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エピローグ
駅のホームは、人が疎らだった。いつもの時間より2時間早い。
相葉耕平(あいばこうへい)は、眠い目をこすりながらホームのベンチに座った。
こんな早朝に登校しているのは、幼馴染みの井上玲央(いのうえれお)と顔をあわせたくなかったからだ。
玲央の家は近所で、幼稚園から高校の現在まで、ほぼ毎日一緒に登校していた。
玲央とはよくケンカをするが、すぐに仲直りする為、こんなにも長い期間、行動を別にするのは初めてだった。
――いつまでもこうやって逃げるわけにいかない……
玲央とケンカをしたわけではなかった。玲央と顔をあわせたくない、ただそれだけの理由だった。
玲央が付き合うことになったと報告してきたのは、先月のことだった。
人の顔の美醜に疎い耕平は意識したことはなかったが、玲央は人形のように可愛いと評判で、かなりモテていたものの、今まで浮いた話は全くなかった。
「いよいよ、お前にも彼女か。おめでとう。アドバイス料は、昼飯1回な」
「高っ! コーヘイのアドバイスってロクでもなさそうだし、遠慮しとく」
「へぇ、別にいいけど。で、誰? 俺の知ってる女?」
「あ、えーと、知ってるのは知ってるけど……女じゃなくて……男」
「え……」
「生徒会長」
「ええっ! お前、男が好きだったの??」
「多分、違うと思うんだけど……よくわからない。会長はすごく尊敬できるいい人だし……男っていうだけで門前払いするのはやめてほしいって……付き合ってみないと、男と付き合えるかわからないだろって」
「それ、なんか違うだろ」
「コーヘイだって、好きじゃないけど告白されたからって付き合ったことあったよね? それと一緒じゃん」
「それはそうだけど」
「とりあえず、付き合って、どうしても恋愛感情が持てないなら別れてくれるって……」
「それでいいのか?」
「うん、返事しちゃったし」
本人が納得しているのなら、単なる幼馴染みの自分が何も言う事はなかった。
耕平はイライラする気持ちを無理やり心の奥底に封じ込めた。
次の日から、玲央の恋人は改札で待つようになった。耕平の姿を見つけると、迷惑そうに眉根を寄せる。
長年の習慣をこの男のために変えるのも癪で、玲央から何も言われていないのをいいことにそのまま一緒に登校し続けた。
そして、とうとう苛立った恋人に、自分たちの邪魔をしないように言い渡されたのだ。
――別に、あいつに言われたからじゃない。
玲央は女の子の様な可愛らしい見かけと違って、男っぽくて、強情で気が強い。でも、そうかと言えば、すごく繊細なところもある。
そういった長所も短所もすべてひっくるめて一番理解しているのは自分だと思っていた。玲央も同じように自分のことを一番理解してくれている。
見えざるもので苦しんでいた時も、自分にだけには全てを打ち明けて助けを求めてきた。
玲央にとって自分は特別な存在だと信じて疑わなかった。
――これからは、あいつが玲央の特別な存在に……
自分の知らない玲央。
恋人しか知らない玲央。
それは、当たり前のことだ。玲央の全てを知っているなんて、思い上がりも甚だしい。
理性ではわかっているのに、気持ちでは納得できなかった。
その晩、恋人の腕の中で嬌声をあげる玲央が夢にでてきた。
今まで見たことのない艶めかしい表情を浮かべ、女の子のように抱かれている。
それを窓の向こうで泣きながら、ただ、見ている、そんな夢だった。
目覚めてもなお、胸がかきむしられる思いが残り、目に涙が溜まっていた。
その朝、いつもより2時間早く家を出た。
◇ ◆ ◇
「コーヘイ」
振り返らなくてもわかった。玲央の声だった。聞こえないふりをして、電車に乗り込む。
「コーヘイ、待って」
腕を掴まれて、仕方なしに振り返ると、眉間に皺を寄せて怒りをあらわにした玲央がいた。
「逃げるなっ!」
「逃げてないっ!」
「逃げてるだろっ! 言いたいことがあるなら、はっきり言えよっ!」
「言いたいことがあったら、はっきり言ってるよ! わからないからこうやって、一人で考えてるんだろっ!」
「じゃあ、俺から言う。先輩にやっぱり付き合えないって断った。ちゃんと別れた」
「えっ? なんで?」
「コーヘイが俺の特別だから」
「………………」
「だから、先輩と別れた」
「……それ、全然脈絡がないけど」
「………そうかな? 自分の中では繋がってるんだけど」
「つまり、先輩には恋愛感情を持てないから別れたということ?」
玲央は耕平の腕を下に引っ張り、目の高さをあわせると、ひどく神妙な顔つきで言った。
「俺、コーヘイの特別になりたい」
耕平は、そのまじめ腐った顔つきに思わず吹き出してしまい、「もう、とっくの昔から特別だよ」と、言葉を続けることが出来なかった。
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