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第2話

「はぁぁぁぁ…オメガバ、いいわぁ。俺もアルファに種付けされた~い。ヒート起こして獣になってるアルファに首筋噛まれて孕まされた~い」 どうやらさっきとは読んでいる漫画が変わったらしい。 またしても謎の呪文を唱えている裕貴の前に紅茶とケーキを置き、傍らにドンッと積み上げられた漫画を一冊手に取ってみた。 なるほど、素晴らしく綺麗な顔の男が、素晴らしく愛らしい少年を押し倒している…おそらく、会社のデスクの上に。 『一目見た瞬間にわかったよ…お前こそ俺の魂の番なんだとね』 『やめてください、社長! 僕は…僕はあなたと番になるつもりなんてない!』 『お前の体は俺を拒んではいないようだがな。ほら…こんなに濡れて俺を求めている』 『違う…違う…僕はこんなの…嫌なのに…どうして……』 うん、強姦未遂だな。 今時『嫌よ嫌よも好きのうち』で逃げられると思ってんのか? しかしこの少年の顔は客観的に見れば完全な拒絶とは取り難い表情だし、敢えて二人きりになれる場所に自ら赴いてしまっている点からしても、刑事での告訴となると難しそうだ。 この場合、きわめて不本意ではあるが、被害者の心の傷を最小限に抑える事も考慮して、民事をちらつかせながら示談交渉をするのが最善…という事になるんだろう。 「あ、どれ読んだ? 『俺様と僕の内緒の関係』じゃん! 良かったろ? キュンキュンしたろ?」 「どの辺りを良かったと思うのかはわかんねぇけど、とりあえずお前が陵辱物にときめくという意外な嗜好を持ってるってのはわかった」 「はぁ!? どこが陵辱だよ! それはオメガバの中でも超溺愛で超ラブラブエロエロなんだぞ! お前の目は節穴か!」 俺は何か地雷を踏んだらしい。 手掴みでケーキをガツガツと口に押し込みながら、結構な勢いで捲し立ててくる。 おそらく無意識なんだろうが、こいつのこんな雰囲気が中身ペラペラのろくでもない男を次々に引き寄せてしまうんだろう。 極めてノーブルな容姿をしていながら、言葉遣いや行動は驚くほど男っぽくがさつだ。 しかし鼻の頭や唇の端に生クリームを付けて無防備に笑っている姿はどこか子供っぽくて危うく、更に艶かしさまで漂う。 現にほら…俺だってこうしてそれに惑わされて…… 「ガキか、お前は」 わざとらしく苦笑いを見せながら、伸ばした指で鼻の頭に付いた生クリームを拭いそれを口に含めば、それまでの威勢の良い悪態はどこへやら。 裕貴は顔を真っ赤にして口をパクパクさせる。 一瞬だけ泣くんじゃないかって思えるほどクシャッと顔を歪め、気づかれていないつもりなのか何度か深呼吸をすると、いつもと変わらない綺麗な笑顔を作って見せた。 あー、クソッ…可愛い…… 「そもそも情緒ってやつに疎い海斗に、この尊さがわかるわけないよな~」 「まあ、情緒云々は置いといてだなぁ…オメガバってなんなんだよ、結局。最終魔法とかそんなんか?」 「はぁ!? そこから?」 いやいや、お前にとっては常識でも、俺にとってはハジメマシテの言葉だからな? ボーイズラブの用語を俺が即座に理解できるわけがないだろうよ。 「しゃあないなぁ。理解できたら海斗でも絶対キュンキュンするはずだから、俺が今から説明してやる」 「はいはい、あざーす」 俺が少しでも自分の好きな物に興味を見せたのが嬉しいのか、それとも久々に二人でこうしてのんびりくだらない話で盛り上がっているのが楽しいのか、裕貴はいそいそとお茶のカップやケーキのお皿をトレーに戻しだす。 テーブルを片付けたいらしいと判断し俺もそれを手伝い綺麗にそこを拭いてやると、裕貴はわざわざレポート用紙をそこに広げた。 