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12月22日(金)〈啓輔〉

朝8:00。 俺は今日大きな一歩を踏み出す、と大いなる決意を持って彼が来るのを待っていた。 今日こそはカップに俺のラインのIDを書こう、と昨日の彼の反応を見た時から決めていた。 キモいことをしようとしていることは自覚している。けれど毎朝たくさんの客が来る手前まともに会話することもできずに未だに名前も知らないのだ。出来る会話といえばカップ越しの一言ぐらい。 こういう手段を取らない限りいつまで経っても彼との距離は縮まらないのだから仕方ない、と誰に弁明する訳でもなく心の中で言い訳をつらつらと述べる。もちろん、考え事をしながらでも仕事の手は抜いていないので安心して欲しい、とまた誰に弁明する訳でもなく付け足した。 いつも通り彼がカウンターの前に立ったところで、今日は何か言われるかなとワクワクしながら彼が喋るのを待つ。 「…ココア1つお願いします。」 なんだ、今日は特に何もないのか。 少し残念に思いながらも、今日の俺は新たな自信と決意に満ち溢れているためあまり気にせずにカップを手に取り、予定通り自分のラインのIDを書く。 勢いで書いてしまったものの、やはり彼に手渡す時にはどんな反応をするのだろう、と少し緊張で手が汗ばんだ。 受け取った彼は既に大きな瞳を更に見開かせ、電池の切れたロボットのようにその場で固まって動かなくなってしまった。 かと思えば、次の瞬間昨日と同じようにありがとうございます、とだけ告げ逃げるように店を出て行ってしまった。 …やっぱりいきなり連絡先教えるのは引かれたかな。 受け取った時の彼の表情からは彼が何を思ったのか読み取ることが出来ず、考えれば考えるほど連絡先を教えるのはまだ早かったかもしれないという不安が込み上げてきた。 どうやら不安は的中したようで、その日深夜を過ぎても彼から連絡が来ることはなかった。

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