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Final Stage 第7章:愛をするということ4
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襖を開けると妙に冴えた空気が、客間の中に広がっていた。そこを穂高さんとふたり、手を繋いだまま中に入る。
襖に手をかけた瞬間、握りしめている手を解かれると思ったのに、ぎゅっと力を入れてくれた。まるで穂高さんの手のひらから、勇気を貰った気がして嬉しかった。お蔭で、勢いよく襖を開けることができたんだ。
「お久しぶりです。お父さん、お母さん」
どちらともなく手を離して用意されている座布団に座らず、その場に正座して目の前にいる両親を見たら、唖然とした表情を浮かべていた。
(――この状況で、驚かないほうがおかしいだろうな)
「この方が俺とお付き合いしている、井上穂高さんです」
「お初にお目にかかります。千秋さんとお付き合いさせて戴いている井上と申します。職業は漁師で、現在は北海道の――」
「ちょっと待ちなさい! 何をふざけた真似をしているんだ? ウチの会社に入りたくないからと、こんなことをしてまで反抗するなんて、何を考えているんだっ」
烈火のごとく怒りだすお父さんに、隣にいるお母さんは小さなため息をついていた。
「お父さん、落ち着いて話を聞いて下さい。ふざけてなんていません、俺たちは本気です。真剣にお付き合いしているんですから」
膝に置いてる両手に拳を作り、負けないような大きな声を出して応戦する。
「千秋、しょうがないよ。誰が見たって俺たちの付き合いは、ふざけたものにしか見えないのだからね」
「でも……」
お父さんや俺とは違い、穂高さんの告げた言葉はとても落ち着いたものだった。切なげに瞳を揺らしながら俺を見ている視線が、痛々しくて堪らなくなってしまう。
「紺野さんがお怒りになるのは、当然のことだと思います。大切な息子さんが俺のような同性の男と付き合うこと自体、許されないものでしょうし。だけど千秋さんを叱らないで下さい。きっかけは、俺が彼を騙したことから始まったのですから」
「穂高さん、何を言って!?」
「だって、そうだろう? あのとき俺がまんまと君を騙して車に乗せなければ、客と店員という関係は崩れなかったと思うのだが」
「そ、それはそうかもしれないけど、でも……」
少しだけ柔らかく微笑みながら俺を見、ふいっと顔を逸らして目の前にいる両親を見た穂高さん。
この顔は――この表情は忘れやしない……。降りしきる雨の中、別れを告げたとき最後に見せてくれた、穂高さんの笑みじゃないか!
(――俺の心を守るために決心している、貴方の荷物になるしかないの!?)
「千秋さんだけじゃない。俺はこの目立つ容姿を利用して、男女問わずに騙していました。そうして自分の欲望を満たし、金品を得て生きてきたんです。だから彼を騙すことなんて、造作もなかったですよ。きっかさえ作ってしまえば、こっちのモノだと思って」
「貴様っ、よくも俺の息子を!!」
勢いよく立ち上がったお父さんがテーブルを蹴散らして、穂高さんの傍まで歩み寄り、胸ぐらを掴んで拳を振り上げる。
「やめて! 穂高さんだけが悪いんじゃないっ、俺だって」
「アナタ!?」
振り上げた拳を何とかすべくお父さんに抱きつくと、母さんが右腕を必死になって押さえている状態だった。
「茂秋さん、お願いだから……。力ではどうにもならないことがあるって、一番分かっているでしょうに」
涙声で告げられたお母さんの言葉に、躰の強張りがふっと抜けていくお父さん。穂高さんから手を放し、その場に座り込んでしまった。
「千秋、俺は殴られるようなことをしたんだ。むしろ、殴られなきゃならないと思うのだが」
仲裁した俺を責めるように眉根を寄せて、文句を言ってくれる。
「何を言ってんのさ! 騙す方も悪いけど、騙される方だって悪いに決まってるだろ。何で自分ひとりで、悪者になろうとしているの?」
