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第39話
今日はようやく、哲生がこのマンションに越してくるのだ。
荷物のほとんどはもう送ってきていて、几帳面な東吾が荷解きして片付けた。
クローゼットに哲生の服をしまっていると、ダンボール箱の底から、どうやら部屋着に長い間愛用していたらしいくたびれた高校時代のジャージが出てきた。
一緒に住むことになって、初めて垣間見る普段の哲生の愛らしさに胸をときめかせながら、思わずジャージに顔を埋めた。そして、哲生を好きすぎる自分を、変態なのかと恥じ入った。
東吾が白いコットンシャツの上から黒いエプロンをかけて袖をまくり、カレーの鍋をかき回しながら、左手を目の前に掲げた。薬指にはまっている哲生が贈ってくれた指輪を眩しげに見つめていると、玄関のチャイムがなった。
電磁調理器のスイッチを切り、急いで玄関に向かった。
「自分ちなんだから、自分で開けて入ってきたらいいんだよ」
そう言いながらドアを開けると、すっきりと刈り込みきちんと手入れされた栗色の巻き毛に、チェック柄のネルシャツとジーパンのラフな格好もよく似合う哲生が、髭の剃り跡のほとんど見えない少しだけふっくらした頬をほんのり赤く上気させ、ドアの横に付いている表札を見ていた。
「これ、いいなって言いたくて」
表札には『佐倉・黒川』と彫ってあった。
東吾が嬉しそうに目を細めた。
「うん、喜ぶと思った」
赤くなって立ち尽くしている哲生の手を取り、ドアの中に引き込みながら東吾が言った。
「佐倉、おかえり」
「ただいま、黒川」
恥ずかしそうに小さく言った哲生を抱きしめ、靴を脱ぐ間もなく彼の唇に自分の唇を重ねる東吾の姿が、ゆっくりと閉まるドアの隙間から見えた。
〈了〉
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