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[木綿]初心者

 大丈夫、ダイジョウブ。俺は自分に言い聞かせた。手順はきちんと理解した。脳内シミュレーションは完璧。  無理矢理連れ込んだわけでは無い。この密室に衣笠は自ら入り、自分でドアを閉めたのだ。ということは、運命共同体の覚悟はあるということだ。だから大丈夫、ダイジョウブ。  口角を無理やり引き上げる。俺がいっぱいいっぱいでガチガチになっていることを悟られてはならない。この手の心理は簡単に伝播するからな。  隣に座るだけでもこんなに緊張する。動作の1つ1つがぎこちないのは自分でもわかってる。知識はそれなりに得たけれど、自分で切り回すのは初めてなんだから許して欲しい。それにしても落ち着かない。違和感は座る位置のせいもあるかも知れない。俺はちょっと腰を浮かせて前屈みになった。 「うわ! 」 「ご、ごめん」  座面の揺れが予想外だったらしく、衣笠は思わず声を上げた。  こんな調子で進めていけるのか、ますます不安が募る。  動揺を笑って誤魔化そうとするが、いつもの衣笠の笑顔と違って表情が固い。そりゃあそうだよ、俺がお前の立場でも、やっぱりハラハラ、ドキドキするに決まってる。どうなっても衣笠のせいではない。俺の責任だ。 「う、動くよ」 「うん、……うあっ」 「え、ダメ? やめとく??」  衣笠は強張らせた身体を緩めるように息を吸い込み、大きく吐き出しながら肩を回す。 「ん。いいよ」 「じゃあ、ちょっと動くよ?」 「あああ、ちょっと待って」  いざ動こうとすると、待ったがかかる。緊張していつもの調子でいられないのは俺だけじゃない。衣笠はそばにあったクッションを握ると、引き寄せて胸元に抱きしめた。 「う、動くよ?」  手が汗ばんで、思うように動かない。目線を外し、返事をやめた衣笠の横顔を見て、こいつはもう制止しないと腹に決めたのだと分かった。  出会った春、初めて見た衣笠は、今よりもっと小柄で、手荷物を軽くしようとありったけの衣類を重ね着して、こんな風に顔を真っ赤にさせて汗だくになっていたっけ。  密室にふたり、30分が経とうとしている。いつまでもこうしているわけにもいかない。膠着状態を脱却しなくては前になんて進めないのだ。  出来ることなら衣笠に負担をかけたくない。怪我させることのないよう細心の注意を払いたい。でも、初心者丸出しで、気配りなんかそっちのけのなりそうだ。  衣笠が俺の方を見てニヤリと笑った。 「俺が自分の意思でここにいるってお前も知ってるだろう?  初めから上手くやろうなんて考えるんじゃねえよ、綿貫の分際でさ!」 「衣笠……。おまえ、ホントにここぞという時オトコマエだな」 「大丈夫だって。ホントにヤバそうな時はちゃんと止めるから」 「じゃあ遠慮なく。今度こそ本当に動いていい?」  俺はギアをドライブに入れ、ブレーキを緩めた。  やっと進み出した俺と衣笠。 「ゆっくりでいいよ、そのうちオレも慣れるから」  これまでもゆっくりじっくり進めてきた俺たちだ。ノロノロで構わない。ずっと同じ体勢で固まっていた衣笠の足元が、少し緩んだ気がした。 。。。。。。 「で、まだ駐車場から動かねえの?」と高野。 「夕方マデニ車ヲ返ス約束ナンダケトネ」と、スーラジ君。  一向に走り出さない俺たちがようやくノロノロと進み出したのを、駐車場の外から二人が見つめていた。  運転免許証を取得した俺のために、衣笠たちのバイト先の軽自動車を借りてもらったのだ。  観光ホテルのロゴが入った、ほどほどに年季の入った軽自動車。いつもスーラジ君が、山の上の学内寮に夕食を運んでくれるあの車を、初めて俺が動かしている。 「運転までもたもたしていやがる。さっさと路上に出て、とっとと慣れたら良いのに」 「マア、ブツケラレテモ困ルカラネ。今日ハ駐車場ノ中ダケデ終ワッチャッテモ、木綿サンラシクテ良イカモネ」 「速度を上げる開放感……には程遠いな、タヌキは」  まったく、あいつらは焦れったいなぁ、と二人がため息を吐いていることは、緊張で視界が狭くなった俺には全く目に入らなかった。 < 初心者 おしまい >

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