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第6話

 父竜二に、兄とマサヤさん志野原先輩と俺の四人で行くと伝えると「ふうん」と興味なさそうな返事が帰ってきた。 「気を付けて行って来いよ」と一言添え別荘の鍵を渡された。  何日から行くかを話し合った結果、仕事のあるマサヤさんに合わせて行く事となった。  出発当日、稔川酒店前に朝八時きっかりに全員集合した。  伯父の竜一から借りた4WDの車に各々の荷物を積み込むと、前と後ろに二人ずつに分かれて乗り込んだ。  運転席の兄はやはり不機嫌そうな顔をし、助手席のマサヤさんは対照的にすこぶる上機嫌そうにはしゃいでいた。  俺の右隣に座っている志野原先輩は知らない人間と一緒に居るのが落ち着かないのか、黙ったまま窓の外を眺めている。  俺は・・・昨晩竜也兄さんに言われた事がずっと引っかかり、晴れない顔をしているに違いない。  昨晩兄はすまない―――と謝ったのだ。  何故謝るのか分からず、謝罪の理由を訊くと、マサヤは志野原を知っている―――と言った。  聞けば、マサヤさんは叔父の竜三の経営するクラブに随分前から出入りをしていて、二年前志野原先輩が何度かクラブに現れた際に声をかけていたそうだった。  マサヤは志野原に興味があるんだ。  そうとは知らずに、お前達を引き合わせてしまってすまない―――申し訳なさそうに言った。  謝ってもらう事なんか何もない。  俺は知りたい事を知る事が出来たし、マサヤさんが志野原先輩を好きだとしても・・・関係ない。  志野原先輩がマサヤさんを好きだったと言うのなら問題があるが、マサヤさんが好きだったと言うのなら何の問題も無い。  先輩を好きな人なんか沢山居る。  それこそ関係を持った人から何時も先輩を取り囲んでいる女性達、それに弓道部の紺野くんだって先輩に好意を持っているに違いない。  だが、何処の誰に言い寄られても先輩はなびかない。  心を動かされる事は無い。  だから・・・問題は無い。  例えマサヤさんが先輩に何かしたとしても、それが先輩の意思でないならいい。  先輩が望んでそうなったのでないなら、先輩に怒りを覚えたりはしないと・・・思う。  そう、兄に告げると驚いた顔をしていた。  そういうものなのか?―――釈然としないような面持ちでそう言った。  俺は兄の問いに言葉ではなく微笑みで返した。  兄は納得出来ないと言った表情だったが、それ以上何も言わなかった。 「光?」  突然呼ばれ、弾かれたように声のした方に振り向く。  色素の薄いとび色の瞳が俺を捉えていた。 「なんですか?」 「悩み事か?」  心配さうに先輩は俺を覗き込んだ。 「いえ、ちょっと考え事していただけです」  嘘を隠すために微笑んで見せるが、昨夜の兄同様納得いかないといった顔で俺を見つめていた。 「すいません。楽しい旅行の出だしにぼんやりしちゃって…」  笑って先輩の視線の追及から逃れようとするが、効果はなく、鳶色の瞳は俺を捕らえて放さなかった。  言い返す事も出来ずに見つめ返していると、気まずい空気が俺達を包んだ。  重い空気を打ち破るため何か言おうとした時。 「見つめ合ってやらしい」  からかうような口調で重い空気を壊してくれたのはマサヤさんだった。  先輩は一瞬眉をひそめ俺から視線を外すとまた、窓の外に視線をやった。  俺は正直助かったと思った。  本当の事はマサヤさんの側では言い辛いし、先輩を誤魔化しきれる自信はなかったから。  そんな俺の心境を知ってか知らないでか、マサヤさんはそれからずっと話し続けた。  よくもまぁそれだけ話す事があるものだと、感心するほど話題は豊富だった。  