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ケース7 高3男子(初体験)
――よし、誰もいない。チャンスだ。
僕は素早く見渡し、周りに誰もいないのを確認すると、井上の細い手首を掴んでラブホの中に入った。
「うわっ、えっ? ええっっ!」
井上は真っ赤になって焦って動揺している。
僕は、素知らぬふりをして、南国風の部屋を勝手に選ぶとエレベーターに乗り込んだ。
こういう事は、勢いが大事だ。考える余地を与えてはならない。
緊張で汗が噴き出て、掴む手がぬるむ。
――ネットで調べていたのと違う……
勝手がわからず、どぎまぎと焦る。
生まれて初めてのラブホ。年下の恋人に動揺を悟られず、余裕に見えるようにと、ただそれだけに意識を集中させる。
手順通り、部屋に入ると同時に、井上の柔らかい唇に自分の唇を押し付けた。
「あっ…」
勢いがつき過ぎたのか、カチリと歯があたる。
――うわっ、かっこ悪い……。最悪。
動揺して思わず唇を離してしまう。
――しまった、舌を差し込んで、ディープなものを試してみようと思っていたのに……。
予定が狂い、頭が真っ白になる。
目を開けると、井上の不安げな視線とかち合った。
「井上、君と1つに繋がりたい。付き合ってるし、いいよね?」
「先輩、あの……俺、男同士でやるの初めてで……その、やり方、よくわからないし……そもそも自分がゲイかどうかもよくわからなくて……」
井上は、目のふちを赤くしながら、伏し目がちに答える。
アーモンド形の目を縁取る長い睫が影を落とす。「睫毛、長いな」と思った途端、愛しさに胸がキュンと締め付けられる。
「もし、男が生理的にどうしてもダメっていうなら、途中で諦めるよ。まずは、試してみないとわからないでしょ? それから考えよう。シャワーを先に浴びて?」
井上がシャワーを浴びている間に、自動販売機で潤滑剤を購入し、ゴムもすぐに取り出せるようにヘッドボードに置いておく。
大人のおもちゃは、迷ったすえに今回は見送ることにした。
あれやこれやと引き出しを開けて、中身を確認していると井上がバスローブを身にまとって出てきた。
「こっちにおいで」
手招きをして、ベッドに呼び寄せる。
井上は真っ赤になりながら、おずおずとベッドの端に座った。体から良い匂いが漂い、ゴクリと自分の喉が鳴る。
湧き上がる衝動に任せて、口付けをしながら、ゆっくりと押し倒す。バスローブの前がはだけて、陶器の様な滑らかな白い肌に、ピンク色の乳首が2つ並んでいる。井上っぽくて、すごく可愛らしい。
――えっと、次はどうするんだっけ? 潤滑剤で指が3本入るまで穴をほぐして……
胸のピンクを舌で舐りながら、潤滑剤を手に取り、奥の窄まりに触れる。
「あっ……」
井上の体がピクッと身もだえる。その反応に、自分の体もビクッと震える。
尻の穴に指を入れるなんて……しかも他人のものになんて、生理的嫌悪で無理かもしれないと恐れていたけど、実物をみると違った。
嫌悪どころか、愛おしさが溢れ、中を暴きたいという欲求がふつふつと湧き上がる。
井上はこんなところまで可愛い。
適量が分らなかったので、多めに潤滑剤を塗り付け、恐る恐る中指を差し入れてみた。
――うわっ、あ、熱い……すごい弾力、押し出される……えっと、確か、しこりを探して……
グリグリと指を必死に動かして探るが、性感帯といわれているクルミ大の前立腺は見つからない。
焦りが足元からせり上がり、探る手に力がこもる。
「……せ、先輩……いっ痛い……」
探るのに夢中で、井上のことを忘れていた。
目に涙がたまり、痛みに歪む表情。慌てて指を引き抜くと、井上を抱き起した。
「ご、ごめんっ! 大丈夫?」
井上の体は、ガクガクと震えていた。もう少し頑張ると言ってくれたが、これ以上、無理をさせたくなくて結局、何もせずに帰った。
ちゃんと出来なかった自分に対する不甲斐なさと情けなさ、そして気まずさで、一言も話さずに僕たちは駅で別れた。
家に帰るのを見計らったように携帯が鳴った。井上かと思ったら、親友の河村だった。
