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第7話
朝ご飯を食べ終え、朝食を作った俺とマサヤさんは後片付け係り、竜也兄さんと先輩はパラソルを立てる係りにと二手に分かれる事になった。
海水浴で使う道具を一式持って先に出た二人を追うように、俺達も片付けを終え別荘を出た。
少し歩いたところでマサヤさんは「さっきは大丈夫だった?」と興味津々で訊いてきた。
「大丈夫ですよ」
「抱きしめてキスとかしちゃった?」
「してません」
ピシャリと言い放つとマサヤさんは「つまんないの」と言って足元に落ちていた小石を蹴飛ばした。
「でも、本当にシノは光の事好きなんだね」
シノは――― その言い方に何か引っかかるものを感じたが、あえて触れずに流した。
何故か訊いてはいけない気がして・・・
「俺に男同士のヤリ方を訊きに来た時言ってたよね。求められたら応えたいって・・・今も同じ気持ち?」
「何ですか急に・・・」
「気持ちは変わっていない?」
「変わっていないですよ」
マサヤさんは遠くを見ながら「ふうん」と言った。
「光自身はシノに対して何もないの?」
「ないです」
即答すると、マサヤさんは目を細めて俺を見てやはり「ふうん」と言った。
「何なんですか?」
「別に・・・あっ! 光、海だ! 海!」
叫びながらマサヤさんは砂浜に駆け出して行った。
答えをはぐらかされ、俺はモヤモヤとしたままマサヤさんの後を追った。
広い浜辺で竜也兄さんと先輩を見つけるのは大変かもしれないと思っていたが、大して難しくはなかった。
朝が早いのでまだ大して人が来ていなかったのと、側に3人の女性達が居たから・・・
二人の立てたパラソルに向かって歩き出した時、後ろから何かに引っ張られ振り返ると、何処かに走って行ってしまったと思っていたマサヤさんが立っていた。
「シノは勿論、竜也も中々イイ男だから女が放っとかないね」
マサヤさんは悪戯ぽく笑いながら言った。
「妬ける?」
問われ、何で?―――と返すとマサヤさんは俺をジッと見た。
「シノが浮気したらとか思わないの?」
「先輩が好きなのは俺です。それに見て下さいよ・・・」
顎で先輩の方を指した。
「明らかに先輩、迷惑がっているじゃないですか」
「まぁ・・・そうなんだけど・・・」
スッキリしない返答に何が言いたいんですか?―――と尋ねるとやっぱりハッキリとしない口調で、別に―――と言った。
「そんな事より、俺達二人も加わって無敵のイイ男四重奏《カルテット》を作ろっか」
そんな事を言ってマサヤさんは俺の腕を引っ張り、走った。
引き摺られるように二人に近付くと、女性達が俺達に気付き「わぁ」と小さな歓声を上げた。
マサヤさんは自分で言うだけあってかなりの男前だ。
コワモテ系の竜也兄さん。
中性的な顔立ちの志野原先輩。
そこにイケメンがもう1人加わるのだ。
女性達の反応は当たり前のものだし、気持ちはよく分かる。
だが、ひと夏の恋の相手として目の前の男達を狙っても無駄なのだ。
兄は遊びで女性と付き合える男ではないし。
マサヤさんはゲイだし。
先輩は俺を好きだしね。
だからさっさと諦めて何処かへ行って欲しいと正直思った。
でないと先輩と何処かへ行く事が出来ないような気がして・・・。
盗み見るように先輩を見ると、目が合った。
さっきまで苦虫でも噛み潰したような、明らかに不機嫌な顔をしていたのに・・・。
優しく微笑んだのだ。
何時も何処にいて、誰に対しても微笑む事なんかない先輩が唯一微笑を向けるのは俺にだけだ。
俺の為だけの微笑み。
そう思うと、どうしていいのか分からなくなる。
何故か乱暴な気持ちになってしまうのだ。
一体コレはなんなんだろう?
