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第3話

「お前さ…大学入った途端、手当たり次第に男と付き合うようになったじゃん……」 「手当たり次第って…さすがに失礼だろ。別に誰も彼も手ぇ付けて遊びまくってたってわけでもないのに」 「大差ないだろ。相手から言い寄られたら、好きでもないくせにすぐに付き合うんだから」 ギリと胸が痛んで、思わず顔を背ける。 言われる裕貴も辛いのか、俺に向けていたはずの視線をツイと逸らし、もうすっかり冷めてしまった紅茶で唇を湿らせた。 「最初は大して相手に興味無かったとしても、最初は名前すら知らなかったとしても、少なくとも俺を見つけてくれた人がいる…俺に興味を持ってくれた人がいるんだよ。最初はそれで十分じゃないか。どこに運命の人がいるかわからないんだ、相手が一歩歩み寄ってくれたなら、俺からも相手を知るために一歩歩み寄るしかない。お前らみたいに異性愛者とは違う。少ないチャンスを自分から掴みにいかないと、いつまで待ってても運命の相手になんて出会えないんだよ!」 「それで相手を知ってみたら、浮気性だわ金にだらしないわですぐに別れるんじゃないか! 少しはお前も勉強しろよ! そもそも、なんでそんなに『運命、運命』言い出したんだよ…高校までそんな事一言も言ってなかったじゃないか」 「そんなもん…そんなもん…俺にとって、誰よりも運命的だと思える相手が一番そばにいたからに決まってんだろ!」 ポロリと涙が頬を伝った瞬間、まるで癇癪でも起こしたように裕貴は傍らの漫画を次々俺に向かって投げつけ始めた。 力任せというわけではないから決して痛くはないのだけど、さすがに顔の周囲に飛んでくるのはまずい。 次の漫画を手にした裕貴を止めようと右手を掴んだ途端心の奥から何かがグッと溢れてきて、思わずそのまますっかり細くなった体を抱き締めた。 「俺じゃないのか? お前のそばにずっといたお前にとっての運命の相手は…俺だろ?」 「……うるさい…」 「今も一番そばにいる。これからだってずっとお前の隣にいる。前に立って盾にもなってやるし、後ろから支えてやる事だってできる。俺が運命の相手でいいじゃないか」 「うるさいよ! ゲイだからって俺を拒絶したのは…お前の方だろ!」 やっぱりか…やっぱりお前はあの時の俺の言葉を聞いていて…… もう勘違いなどさせてなるものかと俺は抱き締める腕に力を込めた。 ********** 俺達がバレー部を引退してからも、雑誌に取り上げられた影響か、ファンを名乗る女の子の追っかけは続いていた。 俺もそれなりに付きまとわれて困る機会は多かったが、桁外れに美しい裕貴への攻撃はそれの比ではなかったはずだ。 最初こそ学校の行き帰りを待ち伏せて写真を求める程度だった彼女たちの行動はどんどんエスカレートしていき、家に押しかけてきたりメールで自分の写真を送りつけてくるという事が延々と続いていた。 校内でもほぼ学校中の女子が常に裕貴と俺の行動を監視しているかのような毎日で、おそらく精神的に参ってしまったんだろう。 ある日裕貴は交際を申し込んできた女子を一堂に集め、その場で宣言してしまったのだ。 『俺はゲイです。なのでどんなに可愛くてもスタイルが良くても、欠片も心は動かないし興奮もしません。なのでみんなとは付き合えません』 外で待ち構えていた追っかけにも聞こえるようにと思っていたんだろう。 それは教室で裕貴が戻ってくるのを待っていた俺にも聞こえるほどの大声だった。 その高らかな宣言が功を奏したのか、裕貴の周りからは一気に人が減った。 女子生徒や追っかけは勿論…友人として楽しく付き合っていたはずの男子生徒も。 当然俺はそれまでと何も変わらなかった。 変わる必要も変わる理由も無かった。 裕貴が裕貴でいればいいし、寧ろ邪魔な女どもが消えてくれた事に清々しているくらいだった。 そんなある日だ。 あれは3学期最後の登校日だった。 既に推薦で志望校への入学を決めていた俺に対して、まだ裕貴はセンター試験に備えなければいけない。 