おかげで道中退屈はしなかったし、場の雰囲気も和んだように感じられた。  ―――のは俺の気のせいだろうか?  幾つ目かの話が終わり、新しい話が始まろうとしていた時だった。  鬱蒼と生い茂った木々に囲まれた、木製の外壁を持つ建物の前で車は止まった。 「着いたぞ」  そう言うと、兄は車から降りた。  それに習うかのように俺、マサヤさん、先輩の順に車から降りた。  エアコンの効いた車内に比べるとジメジメとして蒸し暑かったが、周りを木々で囲まれている所為か、地元よりも涼しげに感じられた。  兄は自分の荷物を担ぐとドアの前に立ち、鍵を差し込み解錠させ、ドアノブを引いた。  兄が別荘内に入ったのを見て、各々荷物を持ち建物の中に入ると、床一面埃まみれで真っ白だった。 「今日は掃除しないと寝れねーな」  そう言うと、兄は荷物を無造作に玄関に下ろした。  そして土足のまま上がり込み何かを求めてウロウロし始めた。  兄が探しているのが掃除用具だという事は分かったので、手分けして探してみた。  裏の物置からマサヤさんが掃除用具を見つけ出して来たので、ホウキやバケツや雑巾を持って四人で掃除をした。  別荘に着いたのが午前十一時頃だったが掃除が終わったのは夕方だった。  無駄に広い別荘を掃除するのは事だった。  お陰で俺達四人は昼食を食いはぐれてしまった。  部屋の掃除を終えてから俺と先輩の調理班と、竜也兄さんとマサヤさんの風呂掃除班に分かれ、手分けして仕事を片付けた。  ご飯を食べ、風呂に入ると既に夜になっていた。  夜と言ってもまだ寝るには早い時間だったので、今後の食事などの当番についてを四人で取り決めをし、それでもまだまだ時間があったので酒を飲みつつ四人で・・・と言うよりマサヤさんが一人で話をし、俺たちはそれを聞いていた。  ボーン、ボーン・・・  十一時を知らせる為に時計が鳴った。 「そろそろ寝るか?」  四人の中で一番酒量の多い竜也兄さんだが、酔った気配もなく、ハッキリとした口調でそう訊いた。 「そうだね、そろそろ寝ましょうか?」  同意を求めるように訊くと先輩は「ああ」と返事をし、マサヤさんは不満そうに「これから空前絶後奇奇怪怪超恋愛話をしようと思っていたのに!!」と頬を膨らませた。  一体どんな恋愛をしてきたのかとちょっと話を聞いてみたい気になったが、俺達は寝る事にした。  一階に竜也兄さんとマサヤさん。  二階に俺と先輩が寝る事になっていたので、先輩と二人で二階に上がった。  部屋は一人に一つずつ割り振っても持て余すほどあるのだが、俺と先輩は同じ部屋に寝る事にした。  部屋のドアを閉め振り返ると、先に部屋に入った志野原先輩はベッドに座った状態で俺をジッと見ていた。 「何を隠しているんだ」  問われ咄嗟に「何も隠してなんか居ません」と嘘を吐いた。  マサヤさんは側に居ないのだから誤魔化す必要なんかないのに・・・ 「俺にいえない事なのか?」  深刻な表情をしている先輩を見て何か誤解をしているのではないかと、慌てて俺は竜也兄さんから聞いた話を話した。  俺の話を聞いて先輩は「何だそんな事か」とホッとしていた。 「てっきり俺の事で何か言われたんじゃないかって思って・・・」 「すいません。余計な心配かけて」  謝ると先輩は笑いながら「あんなヤツ関係無い」と言った。 「お前は知らないだろうけど、俺は鬼のように強いんだぜ。あんなヤツに好き勝手されたりなんかしないよ」 「頼もしいですね」  笑って答えると先輩も笑って「だろ?」と笑った。  別荘の掃除やら何やらで疲れていた俺達は、そのままベッドに入ると何時ものように二人で眠った。 ◆◇◆  朝目を覚ますと、隣で気持ち良さそうに寝息を立てている美しい寝顔があった。  