『どうだった?』
「何が?」
『そのようすだと、ダメだったな。拒まれた? あいつ、ノンケだろ? そもそも付き合えたのが奇跡だったんだよ』
「ち、違うっ! ホテルまでいったけど、うまく出来なかっただけ……お前こそ彼女とどうなんだよ?」
『それより、落ち込むなよ。男もイケるってことで、お前の後釜狙ってるヤツ多いんだから、しっかりフォローしておけよ』
「ありがとう。頑張るよ」
井上との出会いは、4月の入学式だった。
生徒会長として新入生への挨拶をしようと檀上にあがったときに、自分を見つめる井上に一目惚れしてしまったのだ。
それからは、必死だった。何度もアタックを繰り返し、「先輩のことは好きだけど、恋愛感情が持てるかわからない」というのを強引に説き伏せ、先月から付き合うことになったのだ。
明日、ちゃんと謝ろうと決めて眠りについた。
通勤ラッシュの改札で待っていると、人波の向うに井上の姿が見えた。
その隣の人影に、胸がチクリと痛む。こいつは、自分が邪魔者という認識がないのか毎朝ついてくる。
井上は、僕の姿に気付くと小走りに近づいてきた。
「先輩、おはようございます……あの」
俯いて言葉を詰まらせ、一瞬の逡巡の後、上目づかいに見上げてきた。
その表情にぐっときて、体の中心に血が集まってくる。
最近、自分がおかしい。卑猥な妄想をしているわけではないのに、井上の姿を見るだけで勃起してしまうのだ。
「昨日はすみませんでした」
「こっちこそ、ごめん。痛くしちゃったし、そのあとの態度も悪かったしで自己嫌悪してた……本当にごめん」
「先輩のせいじゃないです。……次は、もっと頑張れると思います」
少し照れくさそうに、はにかんだ。その表情にますます、体の中心がそそり立つ気配がする。
慌ててカバンで前を隠す。
「そこ、邪魔」
憮然とした声に体の熱が一気に萎える。井上の幼馴染みだ。
「お前、日直だろ? しかも1時間目体育だし」
「あっ、ヤバいっ! 急がなきゃっ! 先輩、すみません。先に行きます」
井上は慌てて走り去った。後に、気まずい2人が残される。
折角の機会だから、溜まっていた不平不満をぶつけることにする。
「前から言おうと思っていたんだけど、お前さ、態度悪いよ。井上と僕、付き合ってるんだから、もうちょっと気を遣えよ。毎朝、邪魔だってわかってる?」
「男の恋人が出来たから、今までの友達を切れって……あんた何様? 相当、ウザい」
「なっ! 単なる友達なら、僕だって何も言わない……お前、井上の事好きなんだろ? それで妬いてるんだ」
「はっ? あいつとは単なる腐れ縁の幼馴染みだよ。それ以上でも以下でもない。ゲイでもない幼馴染みが、突然、男と付き合うって言ってきたら心配するのは当たり前だろ? 恋愛感情がないのに、強引に言い寄られて断れなかっただけって丸わかりなのに」
「なんで、恋愛感情がないって言いきれるんだよっ!」
「ガキの頃からの付き合いだから、あいつの考えてることなんて全部わかるんだよ」
「へー、大した自信だな。僕は、お前の知らない井上を知ってる。あいつがどんな顔でいくかとか、あいつの中がどんな感じかなんて知らないだろっ?」
「……えっ、あいつとセックスしたの?」
正確には未遂だが、そんなことはこいつに言う必要はない。
「付き合ってるんだから、当たり前だろ? お前、井上の前から消えろよ。これ以上、僕たちの邪魔をするな」
急に顔色が変わったのがわかった。
いつもの憎たらしい唇の端を少し上げた皮肉めいた表情はすっかり消え去り、子どもが必死に泣くのを堪えているような無防備な顔で走り去った。
憎々しげに反撃してくると思って構えていたので、肩透かしだ。
あいつのいう事は正しい。
井上が自分に対して、まだ恋愛感情を持てないのも、強引に言い寄られて断ることができなかっただけというのもわかっている。
それでも構わなかった。どんな理由でもいい。井上と付き合いたかった。
そうすれば、そのうち、情がわいて本当の恋人になれるかもしれない。
次の日から、あいつは姿を見せなくなった。