進路相談をしてから帰るという裕貴を残し、俺は一人で先に家に帰ろうとしていた。 校門のそばで最初に声をかけてきたのは、確か元は裕貴の追っかけの一人の女だったと思う。 俺と同じくすでに進路の決まっている同級生数人と、頭のかなり弱そうな女たちは、そのまま遊びに繰り出そうと相談をしていたらしい。 それで、俺もそれに加わらないかと言ってきたのだ。 当然俺は断った。 先に家に戻り、おそらくは入試の事で頭がいっぱいだろう裕貴を笑顔で迎えてやりたかったし、裕貴の性的嗜好を知った途端汚い物でも見るかのような目を向ける連中と遊びにいって楽しめるほど心も広くない。 まったく聞こえないフリで通り過ぎようとしたものの、俺はすぐに彼らに囲まれた。 あれやこれや理由を付け誘いを断固として断ろうとする俺に、彼らはしつこかった。 そして…決して口には出すべきでない言葉を吐き出した。 『なんであのオカマ野郎とばっかつるんでんの?』 『まあ顔は綺麗でも、所詮は男だろ?』 『あんな気持ち悪いのといっつも一緒にいたら、お前まで女と遊べなくなるじゃん』 『せっかく今日は女の子いるんだから、一日楽しもうぜ』 『それともまさか、お前も男の方が好きだとか言わないよな?』 これがつい数ヵ月前までは友として毎日笑いあっていた人間の言葉だろうか。 好む対象が異性か同性かというだけで、それまで一切の悪意なんて向けて来なかった人間をこんなに悪し様に言えるものなんだろうか。 何も言わず、立ち止まったまま微動だにしなくなった俺に焦れたのか、元追っかけの女達が両側から俺の腕を取り、自慢らしい胸を押し付けてニヤニヤと嫌らしく笑う。 瞬間俺の心に広がったのは、彼らへの怒りであり、嫌悪感であり虚無感であり、そしてなぜか…裕貴への愛しさと庇護欲だった。 「俺は…男なんか好きじゃない」 吐息と共に出てきたのは、思いの外穏やかな声。 周囲からは『そりゃそうだよなぁ』『一緒にいるってだけでホモ扱いされたら、お前も迷惑だろ?』なんて聞こえた。 その言葉に、一旦落ち着けたはずの気持ちがガリガリとささくれていく。 それでもきつく拳を握りしめ、必死に奥歯を噛み締めて、爆発しそうな心を懸命に抑えた。 「言っとくけど、女も好きじゃない。男だの女だの関係なく、俺は裕貴が好きなだけだ。そして俺は、その俺の大切にしている唯一の人間を蔑んだお前らの事を絶対に許さない」 言い切ってしまうと、不思議と心の中がゆっくりと凪いでいった。 認めてしまえばこんなに簡単な話だったのかと思わず笑いが込み上げてくる。 気持ちの悪い脂肪の塊を押し付けたままで顔色を変えた女達を振りほどき、周囲をぐるりと無言で見下ろした。 心底俺を気持ちが悪いと思ったのか、それともよほどバツが悪かったのか、彼らは何やらコソコソと話しながら少しずつ距離を取っていく。 この時俺の視界の端に、校舎に向かって走っていく裕貴の背中が見えた。 聞かれてしまった、自分の心のうちを知られてしまった…逃げるように走り去るアイツの背中が、俺への裕貴なりの返事なのだろうと思った。 これは『フラれた』という事なんだろうと。 このまま二人で重ねてきた時間のすべてが崩れてしまうんじゃないかと怖くて仕方なかった。 けれどその後も、裕貴の俺への態度は特に変わらなかった。 それが悲しくもあり、けれど嬉しくもあった。 恋愛的な意味合い、性的な意味合いでは俺を求めないけれど、幼馴染みとしてはこれからも共に過ごしたいと考えてくれてる。 それならばそれで十分だ、俺だって関係を変える事なんて望んでるわけじゃない…そう思い込む事にした。 けれど、そう思う事が想像ほど容易くはないと気付いたのは、大学に入学してからだ。 まさかまた同じ学校に通えるなんて思わず浮かれていたのはほんの束の間。 学部が違えば当然毎日のスケジュールなど合わず、校内で顔を見かける機会すら殆ど無い。 それでも学校から戻りさえすれば会えると思っていたのに、裕貴はあまり家に戻って来なくなった。 勿論、本格的にモデルの仕事を始めたのも理由の一つではあっただろう。 