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Final Stage 第7章:愛をするということ5

*** 「実はばあやには、穂高さんと付き合ってることを暴露していて……」  施設の廊下を歩きながら、穂高さんにばあやのことについて説明をしていた。  大学進学に反対された俺を応援すべく、両親の代わりに後見人となってくれたお蔭で、大学に通えた上にアパートが借りることができた。  すっごくお世話になっているからこそ隠し事をしたくなかった俺は、ばあやに穂高さんとの付き合いを早いうちに告白していたのだ。  同性と付き合っているという話を聞き、最初は驚いた表情を浮かべていたばあやだったけれど、写真を見せたら妙に納得してくれたっけ。 『千秋、ずっと仲良くして戴けるといいわね』  そう言って笑いながら応援してくれたことが、とても嬉しかった。 「勿論、反対されただろう?」 「それが……そうでもなくて」  微妙な表情で歩いていたら、ばあやのいる個室前に到着したので、軽快に扉をノックした。するといきなり音もなく扉が開いて、ニコニコした可愛らしい皺くちゃの顔が出迎えてくれた。 「待っていたわよ、千秋。それと穂高くん!」  80過ぎの動きとは思えない早さで俺たちの腕を素早く掴み、部屋の中に引き入れる。 「あ、ぅ……はじめましてっ、おばあさん!」  強引に引っ張られながらも、何とか挨拶をしようと必死になる穂高さんの顔が面白い。両親の対応との違いに、さぞかしビックリしているだろう。 「さぁさ、これに座ってちょうだい。今、お茶を淹れますからね」 「いいよ、ばあや。あまり長居はできないんだ、ごめんね」 「そうなの?」  何故か俺じゃなく、穂高さんの方を見る。おじいさんに代わり、少しの間だけど会社を切り盛りした関係で、人柄を見切ることのできるばあやは、弱い部分を瞬時に嗅ぎつけてしまうんだ。   「……少しくらいなら大丈夫かと」  弱ったなぁという表情を、ありありと浮かべて答える穂高さんに、俺は椅子に腰かけながらキッと睨んでやった。 「ダメだよ、穂高さん。仕事が待っているんだからね。船長さんが困ってしまうだろ!」  ここから長時間をかけて車を運転し、島に戻ってすぐさま漁に行くことになっている穂高さんの躰を考えたら、少しでも余裕を持って行動したいと考えた。  しかしながら、好意的な態度をとる恋人の家族と対面したのはやっぱり嬉しいだろうし、少しでも話をしたいというのが穂高さんの心情かもしれないな。 「千秋のそういう真面目なところ、茂秋さんにソックリだわね。まるで本当の親子みたいだわ」 「何を言ってるんだよ、まったく」  文句を言いかけた俺の肩に穂高さんが優しく手を置き、どこか労わるような眼差しで見つめる。 「千秋……」  しかも心に沁み入るような低い声色で、名前を呼んだ。その真意がさっぱり分からず、穂高さんとばあやの顔を交互に見比べるしかない。 「あら、まぁ……。穂高くんは知っているの?」 「はい。しかしながら彼は何も知らないようでしたので、あえて口にしませんでした」 (――ばあやと穂高さんが知ってることで、俺が知らないことって何?)  肩に置かれている穂高さんの指先に、少しだけ力が入る。 「客室からの去り際に君のお父さんが呟いていた言葉なのだが、こう言っていたんだよ『俺はやっぱり千秋とは、最後まで本当の親子にはなれなかったのか』ってね」    お父さんの言葉を聞きとれていたのに、それを教えてくれなかったのは、俺が何も知らなかったからなんだ。 「千秋、よく聞いてちょうだい。アナタの親は隠したままでいるようだけど、真実をそのままにしておくには、すごく胸が痛くてね。娘が愛した人と別れさせた原因が私にあるからなんだけど、これから社会人として世間に出る千秋に、どうしても本当の父親のことを知ってほしいの」 「俺の……本当のお父さん?」 「ええ。アナタのお母さんはその人の子どもを身籠ったまま、紺野の家にお嫁入りしたのよ。すべてを承知の上で、茂秋さんは自分の子供として育ててくれた」  俺は……俺はお父さんの本当の子どもじゃなかった――。 「アナタの本当のお父さんの名前は、中村千翔(なかむら ゆきと)っていう、行動力のある優しい人でしたよ」  テーブルの上に置いてあったメモ帳を手に取り、名前をさらさらと書いて俺の手に握らせる。 