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[きぬ] パンダでいいです-1-

 長い夏休みが終わり、大学は前期試験が終わると、秋の行楽シーズンに突入する。  机の上の授業より生きた授業、つまりは温泉街でのアルバイトに時間が割けるように大学側が支援してくれるのだ。こんな融通はこの大学(国際観光学部)ならではの対応だろう。  僕と高野は、夏休みに始めたホテルの喫茶室でのアルバイトを継続中で、連日顔を合わせている。  ……おかしいなあ、週三日のアルバイトの筈だったんだけどなあ。 「衣笠、さっき事務所に呼ばれてたの、何の話だったの?」 「ああ。連休が続くから、いちいち山の上まで帰らなくていいように従業員宿舎の部屋を使っていいって。高野の寝床もあるみたいだけど、まだ言われてない?」 「それ、俺はパスするわ。帰らないと、ほら……」 「ああ。ケンちゃん、ね」  なるほどね。帰らないとね。  僕はわざとらしくニヤニヤ笑ってみせる。高野の公認の恋人、ケンちゃんのヤキモチ焼きは、寮内では有名な話だ。バイト先とはいえ外泊するなんていったら、何が起こるんだろうねぇ?高野君。  まあ、僕は開店担当で朝が早いから、ありがたく従業員宿舎を使わせてもらうことにしたけれど。  夏休みが終わってすぐに、学生課の自転車を返却した。だから綿貫の送迎はもうない。バスは一時間に一往復で効率が悪い。開店から2時まで働き、高野が来てからも客数が多ければ手伝い、結局だらだらと7時のクローズまで喫茶室にいる日もある。  八月末から観光協会が無料配布している情報誌に、この喫茶室が掲載された。その反響で客足が伸び、勤務時間が増えたのだ。  駅やホテルで配布している無料情報誌の、温泉街名物スイーツ特集。このホテルからは、レトロな喫茶室の内装と店頭売りのシュ-アイスを紹介し、隅に小さく僕のバストアップの写真が『スタッフの衣笠さんオススメ』と、名前入りで掲載された。  その反響で、女性客がやって来るので、今までより長く店頭に居ないと済まなくなった。  おまけに、取材の時に高野と僕で一緒に撮った写真がこの号の表紙に採用され、それが実物よりかなり良く撮れた一枚だったせいで、ちょっとした騒動になっている。  プロの実力なのだろう。カメラマンの腕が良すぎて、未だにあの写真が僕自身だという実感が無い。 「衣笠、やり過ぎなんだよ。手でハートのポーズ決めてあの笑顔だろ、そりゃおんなどもが寄って来るよ」 「そんなこと言ったって、撮影の時は、単にカメラマンの言いなりになってただけじゃないか」 「まあな。でもさ、衣笠って、最近印象変わったじゃないか。背が伸びた? 手足がスラっとして、大人っぽくなった。  そういうちょっと少年くささが残った儚げな男はモテるんだよね、オネエサマ方に」  そうなの?  「裏事情を知らなきゃ『恋人ができると変わるねえ』って冷やかすところだけど、ホントに付き合ってないとはねえ」  今度は高野がニヤニヤと意味深に笑う。  閉店後の後始末まで付き合って、もうすぐ9時。さっそく用意してもらった寝床を使わせてもらうことにする。  企業の福利厚生は過剰に行き届いていて、日帰り入浴施設用の作務衣とタオルを貸し出してくれるので、洗濯の心配もない。朝からユニフォームを着て過ごすのなら下着だけコンビニで買えば、あとは何もいらないほどだ。  家具家電付きワンルームの様子を、年季の入った三畳間で退屈しているであろう綿貫に写メしたら、 『衣笠、お前しばらく帰ってくんな』  と、短い返信があった。……設備が良すぎて気に障ったか。  もしかして、今夜の賄い飯がホテル仕様のナポリタンだったから、拗ねたのか?

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