けれど、帰らなくなった理由の最たる部分を、俺は同じ学部の同級生達から聞かされる事になる。 『大崎、お前って国際の大西と幼馴染みってマジ?」 それほど親しくはなかった彼からの突然の質問に、恐らく俺は訝しげな顔をしていたはずだ。 そんな俺の様子にも気付かず、彼は平然と問いを続けた。 「あいつさ、ゲイだってカミングアウトしてんだよな? 俺さ、一回男とヤッてみたいんだけど、顔繋ぎ頼めねぇ? いや、適当に声かけたら誰にでもホイホイ着いてく奴だってのは知ってんだけど、さすがにあんだけ綺麗な顔してるとまず声かけるの躊躇っちゃうんだよね。お前と友達って事で紹介してもらえたら、スムーズに話も進むだろ? あとはちゃんと俺が自分で誘うから、最初の取っ掛かりだけ頼むよ」 その日、どうやって家に帰ったのか、正直覚えていない。 『お前と友達になった覚えはない』と怒鳴り付けたような気がするが、何も言えずにただ奴を突き飛ばして学校を飛び出したような気もする。 ただ、俺よりも裕貴から大切にされている人間がいるという現実を突き付けられたようで、ひたすら涙が止まらなかった。 それからしばらくして、裕貴は一夜だけの遊びの関係は持っていないらしい事を知った。 本人なりに誠実に付き合おうとするものの、寄り付く男が悉くクズばかりで長続きしないだけなのだと。 そして、裏切られても泣かされても、新しい恋を必死に探そうとするのに理由がある事も。 家に帰らない日が増えた事をおばさんに咎められた裕貴は言ったらしい。 『海斗が俺よりも誰かを大切にして所を見たくないんだ…あいつ、女の子にすごいモテるからさ、彼女ができるのは時間の問題だと思う。でも今の俺は、そんな海斗におめでとうなんて言えないから。ゲイの俺とも今まで普通に付き合ってくれて、心から感謝してるんだ…だから、これからもちゃんと海斗と幼馴染みとして付き合っていく為にも、俺は海斗よりも大切な人を探さなくちゃいけない。海斗が俺のそばからいなくなるその時がきても、笑っていられるように……』 おばさんからその話を聞いた時のショックは今も忘れない。 裕貴はあの日…校門の前で同級生に絡まれていたあの日、やはり俺の言葉を聞いていたのだ。 けれど、一番大切な部分は聞いていなかった。 逃げるように去っていくあの背中は、俺の気持ちを拒絶したわけじゃなく、俺の言葉に傷ついていたのだ。 『男は好きじゃない』という言葉に。 すぐに『お前は勘違いしてる』と言うべきだったのかもしれない。 でも、裕貴の俺に対しての気持ちがわからず、俺はハッキリと弁明する事を躊躇してしまった。 幼馴染みから拒絶されたと思っているだけならば、敢えてそれを口にすれば今度は自分の方が拒絶されるかもしれないと思ったのだ。 俺は過去の発言を訂正するのではなく、常に裕貴に寄り添い支え、今の俺の正直な気持ちに気付いてもらう事に賭けた。 まあ結局はこの賭けに、俺は負け続けたわけだが。 くだらない男に振り回され、ボロボロに傷付いた裕貴が、『幼馴染み』である俺に泣き付く毎日には終わりが近付いていた。 俺も裕貴も、春が来る前には新しい生活の為に家を出る。 もう悠長に思いに気付いてもらうのを待っているわけにはいかなかった。 ********** 「俺は…男は好きじゃないよ」 腕の中の体がピクリと震え、そこから逃れようともがく力が強くなる。 けれどそれに負ける事なく、俺は更に腕に力を込めた。 「あの日、お前が聞いたのはここまでだな?」 その問いに答えは無い。 ただ、がっくりと項垂れるようにその体からは一気に力が抜けた。 「あの時、俺の言葉には続きがあったんだ…俺は女も好きじゃない。俺が好きなのは、裕貴だけだ…ハッキリそう言った」 裕貴が慌てて顔を上げようとしたが、今はちょっと俺の顔を見られたくない。 誤魔化すようにギュッと頭ごと抱え込み、一度だけスーッと息を吸った。 「あの日、お前が逃げるみたいに校舎に戻って行くのが見えた。俺はさ、お前が俺の気持ちを聞いて、幼馴染みとしか思えないのにって拒絶したと思ってたんだ。けど、せめて幼馴染みのままでいてくれるんなら、それで十分だって考えようとしてた」 「お、俺は! 