俺は・・・。
「光、泳ぎに行こうぜ」
そう言って先輩は俺の腕を掴み、海の方へグイグイと引っ張った。
先輩が急に場を去ろうとするので女性達は「あっ!」っと声を上げたが、先輩はそれが聞こえないのか、無視しているのか、俺を引き摺って海に向かって歩いた。
「先輩どうしたんですか急に?」
「あいつ等ウザイんだよ」
「あいつ等?」
「女だよ。訊いてもいない事ベラベラ喋るし・・・それに」
それに?
「お前に色目使うから・・・」
この人は何を言い出すかと思えば・・・。
彼女達が興味を持っていたのは、先輩の方だろう。
俺が彼女達にする嫉妬するなら分かるが、自分が彼女達に嫉妬するなんてバカだな。
可笑しくて笑いをこぼすと、先輩は眉を寄せた。
「何笑ってんだよ」
「だって先輩が可愛いから」
「可愛いなんて言うなよ! 薄っすら寒い」
俺の腕を掴んでいた手を乱暴に放すと赤く火照った顔を冷やす為か、先輩は手で顔を摩った。
◆ ◇ ◆
兄達の居る方を振り向いて見た。
パラソルの下には兄とマサヤさん、それにまだ、三人の女性達も居た。
「光」
呼ばれて先輩の方へ向き直るとバシャバシャと波を蹴る様に海に入って行く先輩の姿があった。
海に膝まで浸かった所で先輩は振り向き、急に競争をしようと言い出した。
「あそこに浮いているブイまでな」
先輩の指差す方向にはオレンジ色の安全ブイがあった。
「競争って事は勝ったら何か良い事あるんですか?」
「あるよ」
「へぇ~どんな?」
「お前が勝ったら何でも1つだけ言う事をきいてやるよ。ただし俺が勝てば俺の言う事を1つきいてもらう」
「どうだやるか?」
そう問われて、俺は笑顔でいいですよと答えた。
俺自身は先輩に対してきいて欲しい願いなどなかったが、勝負を吹っ掛けてまで俺にきいて欲しい願いがあると言う事が嬉しかった。
俺は先輩の願いなら何でも叶えて上げたいと思っている。
だから、ただ言ってくれさえすれば俺の出来る事なら何でもする。
そんな事は先輩だって分かっているだろうに・・・
勝負の勝者敗者という関係を作らねば、言えない願い事なんだろうか?
何を頼まれるのか少しワクワクした。
「もっとこっち来いよ!」
俺を招く仕草をするので水の抵抗を受けながら歩き先輩の近くへ寄ると、水位は丁度俺の腰辺りに来ていた。
「オイ、いいか?」
先輩は俺の真横に並ぶと真剣な顔で尋ねた。
「何時でもいいですよ」
答えると先輩は「ReadyGo!」と叫び海に潜り込んだ。
頼み事など無かったが、手を抜く気は無かったので本気で泳いだ。
先輩が泳ぐ事によって出来る気泡が目の前をかすめる。
隣で泳いでいた先輩は何時の間にか俺を追い越し、前へ行っていた。
少しでも距離を離されまいと必死で泳ぐが、少しずつ離されて行くのが分かった。
泳いで。
泳いで。
泳いで・・・。
結局俺が先輩を追い越す事無く、勝負は決してしまった。
軽く呼吸を乱しながらブイにつかまり、立ち泳ぎしている先輩は俺が水面から顔を出すと「お前早いな」と言って微笑んだ。
「何言っているんですか、先輩の方が早いじゃないですか」
「人参を目の前にさげられた馬は速く走れるもんなんだよ」
冗談交じりで先輩は笑った。
馬に人参。
確かに少しはあるのかもしれないが、そんな事だけで負けはしない。
先輩が速かったのだ。
コレで幾つ目だろう。
俺が先輩にかなわないと思ったのは・・・。
ああ、まただ。
喉の奥がカラカラする。
身体が乾いた感じがする。
「どうしたんだ光。怖い顔をして・・・何処か痛いのか?」
心配そうに窺う先輩の声で俺はハッとした。
「何でもないです」