「中村ゆ、きと?」 「そうよ。茂秋さんったら気を遣って、彼と自分の名前を一字ずつアナタの名前にあてたのよね」  言いながら本棚の前に立ち、一冊のアルバムを手に戻って来た。 「どこかに中村くんの写真があったハズなんだけど……。ああ、あったわ。不動産関係の懇親会のときの写真」  向かい合わせに座って、膝の上に置かれたアルバムを一枚一枚めくってくれたら、突然それが目に飛び込んできた。その写真に、惹きつけられた感じかもしれない。 「目元がとても、千秋に似ていますね。だが――」  ばあやが差し出したアルバムを手にした穂高さんが、俺と写真を見比べる。 「千秋のお母さんの傍にいらっしゃる、おじい様の方が似ているかもしれません。全体的な雰囲気や体形がそうさせているんでしょうけど」  俺の本当の父さんの中村千翔(ゆきと)さんは、髪の毛が短くて体形がガッチリしている男らしい人だった。写真からの印象だけど、どこか穂高さんに似ているような気がする。  俺は無意識に、本当のお父さんみたいな人を求めていたのかな――。 「私の主人は、千秋と同じような線の細い人でしたからねぇ。隔世遺伝かしら? 他の人に指摘されて、初めて気がつくなんて面白いことだわ」  ばあやの笑い声のお蔭で、その場がふわっと和んでしまったけど、あまりにも居心地のいいそれを体全部で感じてしまったら、自然と涙が溢れてきた。  頬を伝う涙をそのままに俯く俺を、穂高さんがさらうようにぎゅっと抱きしめてくれる。手に持っていたアルバムをばあやに返してわざわざ抱きしめるなんて、本当におせっかいな人なんだから。 「うっ……。穂高さんに優しくされる資格、俺にはないよ」 「資格――。恋人の君がキズついてる姿を見て、放っておけと言ってるんだろうか」 「違っ、俺は……。俺っ、ひっ……ぅうっ」  泣きじゃくる俺を宥めるように、後頭部をゆっくり撫でてくれる。何度も何度も、優しく。  どうしよう、こんなことをされたらますます涙が止まらなくなってしまう。 「君が、何を言いたいのかは分かってる。紺野のお父さんに、済まないと思っているんだろう?」 「ぅん。だって血の繋がっ……うっ、繋がってない俺を、本当の子どもとして大切に育ててくれたのに。それなのに俺は……ひっく、反対されることばかりやってきた。大学進学も恋人のこともそして、就職先も全部……」  胸が痛い、痛すぎる……。実の息子として接してくれたお父さんに、親孝行の一つもしないで、家を出てきてしまった。 「ねえ千秋、ちょっと見方を変えてみようか。俺からの意見を聞いてくれるかい?」  抱きしめている腕の力を緩め、頭を撫でていた手を使って躰を起こしてくれる。  涙に濡れてぐちゃぐちゃな顔を見せるのは、ちょっとだけ恥ずかしかったけど、両手で涙を拭って顔を上げてみた。  俺の大好きな闇色の瞳が目の前にあり、包み込んでくれるような優しさを滲ませているお蔭で、しっかりと顔を上げることができた。 「穂高さん……」  彼が今ここにいてくれて良かったと、心から思えた。 「一瞬で落ち着くことができた、偉いね。さて、話を始めようか」 「うん、見方を変えるんだっけ?」 「ん……。君は今まで、たくさんの人に愛されて大きくなったね。まずは、ここにいらっしゃるおばあさん」  俺の顔から視線を、目の前に座ってるばあやに移動させた穂高さん。釣られるように俺もばあやの顔を見ると膝にアルバムを載せたまま、黙ってこちらを優しい眼差しで見つめ返してくれる。 「それと、君の本当のお父さんの中村千翔(ゆきと)さん。彼はね、おじいさんの作った会社と愛しい恋人である君のお母さん、そしてお腹にいる千秋を守るために、自ら別れを切り出したそうだよ」  手に持ったままのメモ帳を、つんつんと突きながら言った。 「そうなの? ばあやが無理矢理ふたりを別れさせたんじゃなかったっけ」  自分は同じことができるだろうかと考えながら、ばあやに問いかけてみる。 「表向きは、そういうことになっているんですけどねぇ。実際は中村くんが描いたシナリオに、私が乗っかっただけなの」 「どういうこと?」 「会社が傾きかけた頃、そういうイヤな雰囲気を感じてる社員はやる気をなくして、ロクな仕事をしなくなったわ。悪循環のところに娘がつわりで動けなくってねぇ、私は会社と家のことにてんやわんやだった。