俺は…お前が『男は好きじゃない』ってキッパリ言い切った瞬間、なんか目の前が真っ暗になって…ほんとはゲイの俺を鬱陶しいと思ってるんじゃないかって…。でも俺、お前に鬱陶しいと思われても、お前と離れたくなかった。どうしてもまだ一緒にいたかった。だから何も聞いてなかったフリさえしてれば、これからもお前はイヤイヤでも幼馴染みのままでいてくれるんじゃないかって…思って…」 「ごめんな…お前に勘違いさせたままで」 腕の力を緩め、裕貴の頬を両手で包む。 きっと真っ赤になってるだろうけど、今度はちゃんと俺の顔を見ていて欲しくてしっかりと目を合わせた。 「俺はお前が好きだ。生まれた時からずっと…これからもずっと…死ぬまでずっと好きだ。こういうのがほんとの運命じゃないのか? お前もそう思ってたから、違う運命を探そうとしてたんだろ? でも見つからなかった…だって最初から、お前の運命はお前の手の中にあったんだから。俺とこれからも一緒にいてくれ。ずっと一緒に生きて行こう…な?」 静かに流れる涙を親指で拭ってやりながら、俺はそっと顔を近付けていく。 拒まれない事を祈りながら、フワリとその唇に俺の唇を重ねた。 ヤバい…心臓が破裂しそうだ…… 慌てて顔を離すと、裕貴が不思議そうに首を捻る。 更にキスをねだるようにその顔が近付いてくるのを、俺は後ずさりで辛うじて避けた。 「ちょっ、自分からキスしてきといて、何で今更逃げんだよ!」 「ごっ、ごめんっ…あの…ファーストキスの余韻に…浸りたかったっていうか…心臓がバクバクして苦しかったっていうか…」 「ファースト…キス?」 「当たり前だろうが。俺はお前しか好きじゃないんだから、そんな事する機会も無かったんだ」 「じゃ、じゃあ…まさかの童貞?」 さっきまでちょっと感動的ないい雰囲気だったのに、なんでこうなった!? 気付けば俺は目をキラキラさせた裕貴に詰め寄られ、半分体に乗り上がられ、さっきとは逆に顔をしっかりと両手で固定されてしまった。 「キスもした事無いんだから、んなの当たり前だろ! なんだよ…ど、童貞だと…付き合う気にもならないのかよ…」 「んなわけないじゃーん!」 途端にブチューッと音がしそうな勢いでキスされた。 なんならベロまで捩じ込まれそうになって、それだけは必死に口を閉じて拒む。 「だーかーらー、なんで嫌がるんだよ」 「お前はなんでそんな急にやる気になってんだよ!」 「ん? だってさ…バリバリにモテる男が、俺の事が好きだからってチンコも唇も22年間守ってきたんだろ? なんかもう、最高に幸せだし最高に興奮すんだけど。お前なんて、とっくに合コン行きまくりのパコりまくりだと思ってたもん」 「悪かったな…クソ真面目で…」 「だから最高に幸せなんじゃん。海斗は海斗だなぁって…いくつになっても、不器用でクソ真面目。そんな海斗が…大好きだよ」 「バカに…してない?」 「してないってばぁ。それどころか、これから真っ白な海斗を俺好みの色に染められるかと思ったらさぁ…今すぐ鼻血吹きそう」 「裕貴好み…?」 「そう。キスもセックスも、甘くて激しいのが俺の好みね、覚えといて。運命の男なんだもん、そっちの相性だっていいはずだろ?」 ニッと笑いながら、再び裕貴の顔が近付いてくる。 一旦それを止めて、マジマジとその目を見つめる。 「あのさ…んじゃそのお前好みになれるように頑張るから、ちゃんと教えてくれる?」 「勿論」 「すぐには上手くいかないかもしんないけど、絶対に満足させるようにちゃんと覚えるから…上手くなるまで少しは待ってくれる?」 「そうだな…22年間待ったんだし、あと22年くらいなら待ってやってもいいよ」 さすがに22年は待たせたくないななんて思いつつ、裕貴の腰をグッと引き寄せ唇を合わせた。 今度は自ら唇を開き、熱い舌を招き入れる。 生まれて初めての粘膜の感触と粘るような水音に頭の中は一気に沸騰し、俺はいつの間にか無我夢中で裕貴をその場に横たえていた。

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