「……だって千秋がご両親に責められて、キズつく姿を見たくなかったから」
「その言葉、俺だって同じなんだからね。お願いだから、ひとりで全部背負おうとしないでよ」
さすがに両親の前で抱きつくなんてできないので隣にしゃがみ込み、目立たないようにスーツの裾を掴んで、ぎゅっと握りしめた。
「背負うなんて考えていない。君のご両親に知ってほしかったんだ。俺がどういう人間で、どんないきさつで千秋と出逢ったのかをね」
スーツを掴んでいる手の甲を優しく撫でながら告げてくれた穂高さんの言葉は、素直にすごいなって思えるものだった。
良いところも悪いところもひっくるめて、目の前にいる両親に言える勇気を応援してあげたくなった。
穂高さんの想いに応えるべく黙って頷いてあげたら、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「まんまと騙された千秋さんとの関係を深くすべく、つきまとったりして、かなり迷惑をかけました」
「毎晩飽きもせずにバイト先のコンビニに現れて、5分足らずの道のりを一緒に帰るだけなのに、よく頑張ってるなぁと呆れちゃいましたよ。無理がたたったせいで、風邪を引いたよね」
「迷惑をかけている俺の看病を、わざわざ自宅でしてくれて。挙句の果てには君に風邪をうつしてしまって、更に迷惑をかけてしまった」
「責任を感じて、お見舞いの品をたくさん買って来てくれたのはいいけれど、栄養ドリンク12本全部を飲ませようとされたのには、さすがに呆れ果てましたけどね」
肩を揺すって笑うと、それに釣られたのか穂高さんまで笑い出す始末。そんな俺たちを見ながら、ただ黙って両親は話を聞いていた。
「頑張れなんて言って2本目を手渡されたときは、頭痛がさらに悪化しました」
「だって千秋に、早く元気になって欲しかったから。でも看病できて、嬉しかったのは確かだが」
「おいおい、ちょっと待て……。コイツにしつこく付きまとわれて、迷惑していたんじゃないのか?」
俺たちの掛け合いに、やっとという感じで割り込んできたお父さん。愕然とした表情はそのままだった。
「そうなんだけど……何ていうのかな、大人の雰囲気とか言葉遣いとか、俺の持ってないものを兼ね備えているのに所々が変なんだ。ちょっとだけズレているというか。そのせいで、目が離せなくなっちゃって」
「見た目とのギャップで、彼を好きになったのかしらね」
静かにだけどハッキリと告げられたお母さんの言葉に、微笑みながら頷いてみせる。お父さんは面白くなさそうな顔して横を向いたけど、お母さんは視線を合わせて笑顔で返してくれた。
「そういう気持ち、何となくだけど分かるわ。私もこの人を好きになったキッカケがそうだもの」
お母さんの言葉に、今度は俺が唖然とした。強引な会社の合併話で無理矢理結婚したハズなのに、そこからでも恋愛感情が芽生えるものなんだ――。
「千秋さんが気にしてくれたお蔭で、めでたく両想いになれたのですが、当時やっていたホストという仕事の関係から、お客様との間でちょっとした傷害事件が発生してしまったんです。俺を指名していたお客様が、次々とケガに遭ってしまって。この分だと次は千秋さんがケガをしてしまうと考え、別れを決意しました」
「……ホストなんていう仕事を辞めて、千秋と付き合いを続ける選択肢はなかったのか?」
「ありませんでした。義父の会社の資金を俺を通して義兄から借りていたので、ホストの仕事を辞めるというのは、この二人に後足で砂をかけることになりますから」
待っていましたと言わんばかりの即答だった。俺を守ることは勿論、藤田さんや藤田さんのお父さんのことも考えて、あのとき行動していたんだな。
捨てられたと思ってちょっとの間、穂高さんを恨んでしまった自分が恥ずかしい――その後、藤田さんから知らされた事情と今、穂高さんが話してくれた言葉によって、見えずにいたその頃の気持ちが、手に取るように分かってしまった。
――穂高さんの誠実な人柄が、そこに現れているよ。