笑って誤魔化し、兄達の待つパラソルに戻る事を促した。
これ以上先輩と二人きりでは持たない気がして・・・。
◆ ◇ ◆
パラソルに戻ると、先程とは違う女性が兄達に声をかけていた。
今近付くと先輩がターゲットとして認識される事は想像に易かったので、正直近付きたくなかった。
先輩と顔を見合わせ、暫く様子を見る事にした。
女性達が離れるまで、兄達を観察していると、兄は終始仏頂面をしていた。
マサヤさんは対照的にヘラヘラと人の良い笑顔を浮かべていたが、やはりと言うか、なんと言うか素っ気無くあしらっていた。
暫くして女性達が離れるのを確認し、近付くと最初に反応したのはマサヤさんだった。
「早かったね。もういいのかい?」
「とりあえずひと泳ぎしましたから」
笑顔で答えると、マサヤさんはジッと俺を凝視した。
訳の分からない渇きに侵されている心を見透かされているようで落ち着かず、目を逸らしてしまった。
俺を見つめるマサヤさんに対して、あからさまに敵意のこもった目で睨む先輩に気付き、マサヤさんは先輩に優しく微笑んで見せた。
マサヤさんは俺と先輩の顔を交互に見て、何故かつまんなさそうに「ふうん」と言った。
「俺荷物見ていますから皆好きにしていいですよ」
マサヤさんの視線の追求を逃れようと、ありったけの笑顔で言った。
すると竜也兄さんは勢いよく立ち上がり、腕を上に大きく広げ伸びをした。
「熱くてかなわない。ひと泳ぎしてくるわ」
準備運動代わりなのか、竜也兄さんは肩をブンブンと回しながら海に向かって歩いて行った。
「いってらっしゃい」
兄さんの後姿を見送っていると、今度はマサヤさんが立ち上がった。
「じゃあ俺は竜也のストーカーでもしよおかな」
そう言うと竜也兄さんの後を追いかけて行った。
「先輩も泳いで来ていいですよ」
二人っきりで居る事に何故か不安を覚えての言葉だったのだが、俺の不安など知る由もない先輩は困ったような顔をして不平をもらした。
「俺に1人で何しろって言うんだよ。お前がいなければ意味が無いだろう」
何処にも行かないと言う意思表示のつもりなのか、先輩は自分で持ってきたらしいパーカーを荷物の中から引きずり出し着込むと、女性避けの為かフードまで被ってしまった。
ドカリと先輩は勢い良く俺の隣に座り込んだ。
パラソルの影に居るとはいえ、夏の日差しは優しくはなかった。
ジリジリと焼けるような暑さに汗は後から後から噴出す。
寄り一層強まる喉の渇きに耐えられず俺は立ち上がった。
「俺、喉が渇いたんで何か買ってきます。先輩も要るでしょ? 何がいいですか?」
「態々買いに行かなくても、飲み物ならお前の兄貴が何か用意していたぞ」
そう言うと先輩は荷物の中から大きな水筒を出してきた。
「ほら」
水筒の蓋を差し出され、俺は素直にそれを受け取り元の場所に座り直した。
蓋を持っていると先輩は持っていた水筒を傾け、中身を注いでくれた。
礼を言い、注がれた物を一気に飲み干し喉の渇きを潤した。
だが、それでもまだ喉がカラカラしてスッキリとはしなかった。
何か話でもして気を紛らわせようと話題を考えていると、俺はある事を思い出した。
「そう言えば先輩俺に頼み事ってなんですか?」
「え?」
「競泳に負けた方が勝った方の言う事をきくって話でしたよね?」
「ああ・・・その事か・・・」
先輩はジッと俺を見つめると、はぐらかすように笑った。
「それは後で言うよ」
そう言って、先輩はフードからはみ出た髪を指先で何度も何度も引っ張ったりした。
それはまるで、緊張した人間が顔等に触れて緊張を解すそれに似ていた。
◆ ◇ ◆