そんな大変な中でただ一人、中村くんだけが頑張って営業に出かけながら、企業提携先の下調べをしていたみたいでね」  膝の上に置かれている開きっぱなしのアルバムの写真を、労わるようにそっと指先で撫でたばあや。当時のことを思い出しながら苦渋の選択をしたのが、その表情を見ているだけで分かってしまった。  ばあやの切なげな顔を見ていられなくて俯いたら、メモ帳を持っていない手を穂高さんがぎゅっと握りしめた。ゆっくり顔を上げてみると、前を見据えたままでいる愛しい恋人の姿がそこにあった。  辛い現実を受け入れて生きてきた彼だからこそ、ばあやの話も真っ直ぐ前を見たまま聞くことができるのかもしれないな。 (穂高さんのそういうところ、俺は見習わないといけない。それに今は本当のお父さんの話を聞いているんだからこそ、顔を背けて逃げるなんてダメだ!)  握りしめられた手に力を込めて握り返し、奥歯を噛みしめながらすっと顔を上げた。それを待っていたかのように、ばあやは話を続けてくれる。 「傾きかけたとはいえ、それまでの実績や地元とのパイプラインがあるウチの会社と企業提携がしたいっていう企業が、たくさん現れたの。一社一社を中村くんと吟味していたところに突然湧いて出てきたのが、茂秋さんの会社だった。偶然を装って現れた顔していたけれど、実は裏で中村くんが糸を引いていたことを、茂秋さんが後から話してくれて」 「……中村さんは予め、紺野さんに頭を下げて頼みこんでいた、とか?」  穂高さんが顎に手を当てて訊ねてみると、そうなのと小さい声でばあやは答えてから、はーっと大きなため息をついた。 「不動産関連の懇親会で、茂秋さんが娘に声をかけようとしたのを止めに入ったのが、中村くんと出逢ったキッカケだって教えてくれたわ。この写真を写したときなのよねぇ」  おじいさんがまだ生きていた頃、3人は出逢っていたんだ――それは偶然だったのか、それとも必然だったのか。その先の未来の行方に関与するなんて、夢にも思っていなかっただろう。  ――穂高さんとの出逢いが、俺にとってそうだったように―― 「茂秋さんのところに顔を出した中村くんが、いきなり土下座をして頼んできたんですって。一度しか面識がなくてケンカ寸前までいった相手へ惨めに土下座をする中村くんを、冷めた目で最初は見ていたそうよ。その様子に呆れて、AOグループ内で他にも頼めそうな相手がいるだろうと断りかけたらしいんだけどね、中村くんが持参していた資料を見て気が変わったって」 「それってあまり、表沙汰にしたくないことでも書かれていたのでしょうか?」 「そうね。茂秋さんが頼めそうな相手と称した人物の不正が、事細かに書いてあったみたい。どうやって調べたのか分からないけれど土下座をしつつ、そういうモノをしっかり用意しながら半分脅した形の交渉に、すっかり参ってしまったって、苦笑いしながら言っていたわ」  大事な会社と愛する人を守るための行動力と優しさを併せ持つ人、それが本当のお父さんの姿――。 「ばあや、俺っ、本当のお父さんに逢いたい。……逢ってみたい! 今はどこにいるの?」  見た目が軟弱な上に頼りなさそうな息子で、すごく情けないけれど。  身を乗り出しかけた俺を引きとめるように、穂高さんに掴まれてる手がぎゅっと握りしめられる。  いつもは冷たい手のひらをしているのに、このときばかりはなぜか熱く感じてしまった。それはきっと俺が興奮しているせいだと思ったのに、直ぐに違うことだと分かった。  隣にいる穂高さんの目が……優しさにみち溢れていたそれが、今にも泣き出してしまいそうになっていたから。まさか――。  固まった俺をそのままにばあやは一旦アルバムを閉じ、一番後ろのページを開いてみせる。そこに貼り付けられていたのは、写真付きの大きな新聞記事だった。 【居眠り運転のトラックから園児をかばい、通行人の男性が死亡】  太字で大きく印刷された文字の傍に、お父さんの顔写真が掲載されていた。横にある写真は、歩道に乗り上げられたトラックが塀に向かって突き刺さっている様子で、事故のすごさに言葉が出てこない。 「茂秋さんのところの会社と無事に提携が済んでから、中村くんは私たちの前から姿を消したの。娘への未練を断ち切るようにね。その後どこでどうやって暮らしていたのか、誰も捜そうとしなかった。捜せなかったわ。彼が余りにも不憫過ぎて。