「きちんと自分の仕事を果たしてからホストを辞めて、以前からやってみたいと思っていた漁師になるべく義兄のツテを使い、北海道に移住しました。一人前になって自信がついてから、千秋さんを迎えに行こうと思っていたのに――」
不意に言葉を切って、じっと俺の顔を見る。視線から伝わってくるその気持ちに応えようと、ゆっくり口を開いた。
「穂高さんのお義兄さんから別れた本当の理由を教えて戴いたお蔭で、俺が彼を追いかけることにしたんだ」
「離してしまったこの手を、再び繋ぎ直すために、ね」
俺の右手を握りしめ、恋人繋ぎをしてくれる。いつもは冷たい手のひらなのに、今はあたたかくて妙に心地いいものだった。
「素敵ね……。別れたのにまた出逢うことができるなんて。運命だったのかしら?」
「違うよ、お母さん。俺たちが出逢ったのは、必然なんだと思う。互いに持っていないものに惹かれて付き合ったのに、相手を大事に想うあまりに別れてしまったけれど、心の芯に灯された炎が消えることなく、残り火として静かに燻ったお蔭で、今こうして一緒にいられるんだから」
「この挨拶で俺たちの馴れ初めについて、ご理解戴けたら嬉しい限りです」
恋人繋ぎをしていた手を引っ張り、俺を傍に引き寄せたと思ったら――。
「うわぁっ!? いきなり何をっ」
素っ頓狂な声をあげて、じたばたする俺の躰をやすやすと横抱きにし、スムーズに立ち上がる穂高さん。
「出逢って付き合うことが必然なら、反対されることもまた必然。だから俺はアナタ方から、千秋さんを奪いに参りました」
――穂高さん、一体何を考えているの?
「御社に就職しない千秋さんについて、ご親戚に何か聞かれるでしょうが、悪いヤツにさらわれてどこかに消えてしまったとでも仰って戴けると助かります」
「そんなこと、言えるわけがなかろう!」
「だったら奪い来て下さい。ここへ――千秋ちょっとの間、俺の首に両腕をかけてくれるだろうか」
言われたとおりに穂高さんの首に抱きつくように両腕をかけたら、俺の背中に回されていた手でポケットから名刺大のカードを取り出して、そっとテーブルに置いた。
躰を支えるための腕は直ぐに戻されたけど、抱きついたまま顔を乗り出してそれを見る。
そのカードには島の住所だけじゃなく、俺の勤める会社の名前と住所に電話番号まで書かれてあるではないか! 穂高さんってばいつの間に、こんなものを用意していたんだ。
「反対されることは分かっていましたから、その思いを壊すべく抗ってみようと考えてコレを用意したのですがさて、お使いになりますか?」
「…………」
お父さんは何も言わずに、黙ってカードを見つめていた。そんなお父さんの隣に寄り添い、俺たちを見上げたお母さんは静かに頷く。
「それでは、失礼致します」
俺を横抱きにしたまま頭を下げて、踵を返して客室を後にした。抱きかかえられたまま見る、見慣れていたはずの日本庭園が違う趣に思えてしまい――。
「穂高さんと一緒に見るものはどんなに嫌いなものでも、好きなものだと錯覚してしまうから不思議だな」
ぽつりと零してみたら俺も同じだよと囁くように言って、その場に立ち止まった。
「ねぇ、父さんが最後に何か言ってたみたいなんだけど、穂高さんは聞こえた?」
お母さんが頷いてから、ちょっと間をおいて掠れた声で何かを呟いていたんだ。小声でくぐもっていたから、よく聞こえなかったんだけど。
『俺はやっぱり……最後まで――には……ったのか』
穂高さんの顔を仰ぎ見たら、ちょっとだけ困った表情を浮かべて首を横に振る。俺と同じく、聞き取れなかったということなんだな。
「あとさ初めての挨拶なのに、随分と酷い男を演じてくれたね」
「演じるも何も、俺はご両親から千秋を奪っていく最低な男じゃないか。なのでそのまま、見てもらったまでなのだが」
「……そんなの、イヤに決まってるでしょ。穂高さんはあったかくて優しくて、いい人なのに」
俺を守るために気を遣って酷い男を演じ、その矛先を見事に自分へと向けさせることに成功した恋人は、何事もなかったみたいに涼しげな顔して、庭をじっと見ていた。その優しすぎる躰に縋りつくべく、首に回してる両腕に力を入れてみた。