程よく日も暮れ、海から帰って来た俺達は海水でどこもかしこもベタベタしていた。
ジャンケンをし風呂の順番を決め、一番に勝ち抜けした先輩は片付けは免除され、そのまま風呂に入り
先輩が風呂に入っている間に残りの三人で今日使ったものの片付けをした。
マサヤさん竜也兄さん俺の順に入り、風呂から上がる頃には喉の渇きはすっかり消えていた。
新しい服に着替え、濡れた髪をタオルで大雑把に拭きながら居間に行くと先輩とマサヤさんが向い合ってトランプをしていた。
「何やってんの?」
「ポーカー。マサヤの奴将棋は強いくせにトランプは全然駄目らしい。惨敗している最中だ」
楽しそうに言う竜也兄さんを非難めいた目でマサヤさんは睨んだ。
「俺が弱いんじゃないの! シノが強すぎるの! チェンジ!!」
言われ、ディーラー役の竜也兄さんはマサヤさんに一枚カードを配った。
何かいい手が出来上がったのだろう。
マサヤさんは嬉しそうに「勝負!」とコールをし、勢い良くカードを開いた。
「ストレートフラッシュ! どーだ!!」
マサヤさんのカードを見ても先輩は表情一つ変えず「悪い」と一言言ってカードを開いた。
「ファイブカードだ」
淡々としている先輩とは対照的に、マサヤさんは大声を出した。
「えぇ!! ファイブカード!? マジで? イカサマじゃないの!?」
ウンザリしたように言った。
「イカサマなんかしねぇよ。仮にしていてもゲーム中に見抜けなかったらイカサマじゃないんだよ」
「はぁぁ・・・シノは賭博神? ゴッドギャンブラーなの?」
「ただ付いていただけだよ」
先輩の言葉を聞いて、マサヤさんは舞台俳優の様に大声で大げさに「ああ!」と哀れっぽく叫んだ。
「何てスマートで謙虚な男前なんでしょう。そんなこ憎たらしい子は、そこに居る光を連れて可愛そうな僕のために花火を買ってきなさい」
先輩は「なんで俺が!?」と不平をもらしたが、マサヤさんはそんな言葉気にも留めず、自分の財布から数千円出すと先輩に握らせた。
「ドラゴンでも落下傘でも何でも好きなモノ買ってきなさい」
「自分で行けよ」
「勝って気分良いんだから行って来てくれよ。それに若者は年寄りをいたわるもんでしょ?」
「年寄りって・・・大して変わらないじゃねーか。大体なんで花火なんだよ」
「花火は夏の風物詩なんだからやらなくっちゃいけないんだよ。知らないの?」
さも当たり前の事の様にしれっとマサヤさんは言った。
先輩が眉間に皺を寄せイライラしているのを感じ、俺は先輩の腕を引っ張った。
驚いて振り返る先輩に優しく微笑み「行きましょう」と言うと先輩は、文句を言うために開いた口を閉じながら息を吐き「ああ」と素直に返事をした。
俺は持っていたタオルをソファに放り投げ、行って来ます―――と言い
先輩を連れ立って別荘を出た。
◆ ◇ ◆
別荘を出ると十九時だというのにまだ外は明るかった。
別荘に来る途中車窓から見かけた風景の記憶を頼りに、俺と先輩は歩き出した。
別荘地帯は道の舗装はされていないものの、人が通りやすく調えられていた。
土の道を歩きながら先程のマサヤさんとのゲームの賛辞を贈った。
「先輩カードも出来るんですね」
「あんなものルールさえ知っていれば誰だって出来るだろ」
「そうじゃなくて強いって意味です」
「ただ付いていただけだよ」
志野原先輩は苦笑した。
自分に興味の無い先輩は、他人に何をどんな風に褒められても決して表情を変える事もせず、ただ気の無い返事を返すだけで終わる。
褒める相手が俺だと多少は嬉しそうにするが、やはり苦笑して終わるのだ。
今も先輩は嬉しそうな、申し訳なさそうな、困ったような顔をしている。