今まで寝ながら泣いたりうなされたりしていた事を思うと、こんなに安らかに眠れるようになって良かったと心底思う。  起こすのは忍びないので、そっと布団から出て一階へ降りた。  トイレに入ろうとバスルームのある部屋へ向かうと、キッチンから物音がするので覗いて見た。 キッチンには栗色の不揃いな短い髪の男が包丁を片手に立っていた。 「おはようございます」  俺が声をかけると男は振り返り、優しい微笑とともに「おはよう」と言った。 「早いね光。良く眠れなかった?」 「いえ、俺元々朝は早いんで・・・それよりマサヤさんは何しているんですか?」 「今日の食事当番は俺と竜也じゃん。でも、竜也疲れているみたいだし、飯くらい俺一人でも作れるから作っとこうかなと思ってさ」 「それなら俺手伝います」  そう言って、側に置いてあったジャガイモを手に取って俺はある事を思い出し、ジャガイモを元の場所に戻した。 「すいません。その前にトイレに行ってきます」 「行っておいで」 と言ってマサヤさんはクスクスと笑った。  トイレから戻り、キッチンに二人並んで朝食製作にとりかかると、マサヤさんは意外な事を言った。 「君達兄弟は本当に良く似ているね」 「え?」 「行動の取り方とか、素直なところとか、恋愛に関して鈍いところとか良く似ているよ」  意味ありげに笑った。 「俺がシノを狙っているかもしれないと思っているだろ?」 「分かりません。もしかしたら・・・とは思っています」  正直に答えるとマサヤさんは笑った。 「素直だね。正直に答えてくれたから俺も正直に言うけど、俺の好みは精神的に飢えているヤツなんだよ。寂しそうなヤツを癒してやるのが好きなんだ。光も竜也も満たされているし、シノは光のお陰で満たされているしで、今回のメンバーで俺の心をくすぐる男は居ないから光も竜也もピリピリする事なんかないんだよね」  本当だろうか? なら何で・・・ 「志野原先輩に会うの楽しみにしていたんですか?」  問うと、マサヤさんは切り刻んでいた味噌汁の具を片手鍋に放り込みながら言った。 「俺が初めてシノに会った時、アイツボロボロでさぁ・・・優しくしてやりたくて声をかけたんだけど・・・アイツ何て言ったと思う?」 「さぁ?」 「目鼻刳り貫いて手前に食わせてやろうかって言ったんだぜ。怖いだろ? つーか怖かった」  茶化すように笑った。 「あの頃のアイツは結構出鱈目だったし、俺は暴力苦手だったから尻尾巻いて逃げたんだけど、俺以外の誰かにアイツは優しくしてもらえるのかずっと気になってて・・・。竜也から光の事を聞いた時はまさかって思ったよ。本当にあのシノを助けられるヤツが存在するのか会って見たかった。そういう意味で光には興味があったし、元気になったシノを見てみたかったから会いたかった。ただそれだけだよ」  ずっと野菜を切るために落としていた視線を上げ、俺を見た。 「元気なシノの姿を見る事が出来て嬉しかった。俺が言うのも変だけど・・・有り難う」  俺は何と返していいのか分からず「いえ」と曖昧な返事を返した。  暫く沈黙が包み、俺は焼いていた鮭をひっくり返そうと、ガステーブルに収まっている網を引っ張りたした。 「ところで俺が教えた知識は役立てられた?」  突然思わぬ質問を投げかけられ、俺は慌てた。 「何ですか急に・・・」 「光がどっちをやるのか分からなかったから、ヤられる側とヤる側と両方教えたけど、どっちの知識が役立ったか気になるじゃん。ねぇどっちが役立った?」  目を輝かせて訊いて来る。  確かに、俺と先輩がそういう事をするならどっちらがどっちをやるのか、一見して分からない。  俺自身は先輩に対して抱かれたいとか抱きたいとかそう言った感情は無いし、先輩も俺に対してそういう様子を見せた事が無いので、俺自身にも分からない事だ。  