「俺が言ってるオメガバってのは、『オメガバース』って世界観の話なんだけど…」 そう言うとそのレポート用紙にアルファ・ベータ・オメガと大きく書き、そこにそれぞれ男・女と続けて書き込む。 「オメガバースの世界ではな、男女に加えてアルファからオメガまで、6つの性別に分かれるんだ。で、女性だけじゃなく、オメガ性を持ってる男性も妊娠、出産ができる。まったくのフィクションの世界だから細かい設定は作者さんによって違ったりもするんだけど、これは共通のルールな」 そこから更に詳細なオメガバース講座が始まった。 アルファ性の人間は人口のごくわずかで、優れた容姿と頭脳、更には突出したカリスマ性を持っている事が多く、国や経済の中心を担っているらしい。 人口の大多数はベータといい、いわゆる『ごく普通』の人間なんだそうだ。 そしてオメガ。 男女問わず妊娠が可能で、定期的に訪れる『発情期』の為に社会的、性的に弱者として描かれている事が多いらしい。 なるほど…思いの外奥深い世界だ。 ちなみに俺が陵辱、レイプ紛いと思った『俺様と僕の内緒の関係』という漫画は、聞けば確かに溺愛物だと納得できた。 誰よりも美しく有能で、そして冷淡だと言われている俺様社長の元に、一人の新入社員が秘書として配属される。 一目でその僕こと主人公に惹かれ、そして彼こそが『魂の番』だと確信する社長だが、オメガ性を受け入れられない主人公は頑なに社長を拒み続ける。 しかし、初めて人を愛する気持ちや己の力だけでは思うようにならない事態に向き合う事で更に人間としての深みを増し、そしてそんな社長に惹かれた事によって初めて主人公は自らの性別に向き合う勇気を持つ…って話だった。 まだこの独特の世界観を理解しきれたとは思わないが、マイノリティや弱者に対しての世間の描写がかなり辛かったぶん、二人が結ばれた時にはかなりキューンときてしまった。 『幸せになれて良かったね~、諦めなくて良かったね~』なんて心の中で拍手してみたり。 あと、絵がものすごく綺麗なのに『発情期中のセックス』の描写がやけに汁だくで生々しくて、ちょっとだけ下着の中がやばかったかもしれない。 ……身長はずいぶん違うだろうが、この主人公、裕貴と似てるし。 「あ、この社長ってなんで首噛んでたの? そういやお前もさっき首噛まれた~いとか言ってたろ?」 「あー、ヒートの最中にアルファがオメガのうなじを噛む事で、『番』って関係が成立するんだよ。ある意味、書類の上での結婚なんかよりも深い絆って事になるんじゃないかな…首の噛み痕こそオメガがアルファから大切に思われてるって象徴みたいなもん。まあ、アルファの強い執着心の表れでもあるけどね」 「ふーん…絆の象徴で、執着心の表れか…なるほどね……」 テーブルに肘をつき、そこに顎を乗せて『はぁ…』とため息をつく裕貴。 どこか夢でも見てるようにぼんやりと視線をさ迷わせるその顔は、もの悲しそうにもときめきを抑えているようにも見える。 俺は腰を上げないままでニジニジと近付いていくと、裕貴の首に手をかけそっと引き寄せた。 「俺にお前のうなじ、噛ませろよ。まあ、アルファとやらじゃなくて悪いんだけど」 耳元に囁きかければ、火でも噴きそうなほど真っ赤になった裕貴が弾かれるように俺から距離を取った。 真っ直ぐに見つめてくる潤んだ瞳には、明らかな非難の色が浮かんでいる。 「な、なんの…つもりだよ」 「番になったら、他のくだらない男寄せ付けなくなるんだろ? それに絆と執着の印を欲しがってるのはお前自身だ」 「くだらないって何だよ! お前は俺がゲイだからってからかってんのか!」 「からかってるわけねぇだろ…本気だっつうの」 もう一度手を伸ばしたものの、裕貴は更に一歩後ずさる。 触れる事は諦めて、俺はただじっと自分の手を見つめた。

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