実は俺は先輩のこの顔が好きだ。
人より優れたものを持っている人間はそれを自覚している限り、言われて当然の賛辞に対して謙遜をしつつも自信に満ち溢れた笑顔で返す。
もしくは、もっと褒め称えろと言葉で言い、表情で言い、態度で言うか、大きく分けてこの二つだと思う。
先輩はどちらでもなく、困るのだ。
気の無い人に褒められてもそれは他人事のようでただ聞き流し、気のある人に褒められれば嬉しいが、賛辞を受け取るにあたいする人間で自分があるかどうか困るのだ。
何故困るのか考えると寂しい気持ちになる。
これまで先輩は成功体験と言うものをしてこなかったんだろう。
頑張って良い成績を修めても認められる事は無く、振り向いてもらう事も出来ず
どんなに頑張っても『まだ駄目だ』『もっと頑張らないといけない』と思ってしまっているに違いない。
何でも吸収する事が出来、そしてその吸収速度は人よりも早い。
優秀な人。
でも、何処の誰にどんな言葉で褒められようとも先輩は苦笑するだけだろう。
何故なら先輩の中で、自分は駄目な人間だとされているから・・・
誰にも愛されない。
誰にも必要とされないと信じているから・・・
そんな事はないと・・・
先輩を認めている人がいる事を、必要としている事を少しずつでいいから認識してもらえたらと思う。
「先輩?」
それまで隣に並んで歩いていた先輩の姿が消えてしまったので、反射的に後ろを振り返った。
五メートルくらい後ろに、足を止め立ち尽くしている先輩の姿があった。
俺は先輩のもとに駆け戻って「どうしたんですか?」と訊ねた。
先輩は何かを言いかけ、一瞬ためらい、そして言葉を飲み込んだ。
「何ですか?」
「何でもない行こう」
誤魔化して歩き出そうとする先輩の腕を掴んで、俺はそれを止めた。
「ちゃんと話してください」
「何でもないって言っているだろう。手ェ放せよ」
うろたえる先輩を見て、腕を掴んだままの手に力を込めた。
「先輩が話してくれたら放しますよ」
「なっ!!」
怒ったのか、一瞬声を荒げたが俺と目が合うと口をつぐんでしまった。
眉をひそめ、目を伏せ、暫く考え込みこぼすように言葉を発した。
「はい?」
聞き取る事が出来ずに聞き返すと、破れかぶれのように先輩は言葉を発した。
「キスしてもいいかって言ったんだよ!!」
「え?」
「海での賭けだよ」
「勝ったらいう事を一つきくって、あれですか?」
先輩は恥ずかしそうに、駄目か?―――と言った。
キスなんか「しろ」と言えばいくらでもするのに・・・
態々勝負事をけしかけ勝者と敗者の関係を作って頼むなんて、可愛い人だな。
そう思い心が熱くなった。
「先輩」
呼ぶと先輩は反射的に俺の方を見た。
すかさず顔を寄せキスをすると、先輩は予期せぬ事に驚いたのか、唇が触れた瞬間に顔を後ろに引き、逃げた。
「何すんだいきなり」
「だってキスしてって言ったじゃないですか」
「今じゃない! 後でだよ!!」
「じゃあ後でもう一度しましょう」
微笑むと先輩は恥ずかしそうに顔を歪ませた。
掴んでいた腕を放し「花火買いに行きましょう」と言うと先輩は小さな声で返事を返してきた。
◆ ◇ ◆
花火を買いに再び歩き出したが、何故か先輩は俺の隣ではなく一歩後ろを歩いた。
別荘地帯を抜けると、土からアスファルト舗装の道路に出た。
緩やかな坂道を歩いて行くと、暫くして平坦な道に出たのを機会に何故後ろを歩くのかと先輩に訊いてみたが、先輩は「そういう気分なんだ」と答えをはぐらかした。
恥ずかしがっているのだろう。
両手両足でも足りないくらい人と関係を持った事のある人なのに、この人のピュアさはなんだろう?