「先輩、えっと、あの……あいつに何か言いました? ずっと避けられてて。あいつとよくケンカするけど、こんなふうに理由も言わずに避けられて、しかも着信拒否もされるなんて初めてで……」
あの朝の出来事が原因だったのは明白だった。嫉妬や怒り、焦り……とにかく、なんだかよくわからない、とてつもなく黒い感情を、あいつにぶつけてしまった。
望み通りに目の前から消えてくれた。喜ぶところなのに気が重い。何故だろう。
「さあ? 特に心当たりないな。わかんない」
「変なことを言ってすみません。こんな意味がわかんないの嫌だし、なんとかして直接、あいつと話し合います」
「それはそうと、この間の続きしない?」
「すみません。これから、あいつの家に押しかけようかと思います。早く、解決したいので」
「……そんなにあいつがいいの?」
思わず、本音がこぼれる。情けない、最低だ。そう思っているのに、言葉が止まらない。
「恋人の僕なんかより、あいつの方が大切なの?」
やめろ、これ以上、墓穴を掘りたくない。
「井上って、あいつのこと好きなんじゃないの?」
決定的なことを言ってしまった。これだけは、言わないつもりだったのに……。
「あいつ……コーヘイのことは好きです。いつも助けてもらってるし、感謝してる。あいつのためなら、何でもしてやりたいって思ってる。俺にとって大切な人です」
井上は、真っ直ぐに僕の目を見た。その一途さに堪らず、逸らしてしまう。
悔しいが、負けだ。あいつ、相葉耕平(あいばこうへい)に負けてしまった。
いや、最初からわかってた。ずっと井上のことだけを見ていたから、井上が誰をみているかなんてわかっていた。
「正直、恋愛感情かどうかわからない。でも、コーヘイは特別なんです。すみません。やっぱり、先輩とはもう、付き合えません」
僕は「それでもいい、付き合ってくれ」という言葉を必死で飲み込む。これ以上は不毛だ。
トボトボと重い足取りで帰宅すると、ベッドに倒れ込んだ。携帯が鳴る。
『おまえ、井上玲央(いのうえれお)に振られたんだって?』
「早耳だな。なんで知ってるんだよ」
『生徒会長と学校のアイドルの異色カップルは、何かと注目されてるんだよ。レオファンクラブのやつらが喜んでいたぞ』
「なんだ、そりゃ」
『……あのさ、俺にしろよ。俺と付き合わないか?』
「………………」
『ずっと、お前のことが好きだった』
「ごめん。河村の事、そういう風にはみれない。お前とは今まで通り、親友のままでいたい」
『ばっ、ばーか、本気にするなよ。冗談に決まってるだろ』
「……ありがとう」
なんか、頭がごちゃごちゃで考えることが出来なかった。
どうしたらいいのか、どうしたいのか、全く分からない。
僕は、自転車にまたがると隣町の叔父さんの家に向かった。
叔父さんは、ゲイで、この恋の始まりから、ずっと相談に乗ってもらっていた。
「もう、死にたい……」
今日1日で、恋人も、親友も失った。
これみよがしに井上を避けて気を引く相葉にも、真っ直ぐで融通が利かない井上にも、こんなボロボロのときに告白してくる河村にも腹が立つ。
いや、本当は相葉も井上も河村も、悪くないってわかってる。
これは、八つ当たりだ。そんな自分に一番、腹が立つ。
「なんで、うまくいかないんだろう……僕は井上じゃないと、どうしてもダメで、井上は相葉じゃないとダメで……河村のことを好きになれたらいいのに……」
今すぐ、井上のことを諦めて、河村を好きになりたい。
でも、どう考えてもそんなことは無理だ。
井上のことを好きな気持ちは、消えて無くなりそうにはない。
苦しい。苦しくてどうにかなりそうだ。
「あー、いいな。羨ましいな。それが、お前たちの特権だよ。妥協したり、自分を誤魔化したりっていうのは、もっと大人になってからでいい。そういうのが許されるのは、今だけなんだから、自分に正直に、真っ直ぐに行動しろよ」
叔父さんは眩しそうに僕を見ると、頭をガシガシと乱暴になでた。
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