他人にしてみれば興味のそそられる話題だろう・・・。 「期待に添えなくてすいませんが、どっちの知識も使っていないです」 「だと思った。まだのニオイがしてたんだよね」 「におい?」 「うん。俺脳内エロエロだからニオイで分かるんだ」  俺の身体に鼻を近づけ、クンクンとニオイを嗅いだ。 「まだ男を知らないニオイだ」  マサヤさんは悪戯ぽく笑った。 「止めて下さいよ」  マサヤさんから離れようと一歩後ろに下がるが、それに合わせてマサヤさんは一歩踏み出し、俺から離れようとしなかった。 「イイ匂い。光は甘い匂いがするね」 「ちょっと・・・」  マサヤさんとふざけていると、人の気配を感じ振り返って見た。  するとそこには眉を吊り上げ、明らかに不機嫌そうな表情の志野原先輩が立っていた。 「先輩・・・」  声をかけると、先輩はフイッと向きを変えて部屋から出て行った。  俺は持っていた菜箸をマサヤさんに押し付け、先輩の後を追った。 「先輩!」  呼んでも先輩は振り返らないどころか、立ち止まる事すらしなかった。  何処かの部屋に入り扉を閉めようとしたので、ドアの隙間に足を入れ力任せにドアを無理矢理こじ開けた。  押し入ると、そこはトイレの中だった。 「何だよ。俺の放尿シーンでも見たいのか?」  皮肉るように顔を歪ませて言った。 「何を怒っているんですか?」 「怒ってなんかいないよ。それよりこれから糞するんだから出て行けよ」  蓋の閉まったトイレの上に座り、上目遣いで睨むように見上げながら言った。 「すればいいじゃないですか」  出て行くどころかドアを閉め、立ち塞がる俺に驚いて先輩は目を見開いた。 「先輩が怒っている訳を話してくれるまで此処から出さないし、俺も出て行きませんよ」  そう言うと、先輩は軽い溜息を吐いた。 「何無茶苦茶言ってんだ?」 「この程度事は無茶でも何でもないです。馬鹿げていると思うなら、先輩がさっさと本当の事を話してくれればいいんですから」  先輩は追い詰められ困った顔をした。  自分でも強引だと分かっている。  だが、先輩は内側に溜め込んでしまう人だから強引にでも引き出さないとそのまま飲み込んでしまう。  俺が何か気に入らない事をしてしまったのなら聞いておかなければならない。  知らないでいると同じ事を何度も何度も繰り返し、最初は小さな歪でもやがて大きな歪となり修復不可能となってしまう。  人の関係は壊れやすいものだから気を付けなければ・・・  俺の気持ちを知ってか知らずしてか先輩は重い口を開いた。 「怒ってる訳じゃないよ・・・」 「え?」 「お前とマサヤってヤツが仲良さそうにしているのを見て、なんかイライラして・・・それだけだよ」  それって・・・。 「もしかして先輩・・・嫉妬してくれたんですか?」  先輩はトイレに座ったまま片膝を付き、膝に顔を埋める様に俯いて顔を隠した。 「もういいだろ?出て行けよ」  耳を真っ赤にして言った。 「先輩・・・俺・・・」  先輩に触れようと近付いた時だった。  金属の音と共に空気が動くのを感じ、振り返ると兄が驚いた様子で立っていた。 「何やってんだお前等・・・こんなところで?」  兄の当然の質問に答えたのは俺ではなく志野原先輩だった。 「内緒話だよ」  先輩の答えを納得したのかしないのか、頭をボリボリと掻き毟り「内緒話なら他でやれ俺は便所に用があるんだよ」と言って俺達をトイレから追い出した。  俺と先輩は顔を見合わせた。 「俺が好きなのは先輩だけですよ」  トイレに居る竜也兄さんに聞こえない様に小さな声で囁くと、先輩はやっぱり真っ赤になってああ――と小さく答えた。

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