俺とする子供騙しなキスではなくもっと深いキスをいくらでもした事があるだろうに・・・
それなのにこんなにも動揺してくれるのは、俺が特別なんだと実感させられる。
嬉しい。
嬉しさで顔が緩みまくる。
俺の締りの無い表情を見て「なんだよ」と怪訝な顔をした。
「何でもないですよ」
ヘラヘラと謎の微笑みを浮かべながら返すと、先輩は自分原因だと察したらしく黙ってしまった。
暫く会話も無く黙々と歩いていると、目当てのコンビニにたどり着いた。
コンビニで花火を買っている最中も先輩はずっと後ろを付いて周り、店を出てからもそれは変わらなかった。
平坦な道を歩いて行くと、前方に数人の人影が見えた。
コンビニの光は届かない、薄暗い人通りの無い道。
距離はかなり離れているのに、何故か嫌な感じがした。
出来れば近付きたくないと思った。
人影たちが居なくなるのを待とうかとも思った。
だが、別荘に向かう道は一本しかなく、人影も動く気配は無かった。
「どうした光?」
急に足を止めたのを不審に思ったのか、先輩は後ろから訊ねてきた。
「前の集団が嫌な感じがしたもんで・・・」
「五人か・・・大丈夫だから行こうぜ」
何が大丈夫なんだろうと思ったが、訊く事はせずに先輩の言葉を信じ再び歩き出した。
顔の判別のつかない距離に居た人影たちとは、直ぐに顔のハッキリと分かる距離まで来た。
近付けば近付くほど嫌な感じは色を増した。
目の前の男達は嫌な笑みを浮かべている。
一番手前の男の横を通り過ぎ、二人目三人目四人目の男の横を通り過ぎ後一人・・・
さっさと過ぎ去ってしまおうと思った、その時だった。
最後の男は俺の前に立ちはだかった。
通り過ぎた男達は俺と先輩を取り囲んでいた。
「俺たち財布落として困ってんだ。金貸してくんねぇ?」
ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべながら言った。
断ろうと口を開きかけた時、一瞬早く先輩が言葉を発した。
「財布落として困ってんなら警察行けよ。俺らが警察に見えんのか?」
それまで後ろに居た先輩が俺を庇うかのように立っていた。
「ははっ! 面白いなアンタ。面白いから持っているだけでイイから置いて行きな」
右横に立っていた男は笑いながら言った。
「そうそう、痛いの嫌でしょ? 俺たちが優しく言っているうちに素直に出しなって」
正面の男はポケットにでも忍ばせていたバタフライナイフを取り出し、ちらつかせた。
「フン! そんな子供のオモチャ見せびらかして何を粋がってんだ、手前は?」
挑発しているのか、嘲ているのか、先輩は鼻の先で笑った。
正面の男は苦虫を噛み潰したような顔をして先輩に襲いかかった。
ナイフが切りかかるよりも早く先輩はナイフを持った手を蹴り上げ、体勢を崩した男を畳み掛ける様に殴り倒した。
ほんの数秒の出来事で俺も男達も茫然と立ち尽くしてしまった。
ハッとした時は、既に先輩は二人目の男の頭にハイキックを入れていた。
頭にもろ蹴りを喰らった男は意識を断ち切られたのか、糸の切れた操り人形のようにその場に倒れ崩れた。
「光!!」
先輩が只ならぬ様子で呼ぶので、俺は咄嗟に後ろを振り向いた。
俺の真後ろに立っていた男は、何処かに隠し持っていた警棒で殴ろうと腕を振り上げていた。
男の攻撃をすんでのところでかわしたものの、男の攻撃は止む事は無く、警棒は俺を襲った。
男の攻撃をかわしているうちに立ち位置が換わり、俺から先輩の姿が見えた。
最初に殴られた男は鼻血を垂らしながら立ち上がり、再び先輩に襲い掛かろうとしていた。
先輩は二度と自分の前に立ち上がらないように、男のボディに何度も拳を入れていた。
