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[きぬ] パンダでいいです-2-

 たかだかこの温泉地だけで配布するフリーペーパーだ、と軽い気持ちで取材に協力した。片田舎だと思って舐めてかかっていた。  今はインターネットの時代。SNSであっという間に拡散するんだな。  はじめは、フリーペーパーを手にした観光客に、表紙と同じ「両手でハート」のポーズで写真を強請られて応じる、その程度のサービスだったんだ。  この人気をホテルの広報が放っておく筈がない。ホテルのフェイスブック公式ページで取り上げたり、インスタグラムで拡散したり、大人の思惑がてんこ盛りに重ねられた。9月からは、“一緒に撮った写真をハッシュタグ付きで投稿すると、宿泊券が当たるキャンペーン”なんて企画が立ち上がったらしい。  結果、喫茶室の男性スタッフを生で見ようと、わざわざ立ち寄る人がいるのだという。  僕か高野が常に店に居ないと、クレームが来ると言うから恐ろしい。  正直なところ、アルバイトは夏休みだけのつもりだった。山のてっぺんから通うのは大変だし、いつまでも綿貫に送ってもらうわけにもいかない。週3日だけ。学園祭の準備が始まる頃までで辞める予定だった。でも、連日シフト変更を申し入れてくる上司の様子から、予定通りに辞めるのは出来ないかもなと思い始めていた。  そんなこんなで今日の昼過ぎ、事務所に呼び出された僕を待っていたのは、ロールケーキと紅茶。紙コップじゃない、薔薇模様のボーンチャイナのちゃんとした食器に乗っていて。ロールケーキの切り口から生のフルーツがたっぷり見えて。……この時点でもう気がついた。辞めさせてもらえないんだなって。  たかがバイトの僕に、上司ともっと上の人が頭下げに来るのかと思うと、なんだか居た堪れなくなって、話が本題に入って早々に折れた。  人寄せパンダでいいです。もう。 「いい機会だから、シフト増やして稼がせていただきます!」  特に要求したわけでも無いのに、宿舎の一部屋を充てがわれ、時給も若干上がり、暇な時は休憩も好きに取っていいと(暗に、暇がなければ休憩にも行かれないと言われている気もする)。悪い話じゃ無いだろう。 元々、連休に何処か出掛けるわけでもないのだ。寮にいたところで、綿貫がやたら僕の肉体改造を勧めてくるのに付き合って、筋トレとプロテインの飲み比べで週末を終えるだけなのだ。  真っ白なワイシャツにネクタイ。高校の制服でも毎日着ていた、慣れたそのシャツに、黒のベストとギャルソンを加えただけなのに、やたらと人を惹き付ける。ホテルの喫茶室の制服ってのは魔力でもあるんだろうか。  こちらをチラチラ見ながら紅茶を飲んでいた女性二人連れは、会計の時に「少しお時間いただけませんか?」と声をかけてきた。  仕方なくマスターに承諾を請う。 「マスター、あの……」 「いいよ、いいよ! 行っていいよ!」  ―――これで本日三件目。そんな二つ返事で送り出さないでくださいよ。バイトは僕ひとりだけの時間帯なんですよ?  小声で、下を向いたまま、上司に愚痴を言ってやる。 「マスター、いい加減こういうの面倒なんで、こっ酷く断って良いですか?」 「衣笠君、勘弁して! そんな事ネットで拡散されたらどうするの。せっかく話題になって、客数急上昇してるんだよ? 勿体無いよ!  客商売なんだから、ここはひとつ穏便にね。そのまま休憩取って良いから!」  これも仕事のうちと言われたらそれまで。持ち場を離れ、店の外で話を聞く。  女性の手元には何やら可愛らしい柄のメモ用紙、おそらくLINEのIDであろう丸っこい文字が書かれているが見えた。あいにく僕は知らない人とLINEで繋がる趣味はない。 「お気持ち有難うございます。ゴメンなさい、こういうの受け取れないです」  この頃の女子は強いから、アドレスだけでも受け取って欲しいと押されるけれど、「付き合ってる人がいるので」と、定番の言い訳で丁重にお断りする。  深追いされることはまず無いので、今のところこのパターンの繰り返し。島先輩ならきっと全員の連絡先をゲットするんだろうな。  僕は、普段通りの生活を送りたいだけ。  

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