それから幾年が経ったある日、千秋がもうすぐ幼稚園に入園する頃だったかしら。この新聞記事が、すべてを教えてくれた。隣の県で、営業マンとして働いてる最中の出来事だったそうよ」 「あ……」  もう逢えないんだ、本当のお父さんには――だけどこの人は最期まで、誰かを守り抜いていたんだな。大きなその背中を見ることができないけれど、無条件に尊敬してしまう。 「千秋、大丈夫かい?」  穂高さんが労わるようにそっと名前を呼んだのでゆっくり振り向き、にっこりと微笑んでみた。優しい声色が俺の心を包み込むみたいに聞こえてきて、それに感動してしまう余裕すらある状態だ。 「大丈夫だよ、ありがとね」  やけに落ち着いてる自分が、ここにいた。天国から本当のお父さんが見ていると想像したら、心をしっかりしなきゃって、自然と襟を正すことができた。めそめそ泣いてる場合じゃない。 「……その顔、惹かれて止まないよ千秋。食べてしまいたいくらいに」  ボソッと告げられた言葉だったけど、ハッキリと聞こえたせいで、ぶわっと頬が紅潮する。 「ちょっ、いきなりばあやの前で、何を言ってるんだよ、もう!」 「あらまあ、私はお邪魔虫かしら? 何なら隣の部屋が空いてるようだから、使えるように申請しましょうか?」 「ばあやも穂高さんの言葉に乗っからないでよ、まったく。ふたり揃って恥ずかしい」 「俺はいたって真面目なのだが」  言いながら握りしめていた手の甲にちゅっとキスしちゃうとか、何を考えているんだか。  ニヤリと意味深に微笑む穂高さんと、もっとやってもいいわよという表情を浮かべてワクワクしている(らしい)ばあやと、恥ずかしさのあまり縮こまってる俺たちの様子は、全然かみ合わないものだった。 「……穂高さんのバカ」  肝心なトコの察しが悪いクセに、こういう場面ではそれを発揮させるなんて、さっきの穂高さんの言葉じゃないけど惹かれて止まないよ。 「千秋が照れてるところで、話を元に戻そうか。おばあさんや中村のお父さん、そして苦しみながらも紺野の家に嫁いで、君を産んだお母さん」 「うん……」 「実の息子のように大事にしてくれた紺野のお父さん、それぞれからたくさんの愛を貰っているね」  握りしめている手を胸に当てて、瞳を閉じる穂高さん。何を思っているんだろう? 「君は俺から愛することを知ったと言ってくれたが、俺の方こそ君から愛することを教えてもらったんだよ。心の奥底から愛をするというを、ね」  それは実家の渡り廊下で話した内容だったので、すぐに思い出せたことだったけど――。 「千秋を見初めたのは揺るぎのない事実なのだが、それと同時に性的欲求も同じくらい存在したんだ。男だから、それは当然だと言われたらそれまでなんだけど……。でも千秋、君は違って見えた。同じ男なのにそこにあったものは、眩しいくらいにキレイな心があったんだ。包み込むような優しい気持ちに触れたら、自分の欲望を含む好きという気持ちが、とても汚いものにしか見えなかった」 「そんな……。そんなことはないって」 「いいや、俺はまだまだなんだ。君に見合うくらいのキレイな気持ちをあげなければって、いつも考えてる」  つぶっていた瞳をゆっくりと開き、柔らかく微笑みながら俺の顔を見つめる穂高さん。そんなことをずっと考えていたなんて、思いもしなかった。 「穂高くん、千秋を大事に想っていてくれてありがとう。貴方はもう立派に、千秋の隣に並んでいい男だと思うわ」  ばあやがかけた言葉に目を見張って、ふたりで眺める。 「自分の正直な気持ち、いいところも悪いところも全部を相手に見せて、言葉でハッキリと告げて努力を惜しまない貴方の心は、千秋と同じくらいにキレイな物ですもの。もっと自信を持って、胸を張って生きなさい。千秋と一緒に。私は貴方達を応援するから」 「おばあさん、っ……。ありがとう、ございます!」  勢いよく俺の手を離して、椅子から勢いよく立ち上がる。頭を深く下げる穂高さんに倣って、俺も同じように頭を下げた。 「娘との親子関係が破綻している私が言うのもなんだけど千秋、茂秋さんとこれからの関係をどう築いていくか、自分の頭で考えなさい。穂高くんは答えを言っちゃダメよ、いいわね」  こうしてばあやに祝福されつつ課題を与えられた俺たちは、仲良く並んでホームをあとにしたのだった。

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