男が崩れ落ち、先輩が俺の方を見たのと同時にそれまで避けていた警棒が頬をかすめた。
「光!!」
俺に気を取られてしまった所為か、先輩は無傷の男に殴られてしまった。
瞬間。
何かが俺の中で切れてしまった。
俺は目の前の男殴りつけていた。
何度も。
何度も。
何度も・・・
我に返ると、男は足元でうずくまっていた。
先輩の方を見ると、先輩は最後の1人を回し蹴りでとどめを刺すところだった。
最後の1人が倒れるのを見て、先輩は俺を見た。
「そっちも片付いたか?」
悠然と言うあの人を見て、俺は変な錯覚に陥った。
シノさん・・・
目の前の男は二年前に叔父の店で出会った男だ。
力強い絶対者のような風格を持った、触れる者を焼き尽くす蒼い炎のような男。
シノさんは一歩一歩俺に近付いて来た。
俺の足元でうずくまっている男の肩を足で押し、仰向けにした。
すると、勢い良く男の肺の辺りを踏みつけた。
鈍い音と共に男の悲痛な呻き声が上がり、俺はシノさんを見た。
「何をするんですか!?」
「お前を傷つけたからさ」
そう言ってシノさんは薄く笑った。
「おい糞野郎肋骨を折らせてもらったぜ。肺に穴をあけたくなかったら下手に動くなよ。仲間にでも救急車を呼んでもらいな」
そう言って放っていた花火の入った袋を拾い上げ「行くぞ」と言った。
行きの時とは逆に、今度は俺がシノさんの一歩後を歩いた。
何故か隣を並んで歩いてはいけない気がして・・・
ああ・・・まただ。
喉の奥がカラカラしてきた。
喉の渇きを堪えながら坂道を下り、別荘地帯まで来た時だった。
不意に立ち止まりシノさんは「頬大丈夫か?」と訊ねてきた。
「大丈夫です。かすっただけですから・・・」
「本当か?ちょっと見せてみろ。見辛いな、しゃがめよ」
シノさんに言われ、俺はその場にしゃがんだ。
何時も自分より低い位置にある顔が上から近付いてくる変な感覚に襲われた。
暗くて良く見えないためか、シノさんは顔を思いっきり近づけて俺の頬を覗き込んだ。
「ちょっと血が滲んでる程度だな」
そう言ってシノさんは傷を舐めた。
俺の中で二年前額にキスされた時と現在が重なり、身体が急に熱を持った。
ドキドキと心臓が早鐘を打っている。
何かに突き動かされるように立ち上がると、シノさんは驚いて一歩下がった。
「どうしたんだ? 痛かったか?」
「舐めてあげます」
「え?」
訳が分からないと言う顔をしたシノさんを無視して、俺は殴られていた方の口の端を舐めた。
舐めるとシノさんの唇から血の味がした。
染みたのか、シノさんは小さな声を漏らす。
俺はそれすらも無視して、さらに口端を舐めた。
「どうしたんだ今日は随分と積極・・・」
先輩が言葉を終える前に俺はシノさんの唇を自分の唇で塞いだ。
何時もの触れるだけのキスとは違い、唇を割り舌を入れ貪るようなキスをした。
血が燃えた気がした。
舌を絡めとリ口腔を蹂躙するようなキスをする。
身体はドンドン熱を増していく。
俺の乱暴なキスを拒む事無く受け入れてくれているが、シノさんの手には力がこもっていた。
指に力が込められ、掴んでいる俺の肩にシノさんの指が食い込む。
それはシノさんの息苦しさを表しているのに、俺はキスを止める事もシノさんを放す事もしなかった。
出鱈目なキスを繰り返しているうちに、意味を知る。
何故先輩を美味しそうと感じたのか・・・
何故先輩がもとの姿に戻るのを不安に感じたのか・・・
どうしてこんなにも喉が渇くのか・・・
俺は・・・
出会ってから今日まで・・・
志野原 貢に恋などしていなかったのだ・・・
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