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父さん、触らないで 1
触るなっ、と声を荒らげた。目の前の男は目を丸くして、すぐに表情を曇らせた。
触られればバレてしまう。そうすればこの関係は終わりだ。親子で、それも父に、こんな感情持つなんてキモチワルイに決まってる。
この気持ちに気づき始めたのは、思春期真っ只中の時。中3では当たり前のごとく、付き合うやつも出てきて。それでもおれは、女子の、女の独特の匂いや雰囲気が気持ち悪かった。それを誰にも話さなかった。
つまりは、おれは、ゲイだったんだ。
そんなおれの家庭は父子家庭で、常に父と喧嘩をしていた。
何かあれば口答えをし、口喧嘩をしては物に当たって。さらに怒られて反抗してた。普段から自分の性癖に悩みを抱えていたおれは、苛立ちが募りつつあった。
「譲」
「…なに、邪魔」
ソファーで寛ぎテレビを見ていたおれに懲りもせず父さんは話しかけてきた。それもわざわざテレビの前に立って。
「これはなんだ?」
バサッと何かが置かれる。それは、苛立ち等をぶちまけたノート。いわゆる日記のようなもの。毎日は書いてないけど。
物に当たると父さんはうるさいから、そこにつらつらと書いてしまっている。-自分の性癖も。
「っ!」
「不用心に置いておくもんじゃないだろう?」
「よん…だのかよ?」
「…質問がある」
ガっとソファーの前のテーブルを蹴った。
読まれた、おれがゲイだってことも書いているノートを。羞恥心と悔しさと苛立ちで羽交攻めになる。
「くそっ」
毒づいて父を睨みつける。父は怯む様子もなく続けた。
「この文章だと…お前は、」
「黙れよっ」
「ゲイだと、いうとこでいい…」
「黙れつってんだろっっ」
父を罵るのに慣れた口からは暴言がいくらでも出始める。
「だいたい、人のモン盗み見するとかサイテーだろっ。いくらおれが見つかりやすい所に置いてたからって!」
「譲」
「父親だからってやっていいことと悪いことってもんがあるだろうが!」
「ゆずる」
「つーか最近っ」
「譲!!!」
普段大声を出すことのない父が声を上げた。いつもと違う様子に、思わず罵倒が止まった。
顔を見ると苦しそうに顔を歪めている。
なんだよ、そんな父親みたいな顔して…。
「譲…すまなかった」
音もなく、父さんは頭を下げてきた。
それを声も出せず呆然と見ていた。
「本当にすまない。お前がこんなに悩んでるなんて知らなかった。…ただ、思春期だからとずっと思っていたんだ」
「…な、」
「15年間育ててきて、何でも分かってるつもりだったんだお前のこと。でも何も知らなかった」
頭を下げ続け謝る父さんに何も言えないでいると、父さんは頭を上げおれの顔をじっと見る。
「ごめんな、譲。不安だったよな、自分が他と違うってだけでも怖かったよな」
なんなんだよ、今更そんな事言ったってウザイだけなんだよ。黙れよ、関係ないじゃん。キモチワルイだろうが。
色んな言葉が浮かんで消える。なにも、言えない。
言葉の代わりに出たのは、意味もわからない生暖かい塩水。
「ゆずる…」
「は、これ…な…」
重苦しい雰囲気の中、手を動かしソレを拭う。
優しい言葉を掛けられ、涙が溢れる。理解してくれる人がいなかった。話せなかった、誰にも。気味悪がられるくらいなら、自分の気持ちに嘘をついてしまえばいいと思っていたんだ。
「譲」
父さんがじっと見ている。その間もずっと涙を拭い続けた。
そんなおれを、父さんは、抱きしめた。
「なにすっ」
「だいじょうぶだ、ゆずる」
更には小さい子をあやす様に体を揺らしつつ頭をポンポンと叩く。
「だいじょうぶだ」
「…」
「安心していい、父さんは別にキモチワルイもなにも思っていない」
「うそだ」
「信じなくてもいい、味方がいるってことだけ知っててくれれば。父さんは譲の味方だ」
その後おれは大声を上げて泣いた。父さんにしがみついて。
いつもウザイと、鬱陶しいと思ってた父はいなかった。優しい、たった1人の味方。そう思うだけで安心することができた。
それから、おれは父さんにこの、感情を持つようになった。
感情の名前は。
『好き』
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