自分があまりにも無力で、どうしようもなく胸が切ない――好きな人をこんな風に挨拶させてしまったのには、情けないにもほどがある。
「済まなかったね、千秋。君が望んだような挨拶ができなくて。普通に挨拶してもきっと理解してもらえないと考えた結果、ああなってしまったんだ。君が所々助けてくれたから、そこまで悪い印象になっていなかったと思うのだが、どうだっただろうか?」
「良か、っ……たよ……お父さん、俺を奪いに来るかな?」
「ふっ、泣くほど感動させてしまっただろうか」
鼻水をずるずるさせる俺を抱き直してから、廊下を歩き始めた穂高さん。抱き直してくれたお蔭で、密着する部分がちょっとだけ増えたんだ。それだけで暗く沈んでいた気持ちが、ふわっと浮上する。
「泣いてない……。ちょっとだけ、鼻水が出ちゃったんだってば」
「このタイミングでかい? ああ、そうか。昨日の夜があまりにも激しすぎたせいで、風邪を引かせてしまったかな」
「も、何を言って」
「違うというなら証明してごらん。千秋の実家は広そうだから空き部屋がたくさんありそうだし、確かめるには苦労しなさそうだ」
くすくす笑う声と、やだもう! という俺の文句が廊下に響き渡った。穂高さんが卑猥なことを言うせいで顔を上げられず、ずっと躰に顔を押し付けたままでいる状態。お蔭で涙が引っ込んでしまった。
「まあ! まぁまぁまあ!」
「あ、お邪魔しました」
声がした方に顔を向けたら英恵さんがものすごく顔を赤くさせて、俺たちをじっと見ていた。勝手口のある台所に着いてしまったんだな。
「……奥様にも甘えていらっしゃらなかった千秋さんが、そんな風にベッタリとしているなんて」
その言葉でハッと我に返り、急に恥ずかしくなってしまって、下ろして欲しいと穂高さんに懇願したのに。
「それは貴重な姿ですね。写真でもうつしますか?」
笑いながら俺を頭上に掲げるとか、どんなバカぢからしてんだよ、もう!
「(ノ~-~(; ̄□ ̄)ゝおっ、下ろしてってば!」
「ふふふっ、そんな顔した千秋さんを見たら、旦那さま方も認めざるおえなかったでしょうねぇ」
「英恵さん?」
俺たちを指差して、カラカラ笑ってくれる。じたばたするのを止めた途端に、ゆっくりと床に下ろしてくれた。
「初めておふたりを見たときは違和感だらけだったのに今は全然、そんなものを感じませんでした。とてもお似合いですよ」
最初は異質に見られた態度をとられてしまったせいで今、告げられたことがすごく嬉しすぎる。何か言わなきゃならないのに、言葉にならない。
口をあわあわさせ、ぴきんと固まる俺の肩を抱き寄せて、穂高さんはわざとらしく引っつく。
「褒めて下さり有難うございます。良かったね、千秋」
「だけど旦那様方とのお話し合いは、あまり上手くいかなかったのではないですか? 千秋さんをそんな風に抱き上げてここにいらっしゃるなんて、普通じゃないですからね」
「ええ。和やかにというワケにはいかなかったのですが、話だけは黙ってお耳に入れてくださったので助かりました」
穂高さんいきなり、お父さんに胸ぐら掴まれて殴られかけちゃったもんね。
「この後、大奥様のところに行かれるのですか?」
「うん。きちんと挨拶してから地元を出発したいし」
「井上さん、千秋さんを宜しくお願いします。しっかりし過ぎて、気苦労ばかりしているコなんです」
それまでの笑顔が崩れて突然泣き出してしまう英恵さんに、穂高さんの躰から離れ抱きしめてあげた。
「ありがとね、心配してくれて。英恵さんも躰には気を付けて。手紙を出すから……」
躰に回していた腕を緩めて、涙を拭ってあげる。こんなことでしか恩を返せないのは、辛いところなんだけど――。
「お父さんたちに認めてもらえるまで、ここにまた帰って来るよ。穂高さんとふたりで幸せに暮らしていくね」
祝福してくれる英恵さんに見送られ、徒歩10分の場所にあるばあやが住んでいる特別老人ホームに、仲良く並んで向かったのだった。
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