、彼は俺の恋人なんだ。彼女は俺が小さい頃から勤めてくれてるお手伝いさんで、飯島英恵さん。いつも美味しいご飯を作ってくれたんだよ」    千秋にたしなめられたので必死に真顔に戻し、深々と頭を下げた。 「初めまして、井上穂高と申します。千秋さんとは仲良く――」 「ちょっと待ってちょうだい! どう見てもこの人、男の人でしょう? どうして?」  頭のほっかむりを取りながら俺を指差し、千秋と見比べる。そんな彼女を寂しそうな顔して見つめた千秋が口を開く。 「英恵さんには理解できないかもしれないけれど、人として……彼のことをすごく好きになってしまったんだ。俺の持っていないものをたくさん持っている穂高さんに、心ごと魅せられてしまってね」 「……家から外に出られた千秋さんが大人になっていくのを、遠くから見ておりました。お逢いする度に立派になられるお姿は、我が子の成長を見ているようで……。とても嬉しく感じていたのに。それがどうして……」 「がっかりさせてしまってごめんなさい。だけど知っていて欲しくて。彼は――穂高さんは俺にとって、この世で一番大切な人だってこと」  涙ぐんでるお手伝いさんをぎゅっと抱きしめて宥める千秋に、声を掛けられなかった。  俺と付き合ったことでこうして悲しむ人がいるのを、まざまざと見せつけられただけじゃなく思い知らされたから。千秋を大事に思って携わる人たちを次々に悲観させる俺の存在は、あってはならないものだと思う。  だが決めたんだ――どんなことがあっても、どんな目に遭っても千秋を手離さない! 「お父さんたちは、いつもの客間にいるんだよね? 行こうか穂高さん」  お手伝いさんの頭を撫でてあげてから身を翻すように先に歩いて行ってしまう千秋に、慌てて駆け寄った。  歩くこと暫し、廊下を右に曲がると左手に日本庭園が目に飛び込んできて、その美しさに思わず立ち止まってしまった。 「キレイだな……」 「そう? 俺はあまり好きじゃないんだけど」  立ち止った俺に顔だけで振り返りながら、浮かない表情で返事をした千秋。これから俺を紹介するのに、そんな顔をさせてしまっているんだろう。 「この枯山水に雪がふんわりと積もったら更に陰影ができて、キレイな景色になると思うのだが」 「それ、お父さんも同じことを言っていたよ。案外、穂高さんと趣味が合うかもしれないね」  沈んだ声で呟くように言うと、ふいっと顔を背けて歩き出す。迷うことなく細い背中に後ろから抱きついてやった。 「ちょっ!? いきなりこんなところで何を――」 「ゴメンなさいって、何度も謝らせてごめん……」  苦しいかもしれないが、抱きしめている腕の力を更に強める。 「穂高さん?」 「俺と付き合ったがために千秋が大切にしている人たちを失望させて、済まないと思ってる」  辛そうな顔をさせていることを含めて、いろんなことに気を遣って胸を痛めていることは、何度謝っても謝りきれない――キレイな君を俺のモノにした罪は、とても重いものだな。 「大丈夫だよ。俺は穂高さんがいてくれるから、こうして立っていられるんだし。それにね……」 「ん?」  後ろから千秋の顔を覗きこんだら、ちゅっと触れるだけのキスをしてくれた。名残惜しくてもう一度、自分からくちづけてしまう。  心根の弱い俺は、いつもどこかで千秋に縋りついてしまう。こんな情けない男なのに、十分過ぎるくらいの愛情を君は注いでくれる。 「それにね、穂高さん。俺は貴方に出逢わなかったらきっと、こんな風に愛することを知らなかったと思うんだ。心の底から誰かのことを深く愛おしく想える愛し方を教えてくれたのは、穂高さんのお蔭だよ」  優しい響きで告げられた言葉と俺に向けられた満面の笑みが、躰の中へ沁み渡るように溶け込んでいった。どうしよう、嬉し過ぎて泣けてくる――。 「ち、あき、俺は……っ」  カタカタ震えている腕に、千秋がそっと手をかけた。千秋の手のひらがスーツという地の厚い布越しなのにあたたかさが伝わってきて、それまでの緊張が全部解されていくよ。 「俺ね、考えるときがあるんだ。もし穂高さんに出逢っていなかったら、どうなっていたんだろうって。大学在学中に恋人はできていたのかなぁとか、卒業後はお父さんに言われるまま、系列の会社に入っていたのかなぁとか。誰か好きな人ができて恋仲になったとしても、穂高さんを好きになったような愛し方をしている気がしないんだよね。何ていうかな、ありふれた恋愛で終わってしまうんじゃないかって。そんな中途半端な愛し方をしていたら、隠しても伝わっちゃうと思うし、相手を魅了することが俺には無理だろうなって」 「バカだな。俺はそのままの君に魅了された。君に瞳がさらわれてそして……恋焦がれて求めてしまったからね。キレイな心に触れたらもう、手離せなくなってしまった。今みたいに」  千秋の実家の廊下でこんなことをしている場合じゃないのに、どうしても手離せないのはご両親に逢った瞬間に、千秋が責められることが予測できているからだ。俺のせいで、キズつく君を見たくはない――。 「……心配してくれてありがとう。大丈夫だよ、俺は」  千秋の躰に回している俺の両腕を無理矢理外して、右手をぎゅっと握りしめてくれた。 「俺も……。もう大丈夫だ。さっきまで無駄なことをいろいろと考えてしまったのだが、必要ないと分かった。千秋が傍にいるだけで百人力だよ。さあ、行こうか」  繋がれた右手に力を込めて握り返すと、息を合わせたみたいに一緒に歩き出せた。それが嬉しくて微笑んだら、その視線に気がつき微笑み返してくれる千秋が本当に愛おしい。  彼のご両親の前で良い所を見せるべく、いろんなことを考えていた。千秋の幸せに繋がるならと、俺たちの付き合いを少しでもいいから認めてもらおうと思ったから。  だが千秋の話を聞いて、自分の考えが間違っていたことに気がついた。無理して認めてもらわなくてもいいんだと……。  だから決断できた。素の井上穂高でぶつかって、当たって砕けてやる!

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